ゴールはリアルなわけないだろうと思うので、突っ込みはきっちりとマスタークラスでしたいと思っています。
RealとRealityは違うと思うので、明快な間違いなのでしょう。
ゴールがリアルではないことはよく知られています。リアルならそれはゴールではありません。現実化というニュアンスを伝えたいなら悪手すぎると思います。
誰が書いた(考えた)コピーか知りませんが、これだけ「まといのば」の精鋭がいて、誰も突っこまないのも不思議です。
社会的手抜きなのか、面倒さを避けたい政治状況なのか。
Goalはリアルではありえず、もしそれがリアルならばそれは現状の外ではなく現状の中の最適化でしかありません。
「ゴールの世界はいま、ここにある」というのが、いわゆる「Nowhere/Now here」としてのレトリックなのかもしれませんが、まあ、良いとは思いません。
その気概は良いのでしょうが、間違いは間違いです。
ただ、いずれにせよ、面白い企画です。
なかなか来ないチャンスではあります。彼らも学んでいる最中ですし、派手な間違いも多いですが、完全無欠な人間などいませんし、完全無欠であるから良いわけでもありません。社会に機能を果たし、一人でも多くの人の役に立つことが重要です。その意味では彼らは適任です。
Judgeしに行くのではなく、自分の生涯のパートナーを探すつもりで、2日間リアルに臨んで欲しいと思います。直接会えるのであれば、直接会ったほうが良いのです。そしてできれば講演毎に良かった点を10個見つけて、休憩中に体系的に文章としてアップすると良いと思います。アウトプットして初めて、インプットが可能になります。未来のアウトプットが過去のインプットを良きモノにします(もっとすごい場合はまずアウトプットしてからインプットするという荒業もあります)。
なぜ「良かった点」を見つけるのかと言えば、不満点や悪い点はいくらでも見つかるからです。そしてそれは何の役にも立ちません(少なくとも今は)。逆にがんばって「良かった点」を見つける努力はヒーラーの力を向上させます。そして短い時間で体系的に文章にしてアップロードするのは、自分の見解をまとめて晒すという点で非常に鍛えられます。大事なことです。ヒーラーになりたいのであれば、腹を括って作業を繰り返すことです。
ちなみに「なんか集団で群れていて気持ち悪い」と思うのは自由ですが、それは自分の主観的な印象で語りすぎです。彼らは最も群れから遠い集団です。社会性が足りない者同士が、がんばってチームとして動いています(別に実情はどうでも良いのですが)。それよりは、自分もまたギルドの中でしか、才能も発見されず、訓練もされないという構造的な現実を理解して、コンテンツの収集をやめて、水に飛び込むことです。外野や客席からいくら怒鳴ったところで、現実は変わりません。まずは飛び込むことです。そして溺れながら、水を飲みながら泳ぐしか無いのです。
現実を理解することです。資本主義は夢を見せてくれますが、関心があるのはあなたの財布の中身だけです。我々は悪夢から覚まさせて、現実を直視させます。
というわけで、彼らとの約束を果たすべくローンチに協力したところで、いくつかシェアします。
あ、その前に森野くんが紹介していましたが(ありがとう!)、クリプキ様の新刊だそうです。
1973年の講義録です。
「ふーん」という感じですが、読んでみます。
「存在しないものに固有名はあるか」と言われれば、たとえばユニコーンの太郎君という名前は存在しそうに思えます。
そして、生成AI本関連で紹介したリヴァイアサンなプラットフォームはリヴァイアサンの夢を観るのか?という問題の解決はやはりリヴァイアサンでした(という話)。
国家の権力行使を憲法が制限するように、プラットフォームの為政者がユーザーに対して権力を行使するのをサービス利用規約が制限する。法学者のニコラス・スゾールは、この考えを「デジタル立憲主義」と読んだ。(『デジタルの皇帝たち』)
それでもまだ、株式会社が民主主義的政府を備えた公共団体に移行するというのが突拍子もないアイデアだと思うのなら、次の歴史の一場面を考えてみよう。ヴァージニア州はかつてヴァージニア・カンパニー・オブ・ロンドンと称する株式会社だった。1606年に、4人の富裕層から提供された創業資金をもとに、若き起業家によってロンドンで創設された会社だ。創業者は株式公開を通じて追加の資金調達を行い、イングランド中の1700の個人投資家や機関投資家がそのベンチャー企業の株を購入した。事業計画は、北米に一つの街を建設し、ヨーロッパから職人や貿易商人を引きこんで、経済の活力にするというものだった。街は、会社の取締役会によってロンドンから統治された。そして、ほかの会社同様、その利益は投資家に還元されると考えられていた。
しかし、こうした統治形態が継続しなかったのは明らかだ。今日では、ヴァージニア州は民主主義的なコモンウェルスになり、アメリカ合衆国を構成する州の一つだ。
世界のほぼすべての国家が、その歴史のある時点では多かれ少なかれ、裕福な男性、女性、あるいは集団の私的所有物だった。そして、現在の私たちが依拠する公的制度を構築したのはこうした人々である。
*デジタルの世界における個体発生が系統発生を繰り返すということです。
これが「行政は自動化したが、立法は自動化できなかった」ブロックチェーンを始めとするテクノロジーの行き着く先ということです。
テクノロジーとはゴーレムなのです(唐突?!)。
いや、魔法使いの弟子かもしれません。
魔法使いの弟子と言えば、あのミッキーマウス扮する「ファンタジア」が有名ですが、もともとはゲーテの詩から来ています。
(唐突すぎるかもしれませんが、テクノロジー、そして科学が「魔法使いの弟子」であり、ゴーレムということです。たとえば生成AIが)
この詩は、老いた魔法使いが弟子に雑用を押し付けて、自分の工房を出発するところから始まる。弟子は、桶で水を汲む仕事に飽きて、箒に魔法をかけて自分の代わりに水汲みの仕事をさせる。しかし、弟子は箒を止める魔法を知らなかった。
箒を止めるために箒を斧で2つに割ったが、それぞれが元の箒に戻って水汲みを続けてしまう。水を汲む速度がそれまでの2倍となり、部屋中水浸しになる。全てを失ってしまったと思ったときに魔法使いが帰ってきて、箒にかけた魔法を解除する。そして、強い霊を呼び出すのは師匠だけにした方がいいという魔法使いの言葉で詩は締めくくられる。(Wikipedia)
この詩には、ゲーテと同時代のカール・フリードリヒ・ツェルターやヨハン・ルドルフ・ツムシュテーク、およびカール・レーヴェが曲をつけている。また、フランス語訳したものを元にして、ポール・デュカスが1897年に交響詩『魔法使いの弟子』を作曲した。
1940年のウォルト・ディズニーの映画『ファンタジア』は、クラシック音楽を題材にした8つの短編アニメーションであり、その中の一つにデュカスの『魔法使いの弟子』がある[13]。『魔法使いの弟子』(The Sorcerer's Apprentice)というタイトルで、ミッキーマウスが魔法使いの弟子を演じており、箒が2つではなく無数に増えることと、師匠のイェン・シッド(Yen Sid、Disneyを逆に綴ったもの[14])が弟子を激しく𠮟りつけることを除けば、ゲーテの原作の内容を忠実に再現している。『ファンタジア』により、ゲーテの元の詩も有名になった。続編の『ファンタジア2000』でも、原作のストーリーが守られている。(Wikipedia)
で、ゴーレムとはユダヤ神話の怪物です。
科学の品格は、高潔な騎士道でも、残忍な破壊神でもない。では、科学とは一体何か。科学はゴーレムなのだ。
ゴーレムとは、ユダヤの神話の産物である。粘土と水を材料に、呪文と魔術で味付けをした、人造人間である。それは力持ちである。日々毎日少しずつ強くなる。命令は開くし、仕事は代わってくれるし、安全を脅かすあらゆる敵から、人間を守ってもくれる。しかし、それは不細工で扱い難く、危険でさえある。ゴーレムはちょっと目を離すと、主人をめちゃめちゃにしかねない。不格好な愚か者で、自分がどれほど力を持っているか、自分が如何に不細工で無知か、どちらも知らないのである。
われわれの思い描くゴーレムは、邪悪なものではないが、愚か者である。ゴーレム料学は、したがって、その誤りのゆえに非難されてはならない。過っているのはわれわれ自身なのである。ゴーレムが最善を尽くしているなら、非難はできない。しかし、過剰な期待を彼に抱いてはならない。力持ちではあるが、ゴーレムはわれわれの技術の産物であり、われわれの作業の結果だからだ。
ゴーレムについてはこちら!
ゴーレム(ヘブライ語: גולם, 英語: golem)は、ユダヤ教の伝承に登場する自分で動く泥人形。「ゴーレム」とはヘブライ語で「未完成のもの」を意味し、これには胎児や蛹なども含まれる。
概要
作った主人の命令だけを忠実に実行する召し使いかロボットのような存在。運用上の厳格な制約が数多くあり、それを守らないと狂暴化する。
ラビ(律法学者)が断食や祈祷などの神聖な儀式を行った後、土をこねて人形を作る。呪文を唱え、「אמת」(emeth、真理、真実、英語ではtruthと翻訳される)という文字を書いた羊皮紙を人形の額に貼り付けることで完成する。ゴーレムを壊す時には、「אמת」(emeth)の「א」( e )の一文字を消し、「מת」(meth、死んだ、死、英語ではdeathと翻訳される)にすれば良いとされる。
ラビによる創世記の解釈の中には、生命の息吹を吹き込まれる前の土人形としてのアダムをゴーレムとするものもある[1]。
(略)
『フランケンシュタイン』、ゲーテの『魔法使いの弟子』、そして映画『ターミネーター』などの大衆文化の物語にも、同様の傲慢のテーマが見られる。このテーマは、ロボットという用語を生み出したカレル・チャペックの1921年の劇 RUR(Rossum's Universal Robots) にも表れている。劇はプラハで書かれ、脚本には多くの類似点がある。[15]Wikipedia
という点から議論を進めたいのですが、一旦材料を提示するだけで終わります。
One more thing!!
ラストは「あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない」から!
ここにもまた上記と同じ問題が繰り返されています。そして解決策も。
北欧の国々が取り入れているような社会的セーフティネットの拡大は、個人の自由を減らすどころか、むしろ自由を広げてくれます。金銭的な制約に縛られることなく、自分の意思で生き方を決めることができるからです。健康保険のために嫌な仕事を続けたり、子どもを養うためにDV男の言いなりになったり、大学の教科書を買うために金のある中高年とセックスしたりする状況を、もう誰も耐えるべきではありません。
何より大事なのは、自分の時間や感情、それに自分自身の価値を、資本主義の手から取り戻すことです。
あなたはただの商品ではない。あなたの抑うつや不安は単なる脳の不具合ではなく、人間性を食いつぶして拡大していくシステムに対する健全な反応です。
「メンタルヘルスは政治的問題だ」とマーク・フィッシャーは言いました(12)。メンタルヘルスと私生活が切り離せない以上、恋愛やセックスもまた政治的問題です。人と人とのつながりを経済的交換に押し込めようとする価値観に、なんとか対抗していかなくてはいけません。
関心を数値化するかわりに、関心を分かち合うことは可能です。気持ちを売買するのではなく、与えたり受けとったりすることができるはずです。感情を市場に搾り取られないように、感情の主権を取り戻しましょう。
2017年の夏、ミュンヘンのある書店が〈愛は資本主義を殺す〉というコピーを店頭に掲げました。親しい人と幸せな関係を築き、金銭的価値ではなく自分が人として大事にされていると感じることができれば、資本主義の主要な武器をひとつ無効にできます。つまり、孤独な心の穴を埋めるためにモノを買う必要がなくなります。
社会から切り離された疎外感は、資本主義の格好の餌です。愛情を売買の対象にしないことが、資本主義への抵抗の第一歩なのです。
というわけで、今月も張り切っていきましょう!!!







