アンカーも大事ですが、トリガーも大事です。
圧倒的な経験も大事ですが、それを適切なトリガーというか、適切な言葉に絡め取っていくのも大事です。
圧倒的な経験とその記憶だけでは、時の流れの中で急速に失われていきます。
だからこそそれをまとめる言葉が大事なのです。
たとえば「気功は言葉であり、気功技術とは言葉である」という意味はそこにあります。
情報空間はたしかに存在します。より正確には情報空間しか存在しません。
それは妄想の中にあるのではなく、妄想こそが情報空間の中に存在します。
物理空間も情報空間の一部でしかなく、物理空間とは情報空間の写像などと言いますが、華厳経のようにある情報空間もまた別の情報空間の写像です。その「別の情報空間」がたまたま「物理空間」と呼ばれるような情報空間であったに過ぎません。だからこそ、とある物理空間が別の情報空間に対して写像するときに、たまたま物理空間が情報空間に影響を及ぼすように見えることもあるのです。たしかに抽象度というのはありがたい尺度ですが、一つの大雑把な基準にしか過ぎず(数学的には束の形を取る包摂半順序集合における情報量の大小でしかなく、それは人間が創った言葉の中に存在する尺度です)、より厳密に議論しようと思った時は「計算量の複雑性」そして「生命現象度」と順番を踏む必要があります。
あなたが強烈な体験をして、強烈な学びを得たとします。
そこで人生が終わるのであれば、エンドロールと共に感慨にふけっても良いのですが、幸か不幸か
人生が続くのであれば、なんらかの言葉にトリガー化して、誰かに伝言ゲームしておくことです(それが回り回って自分を救います)。
突然、5次元空間に引っ張り出された王様はあまりの恐怖に「こんな恐ろしいことは忘れられない」と言います(正確には「「あのしゅんかんの恐怖といったら、わしゃ決して、決して忘れやせんぞ!」と)
でも、女王様は冷静に「でも忘れますとも」と返します。
「忘れる」ということに関しては我々は超優秀です。見事に忘れていきます。忘れたくなければ、メモリに保存することです。揮発性の脳内ではなく、外部メモリにバックアップです。
「決して忘れない」と思っても、すぐに忘れてしまうものです。
「忘却とは忘れ去ることなり」とは「君の名は」のナレーションでしたが、「忘れる」というとつい「鏡の国のアリス」を思い出します。
アリスが鏡の国の世界に入って、王様と女王様の仲睦まじい夫婦漫才です。
ちなみに、このキングとクィーンはチェスの駒です。
アリスがキングを持ち上げて動かすと、キングは恐怖に怯えます。
(引用開始)
王さまはこう言っていました。「いやまったく、わしはまちがいなく、ヒゲの先の先っぽまで凍りつく思いであったぞ!」
答えて女王さまいわく「あなた、ひげなんかございませんでしょうに」
王さまはつづけます。「あのしゅんかんの恐怖といったら、わしゃ決して、決して忘れやせんぞ!」
「でも忘れますとも、ちゃんとメモっておかないと」と女王さま。
(引用終了)「鏡の国のアリス」山崎浩生翻訳

*キングにはアリスが見えません。キングがいるのはチェス盤の上といういわば二次元の世界、アリスは3次元の世界からキングに介入します。これもまたトポロジーですね。
そう「ちゃんとメモっておかないと」人は(キングも)忘れてしまうのです。
ただ、女王様は対策も付け加えることを忘れません。
「でも忘れますとも、ちゃんとメモっておかないと」(不思議の国のアリス)
このメモとはMemoryのことであり、記憶です。
メモがメモを生むのです。
そしてメモがなければ、メモリーも無いのです。
ですから、アインシュタインは自分の周りのありとあらゆるところにメモ帳を置いていたと言われます。
インスピレーションにせよ、強烈な体験にせよ、アハ体験にせよ、考え続けたことの答えにせよ、すぐに忘れてしまうのです(でも忘れますとも)。
ただ、それを言葉にしようとすると、本当に難しいのも事実です。
なぜなら、まだこの世に存在しないものは(情報空間含む)、それに適切な言葉が無いからです。
いや、それほど気負わなくても、自分にとっての強烈な体験やアイディアはなかなか言葉に落とし込みづらいのです(なぜなら言葉は通貨だから。言葉は流通してはじめて意味があるので、「はじめまして」な言葉を浸透させるにはとてつもないスノーボールを転がさないといけません。しかしそれに成功したら、たしかにWinner takes allにはなります。いや、周囲も豊かにしつつです。すなわち、その周囲もWinnersとします)(←分かりづらいけど、マスタークラスなどで解説するので、とりあえず置いておきます)。
というわけで(どういうわけだ)、吉田修一さんの「国宝」が素晴らしい!!!
たとえば、こんな一節。
まさにギルドの感触を伝えてくれます。
AVATAR.先生も引いてくださったように、「仲良し」(形容詞)ではなく、「仲良く」(動詞)であるべきなのです。
そんな“背景の異なる”メンバーたちが、いわゆる名門校と試合を重ねていく中で、
それぞれが自分の役割や想いの中で全力を尽くす。
その中で、チームワークが自然と生まれていく。
ただの馴れ合いではなく、「全員で汗を流すことによって」です。
最近、先生がおっしゃっていた言葉を引用させてもらうならば、
「仲良しになるのではなく、仲良くする」に通じる感覚かなと。
仲が良いのではなく、この生き死にがかかった世界を、一丸となって生き抜いていかなければならないから(『国宝』)
生き抜くためには、心の底から一丸となって協力しなくてはいけないのです。
そこでは個人の頑張りは当然であり(舞台では一人ですから)、そのうえで協力を惜しまないことです。
続けて、ここでも『みんな「まといのば」!』的な展開があります(チーム「まといのば」」的な?)。
「お前も写楽だよ」的な展開です。
「まといのば」は一義的には整体所の名前であり、そして整体所が拡張された場の名前でもあります。
ということは、蔦重(つたじゅう)ではないですが、「お前も写楽だよ」ということで良いのではないかと思います。
「『まといのば』で気功を学びたい」と心から思ったら、「私は写楽だよ」もとい「私は『まといのば』そのものだよ」とマントラすることを心から勧めます。
実際に御縁があって、このブログの文章を読んでいること自体がその証左です。
巨大なプロジェクトの一員であり、そうであるならば、「まといのば」のイチブというかゼンブなのです(←意味不明)。
Music Award Japanのオープニングアクトにも出ていらっしゃいましたね!!(♫チーム友達、チーム友達、チーム友達♫)。
*「チーム友達」は2’19のかてぃんのあとくらいから!
*あ、そう言えば、「チーム友達」と言えば、、、MZK(みずき)さんからこちらをおすすめされましたー。
*MZKさんいわく「長年の推しと推しが、、、ようやくここで」と!
*王子の天丼屋さんである「てん天」が「チーム友達」で刻まれるように、藤井風さんの「ハチ公」ではスクランブル交差点の焼き栗屋さんが脳に刻まれますね〜。
で、このチーム友達的な、「お前も写楽だよ」的なシーンがこちら!
こういうとき、つくづく歌舞伎役者というのはその家族も含めてのことだと幸子は感じます。舞台に立つのは役者一人ですが、たとえばジャングルを生き抜く獣の一家のようなものでして、総元締めである三友のような興行会社や劇場、贔屓筋に観客やマスコミなど、外敵にも味方にもなる相手から家族全員で身を守り合い、戦い、生き抜いていかなければならないのでございます。(『国宝』)
*このあとに上記の引用が続きます。
これらの話を枕にして、ドクター・ストレンジの話をしようと思っていましたが!!!
そしてこれがまたとてつもない重要な話なのですが!!!
いつもながら、、、、余白が無い!!!(こんなことを書く前に本題に入れ!というお叱りは感受します!)
あ、書くと言えば「かくかくしかじか」!ではなく(それも大事)、
線は、僕を描く
最高です!
僕が線を描くのではなく、線が、僕を描く。
*ブログタイトルは「線は、僕を描く」からの引用!
で、当のドクター・ストレンジに関しては2作目!
*『ドクター・ストレンジ マルチバースオブマッドネス』予告第2弾
毎晩、
同じ夢を観る
そして 本当の悪夢が始まる。
私はやるべきことをした。
この世界を守るために
この悪夢について、バレエ部の講師が同じような話をしていました。
そして「国宝」でも!
ちなみにこの公演中、ほぼ毎夜、喜久雄は同じ夢を見続けたのでありますが、この夢こそ、のちの役者人生でもここぞというときに必ず見るようになる悪夢になります。(『国宝』)
どんな夢なのでしょう?!
ぜひ、本編でご確認を!!
というわけで、シン・Good Ray MATLASスクールに出講してきます!!!
このスクールはすごいことになります!!(多分!!)
*Rayさんの記事!↑













