残念ながら、わたしたちに残されたのはアリストテレスばかりである〜古代文明崩壊のあとの悲劇 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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寺子屋「ルクレティウスのアポクリプス」の裏テーマは古代ギリシャの闘争でしたが、文字通り血で血を洗う闘争が行われ(いや、知りませんが)、少なくとも我々がいま立っている場所はデモクリトスが負けた(エピクロス派が負けた)世界にいます。

 

すなわちオルテガが危惧した世界です。大衆の暴力によって真の知識が壊された世界にいます。

 

大衆とはミメーシスの別の相貌です。

そしてHeroはいつも犠牲の羊になるのです(ソクラテスもイエスも死刑です)。

 

アリストテレスの弟子がアレクサンドロス3世であることも別の相貌に見えてきます。中世という時間を通して暴力的にアリストテレス神学(神学にとどまらずすべての学問分野ですが)はニュートンにまで届きました。ニュートンはあえてプラトンともアリストテレスとも決別しなくてはいけませんでした(そしてルネッサンスが始まります。ルネッサンスのいくつもの顔の内の科学革命の顔が)。

 

 

プラトンは私の友、アリストテレスは私の友、しかし最大の友は真理である(ニュートン)

 

 

でも彼らは研究に人生を捧げて、そしてゆったりと狂気に陥っていきます。

 

たしかにアインシュタインは、言葉を覚えるのが遅く、高校でも、数学ができず大学を卒業しても、教授に嫌われて就職できず、特許局にようやく引っかかった人でした。

 

ニュートンがペストの流行で、せっかくケンブリッジに就職したものの、2年も田舎に隠遁したのと似ています。

僕らで言えば、ネットから切り離されて、離島に隔離されるようなものです。

最先端の論文から切り離されたことで、彼は深く考える以外のことができませんでした。

 

アイザック・ニュートンの肖像画

*ニュートンは「プラトンは私の友、アリストテレスは私の友、しかし最大の友は真理である」、とノートに書き付けて、スコラ哲学から決別します。

(これはもちろんアリストテレスの言葉に対するオマージュです。アリストテレスは師匠のプラトンに対して、プラトンは私の友、しかし最大の友は真理である、と言いました)

 

 

ある文明の崩壊というのは、すべての人間を石にする必要はありません(Dr.Stoneをディスっているわけではありません)。

 

 

 

もし特定の十もしくは十二人の物理学者が突然死んだとすれば、今日の物理学の奇跡が永遠に人間から消え去ってしまうことはほとんどまちがいないだろう。(ヘルマン・ワイル)

 

何世紀にも渡る準備期間を経ての奇跡がある意味で一瞬にして、永遠に失われるのです。

 

 

今日の最も偉大な物理学者の1人で、アインシュタインの同僚であり継承者でもあるヘルマン・ヴェイルは、友人との対話の中でつねに次のようなことをいっている。つまり、もし特定の十もしくは十二人の物理学者が突然死んだとすれば、今日の物理学の奇跡が永遠に人間から消え去ってしまうことはほとんどまちがいないだろう。人間の知性を物理理論の複雑な抽象性に適合させるには、何世紀にもわたる準備期間が必要だったのである。なんらかの突発事件がかくも驚異的な人間の可能性ーーしかも、それは未来の技術の基礎でもあるのだがーーーを抹殺してしまうことさえありうるのである。(pp.72-73)

ヘルマン・ヴェイルの肖像

*ヘルマン・ワイル

私の仕事は、常に真実を美と統一しようとするものであった。しかし、どちらか一方を選ばざるを得ない時には、美を選んだ。

 

 

ここではオルテガは可能性について語っていますが、我々は「今日の物理学の奇跡が永遠に人間から消え去ってしまうこと」というようなことは、有史以来、繰り返し起こっただろうと断言します。起こり得ることは起こり得るのです。時間さえかければ、それは確実に起こること、いや起きたことになります。

 

たとえば物理学者のカルロ・ロヴェッリはデモクリトスの全著作の散逸は、アリストテレスを失うより酷いと考えています(僕が先日のセミナーでタレブと間違えたカルロ・ロヴェッリですね)。

 

わたしはよく自問する。デモクリトスの全著作の散逸は、古代文明の崩壊のあとにおこった、人類の知をめぐるもっとも大きな悲劇ではないだろうか。(略)残念ながら、わたしたちに残されたのはアリストテレスばかりである。西欧の思想はアリストテレスを基礎にして再建された。そこにデモクリトスの居場所はない。おそらくデモクリトスの著作がすべて残り、アリストテレスの著作がすべて散逸した方が、わたしたちの文明はより良い知の歴史を築けただろう。(カルロ・ロヴェッリ『すごい物理学講義』)

 

 

 

ちなみデモクリトスの主張(原子論)は「気難しく落ち着きのない25歳の青年」によって証明されます。

大学で物理学を修めたものの、研究職に就くことはかなわず、ベルンの特許庁に勤めながら、先行きの見えない生活を送っていた」青年によって。

 

アインシュタインの肖像

 

とは言え、別にデモクリトスとアリストテレスをトレード・オフにしなくても良いと思いますし、デモクリトスがもし残っていたら、早々に原子論が証明され、原子力エネルギーが発見され、世界が普通に滅びて、石器時代(ドクターストーンの時代に)に舞い戻っていたかもしれません。

 

人物がE=mc²の数式を示す

 

エネルギーは質量と等価であるという式は、そのまま原子力エネルギーの式でもあります。

 

 

しかし、なぜか先の大戦のあと(それは二度も繰り返された後)、2000年の時を越えて、完全に失われたメッセージが届きます。まさにワープ。まさに場の移動。

 

1946年ごろ、羊飼いが死海近くの洞窟(移籍)の中で発見したのが死海文書、そして同じく農夫がエジプトのナグ・ハマディで見つけたのがナグ・ハマディ写本です。

 

1946年の終わりから1947年の初めのいずれかの時期に、ベドウィンのターミレ族の羊飼いムハンマド・エッ・ディーブ(Muhammed edh-Dhib、「狼のムハンマド」の意)とその従兄弟が、ヒルベト・クムランと呼ばれる遺跡(遺跡自体は19世紀から知られていた)の近くの洞窟の中で、古代の巻物の入った壷を発見した。最初の発見に関しては、「子ヤギを追いかけていて、洞窟の中に石を投げ入れたところ、何かが割れる音がしたので入ってみた」などさまざまな逸話が語られるが、どこまでが真実かは、もはやわからない。Wikipedia「死海文書」ナグ・ハマディ写本の一部、古代の書物死海文書とナグ・ハマディ写本死海文書発見の洞窟、クムラン遺跡

ナグ・ハマディ写本も1945年。

 

ナグ・ハマディ写本(ナグ・ハマディしゃほん、The Nag Hammadi Codices)あるいはナグ・ハマディ文書(ナグ・ハマディもんじょ、ぶんしょ、The Nag Hammadi library)とは1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ(エジプト・アラビア語版)(より正確には、ナグゥ・アル=ハムマーディ[1])村の近くで見つかった初期キリスト教文書のことである。ナグ・ハマディ写本は、二十世紀最大の考古学的発見に数えられており[2]、事実、初期キリスト教の研究を飛躍的に進展させた[2]。ナグ・ハマディ写本は、古代キリスト教を知るための原資料としては死海写本につぐ重要性を持つと見なされている[2]。

 

概要

写本は、農夫ムハマンド・アリー・アッサーマン[1] (Muhammad ʽAlī al-Sammān)[3] が偶然土中から掘り出したことで発見された。発見時、文書は壷におさめられ、羊の皮でカバーされたコーデックス(冊子状の写本)の状態であった[4]。Wikipedia「ナグ・ハマディ写本」ナグ・ハマディ写本とルクレティウスの書

*ナグ・ハマディ写本の一部(コーデックスII収録の「ヨハネのアポクリュフォン」の末尾と「トマスによる福音書」の冒頭部分)(たしかに右上にアポクリフォンと読めます)

そして我らがルクレティウスです。紀元前1世紀のローマの詩人ですが、デモクリトスやエピクロスの後継者です。

 

デモクリトス像:古代ギリシャの哲学者の彫刻

 

これも唐突に発見されます。1417年のことです。1300年の時を経て、発見されます。それもルネッサンス直前に。

 

ルクレティウスの著作は長い間知られていなかった。1417年にイタリアの人文主義者ポッジョ・ブラッチョリーニによって、ドイツの修道院で『事物の本性について』の写本が再発見された[2]。同書はルネサンス期の思想に大きな影響を与え、原子論が発展する原動力となった。Wikipedia「ルクレティウス」

ルネッサンス直前に」と言われても、ルネッサンス自体が何か良くわからない古典復興なので、軽く引用します。15世紀16世紀ということです(たぶん)。

 

ルネサンス(英: The Renaissance)は、15世紀および16世紀にわたる歴史上の時期であり、ヨーロッパにおける文化運動(英語版)である。中世から近代性(英語版)への移行を画し、古典古代の思想と成果を復興し、これを凌駕しようとする志向を特徴とした。芸術、建築、政治、文学、探検、科学など、ほとんどあらゆる分野における大きな社会的変化を伴い、当初はフィレンツェ共和国を中心として、その後イタリア各地へ、さらにヨーロッパ全域へと広がった。「再生」を意味する用語リナスキタは、ジョルジョ・ヴァザーリによる『画家・彫刻家・建築家列伝』(1550年頃)に初めて現れ、これに対応するフランス語ルネサンスは1830年代に英語へ取り入れられて、この時代を指す術語となった[1]。(Wikipedia「ルネッサンス」)

 

そして我々はささやかながら寺田寅彦の「ルクレチウスと科学」を再発見しました初出は1929年!!寺子屋では、僕が間違えて1947年と言いましたが、それは「寺田寅彦随筆集第二巻」の初版第一刷のときのこと。森野くんが指摘してくれたように寺田寅彦は1935年にお隠れになっています)

 

 

 

 

その寺田寅彦がボルツマンのエントロピー、アインシュタインの特殊相対性理論、ブラウン運動、マクスウェルの魔などをルクレチウスに正確に読み込むばかりか、情報熱力学の登場も予想しています(精神物理学)。我々から観たら、1929年のこの寺田寅彦のルクレチウスの紹介の文章もまた見事なアポクリプスです(寺子屋ではケインズによるニュートン紹介と重ねて合わせました)。

 

*これはいま読み返すのに非常に良い内容なので、ここではなく一番下に引用を挿入します!

 

で、何が言いたいかと言えば、我々はいま文明崩壊のギリギリに立ち会っているということです。自分が「今日の知性の奇跡が永遠に人間から消え去ってしまう」鍵を握る1ダースあまりの人類の1人である自覚が必要かもしれないということです。

そんな世界線に意図せずして立ち会ってしまったという危機感というか、臨場感がいまこの文章を呼んでいる我々全員が共有しているという話です。

 

*なんとなく「チーム友達」を流したい!!

 

【蛇足ながら】

 

以下は2012年の記事。

OMSや寺子屋再開を踏まえて、14年前の記事を読むとなかなかエモいです(エモいのか?)。

 

これまで「まといのば」では猛烈に科学や哲学、神学、宗教学、古典教養などを導入してきました。熱心に通い続けている人はずいぶんと広い知の世界の一端を垣間見ることができたと思います。そしてその楽しさも少し味わったでしょう。

 

干支が一周して、僕らは当時夢見た「端緒」にようやくたどり着きつつあります。

 

 

これまで「まといのば」では猛烈に科学や哲学、神学、宗教学、古典教養などを導入してきました。熱心に通い続けている人はずいぶんと広い知の世界の一端を垣間見ることができたと思います。そしてその楽しさも少し味わったでしょう。

7期では自身がラテン語を読み、聖書に少し通暁し、龍樹の中観思想とラッセルの自己言及のパラドックスとゼノンの逆理とゲーデルの不完全性定理が手をつなぐ光景を観たと思います(まどか☆マギカの結界の中よりもはるかに胸踊る華やかさです)。

しかし、これは序章にしかすぎず、ようやく我々は端緒に立ったところです。

先の開業コーチングのグループセミナーでも紹介しましたが、某私立大学の問題には普通にシェイクスピアのロミオとジュリエットの一節が当時の英語で出ています。Youではなくthyで。そして長い長い問題文の最後はLatinで締められており、その英訳が試験問題となっています。
その大学が高校生に求める知性、これから大学で学ぶ上での姿勢が如実にあらわれています。

 

*「長い長い問題文の最後はLatinで締められており」とありますが、記憶が確かなら、これは「薔薇の名前」のラストであり、ホイジンガの「中世の秋」の一節です。

*「龍樹の中観思想とラッセルの自己言及のパラドックスとゼノンの逆理とゲーデルの不完全性定理が手をつなぐ光景」は数年以内にリアルにたどり着きましょう。中観思想とゼノンの逆理については昨日の「ルクレティウス」で少し触れました(例の高校生の倫理のレポート)。ラッセルの自己言及のパラドックスはまっすぐにゲーデルの不確定性原理と同値です。より形式化に成功しただけ(←言い方がおかしい)。

 

そして、上記で約束したケインズのニュートン評に関する記事です!

 

 

これは、ケインズのニュートン評を思い出します。
近代科学の父と言われたニュートンを、最後の錬金術師でありオカルティストの地位に貶めたのはバレリーナを妻にもつ経済学者です(とは言え、原文はニュートンに対する深い敬意と称賛があります。全文を読まず、部分を切り取って拡大解釈する我々の性向が著者の意図を歪めます)。

ニュートンがプリンキピアを発表するに至った盟友ハレーとの会話のシーンです(ハレーは彗星として名を留めています。ちなみにニュートンは単位として)。
学部を卒業したばかりのときペストのおかげで故郷に帰り、雑事を忘れて研究に没頭できました。そこでの見つけた様々な知の世界の美しい貝殻を彼は公開することなく20年引き出しにしまっておきます(ニュートンの偉大な業績もまた20代それも前半で終わっていることも面白いと言えます)。

(引用開始)

彼(ニュートン)が天体運動のもっとも基本的な発見の一つをハレーに知らせたときの話がある。「なるほど、」とハレーは答えた、「しかしどうしてそれがわかりますか。あなたはそれを証明したのですか。」ニュートンはびっくりしたーー「なに、そんなことはもう何年も前からわかっているのです」と彼は答えた、「二三日待って下されば、きっとその証明を見つけますよ。」ーーやがて彼はいったとおりにしたのであった。
(p.318 ケインズ 「人物評伝」)


(引用終了)

直観的にわかってしまっているので」、証明は不要なのです。ただ必要なら後付けで創れるということです。実は同じことをアルキメデスも言います。結果が分かってから証明を当てているだけだ、と。

ちなみに上記のパロディのオリジナルがファインマン(朝永博士とノーベル物理学賞を受賞)であることを考えると、このニュートンとファインマンの相似は非常に面白いかと思います。

ちなみにこの証明に対する軽視は一体何なんでしょう。

これは単純で「証明」とは表現でしかないということです。真理探求の方法ではなく、真理を開示するための言語であるということです。そしてその言語の後ろに走るのはユークリッド原論であり、公理系です。

だからこそ、ニュートンは原論を模して、プリンキピアを書き、ラッセルとホワイトヘッドは原論を模したプリンキピアを模して、公理系(その源流は「原論」)の体系を完成させた(かった)書物にプリンキピアと名付けました。

という内容がケインズの上記の文章の前にあります。
すなわちハレーとの会話はその理論のインスタンス(事例)であったということです。

その部分を引きます。

(引用開始)

純粋科学的ないしは哲学的な思考を試みたことのあるひとならだれでも知っているが、ひとはある問題をしばらくは心の中に保持して、それを洞察するのにいっさいの集中力を傾注することができるのであるが、それは次第に薄れてわからなくなり、その眺めているものがただの空白にすぎないことに気がつくのである。ニュートンは一つの問題を数時間も、数日も、数週間も、ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで、心の中に持ち続けることのできる人であったかとおもう。

(引用中断)

ついにそれが彼に秘密を打ち明けるまで、」というのがいいですね。
これは比喩の無生物主語構文ではなく、おそらくこのPassiveな感覚こそがケインズが我々に示してくれるSecretなのではないかと思います。
秘密は探しだすものではなく、打ち明けられるものなのです。それまでじっと待つしかないのです。計算が終わるまでは、いつ計算が終わるかは分からないのです。

続けます。

(引用再開)

それから、彼はすぐれた数学の専門家であったから、説明のためには望むとおりの表現をそれに与えることができたのであるが、しかしすぐれて非凡であったのは、彼の直観であった。ーー「彼は推測がきわめて巧みであったから、」とド・モルガンはいった、「おそらく彼がどうにかして証明することができた以上のことを知っていたようにおもわれる。」証明はそれにはそれとしての価値があるとしても、すでに述べたとおり、あとから仕上げられたものであった。ーーつまり、それは発見の手段ではなかったのである。
(p.318)
(引用終了)

一言で言えば(ケインズによれば)「彼は宇宙を全能の神によって化された暗号と見なしていた」のです(そしてこれが10期のテーマです)。

このくだりに続けて、先のハレーとの対話が始まります。


ちょっと長くなったので(読むのも大変でしょうし)、ここでおしまいにします。

続きはスクールにて(^^)
(冗談です)



ただ続きはおそらくは永遠に書かないので、ざっくりと書きたかった概要だけ述べて終わりにします。


たとえばホッブズが真理の探求について書くときに、思考と計算をあえて同じ概念で用いています(用いているように見えます)。

これはチューリングの"Can machines think?" を思い出します。「機械は考えるか?」。論文の冒頭での質問です。

I propose to consider the question, "Can machines think?" This should begin with definitions of the meaning of the terms "machine" and "think." COMPUTING MACHINERY AND INTELLIGENCE

ホッブズの引用は寺子屋の教材(哲学講座)でも使いましたが、以下のとおりです。
主著であるリヴァイアサンにこう書かれています。

(引用開始)

「真理」とは、私達が断定をおこなうに際に名称を正しく並べることである。(略)

そのため、神が人類に与え給うた唯一のサイエンスである幾何学においては言葉の意味を定めることから始める。意味を定めることを人は定義と呼び、計算の初めに置く。


(引用終了)

このささやかな引用に我々はいろいろな意味を見ます。

たとえば論理学で学んだのは、論理とは記号の並べ方の規則ということでした(「私達が断定をおこなうに際に名称を正しく並べること」)。
また唯一のサイエンスが幾何学(ユークリッド原論)と言う物言いと、流率法(微積分)を発明していながら幾何学にこだわってプリンキピアを書き上げてニュートン。
「意味を定める」という言い方。意味は(当然ですが)アプリオリに存在するのではなく「定める」という感覚です。プリンキピアでも最初に「定義」がきていました(ちなみに最初の定義は質量について。次が運動量でしたか。これは寺子屋シリーズのニュートン力学でやりましたね)。
そして「計算」と思考の相似形。

そしてファインマンのオリジナルの文章と、物理を教えることができないけど、教える方法については以下の書物を参照してください(余裕があれば、引用をブログにて紹介します)

 

 

 

*このPassiveな感触にピーター・ティールやTacit knowing(暗黙知)のポランニーを重ねて理解したいのです。