こん〇〇は。
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とても励みになります。
↓以前、紹介しましたビーツ。
市販のものはかなり食べやすいように柔らかくなるまで調理されていますが
私が調理したものは、少し固めの食感と書きました。
調理時間が短かったからなのか理由は定かではありませんが
これを食べた後あたりから・・・
便に異変がありまして
便が赤紫のような色になるもしくは
部分的に赤紫の成分が水に流れ出している様子が観察できて
まさに私は食べたものでできていると感じました。
ケールを食べていると
濃い緑の便
ターメリックなどの入ったカレー粉を使った料理を採ると
黄土色のようになり
ビーツを食べればビーツの色に変化します。
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哲学的かどうかはわかりませんが
Durkheimから学ぶことは多いです。
効率などを考慮して家族で分担することが良いのではないかと思っていました。
具体的には、母は母の役割を持っているので
それを「一人で担う」ことをよしとしていました。
私が一時帰国している間も、
その役割を維持するために
母はいつも通り家事をして
私は普段、手が届かないところに着手
例えば、庭の草むしりや
壊れた備品の修理や買い替えなど
同じことを一緒にやることなど
考えてませんでした。
しかしながら、この一緒にやるということで
家族の一員としての所属感
Togethernessを促進することに気づきました。
餃子の餡を包むときに
私が一人で包んでも特に苦にならないので
1人で包んでいると
母は自然に隣に座って
一緒に包みます。
草むしりをしていると
しゃがむのは無理でも
集めた草を袋に入れることを手伝ってくれます。
病院から帰ってきて疲れていても
私がメインの調理をしていると
隣でポテトサラダを作ったり
その空間で一緒にできることをします。
私がアジの皮をむいて下味をつけて
粉をはたいて焼いている間に
母はトマトを切ったり
ポテトサラダを作りました。
以前は、◯曜日はフルで食事担当
もしくは夕飯のみフルで担当していましたが
一人で全てを請け負うと
精神的に負担に感じて
すぐに冷凍食品や
スーパーのお惣菜に走りがちでしたが
協力することでお互いの心の負担も減って
手作りのおかずも増えました![]()
この一つの空間で全く同じ作業を一緒にすることは
難しいかもしれませんが
その中で、できることを一緒に探して見るのは
孤独を緩和する戦略として有用かもしれません。
これは、小さいお子さんとの関係であったり
職場で一緒に働く人々の関係にも当てはまるかもしれません。
「座ってテレビでも見ていて。」
「私がするから大丈夫。」
「やらなくていいよ。」
「自分のことだけやればいい。」
というのは一見、VIP待遇のようですが
こうした境界は
疎外感や孤独感を生む可能性があります。
有料のデイセンターへ通う高齢者の方を
センターではクライアントと呼びます。
お金を払ってサービスを利用しているので
利用者は「お客様」です。
しかしながら、何でも「やってもらうこと」
が本当によいかはわかりません。
人によっては
一緒に何か
「誰かのために役に立つこと」
をすることは
高齢者や病気を持つ方(つまり、患者と言う役割を担っている方)が
普段、持つことが難しい役割かもしれません。
そうであっても、
見守ってくれる人がいる環境で
デイセンターで使うタオルなどの洗濯物を
スタッフと一緒に畳んだり
隣りの方の食べ終わったお皿やコップを
キッチンのカウンターへ運ぶのを手伝ってあげる
そんなマイクロボランティアのような役割は
実は、当事者の幸福感をアップするのに役立つ可能性があります。
高齢化の文脈における孤独感は
社会的役割の喪失とも関係しています。
「何でもやってもらう」ことが本当に当事者にとって望ましいことなのか
批判的に検討してみるのもよいのかもしれません。
We(私たち)と They(彼ら)の壁を取り払うことを考えてみるのもよいかもしれません。一緒にできることを見つけるのは、自身の将来への不安を取り除くことにも役立つと思います。
本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
Have a wonderful day!![]()
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