「能力の輪」が異なる人同士はどんな風に会話をするのでしょう?
お互いに基本的には分かり合えないと言っても良いと思うのですが、それを戯画的に描いたのが、今回の寺子屋「リーマン幾何学」でも取り上げるこんな小話です。
スコットランドを走る列車に、天文学者と物理学者と数学者が乗っています。
窓からこんな風景が見えました。
それに対して、天文学者は
「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」
と言います。
天文学者というのは、宇宙全体を観ることはできませんので、小さなサンプルで全体を推定する癖がついています。
それに対して、物理学者は鼻で笑いながら、
「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」
と言います。
物理学者はそれに対して、我々の感覚に近いかもしれません
天文学者と物理学者の会話を聞いて、数学者が2人をあざ笑いながら、
「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」
と言います。
数学者の厳密性が良くあらわれたコメントです。
ここに三者の世界観の違いが見て取れます。
同じものを見ていても、ブリーフシステム(信念体系)が違えば、違うものが観測されるのです。
これはきわめて重要な視点です。
同じものを見ていても、同じものは見ていないのです。
アインシュタインもハイゼンベルクに対してそう助言しました。まるでルー・タイスのように(そのことで、ハイゼンベルクは不確定性原理を発見します)。
c.f.理論があってはじめて、何を観測できるかということが決まる=事実は歴史家が呼びかけた時だけに語る 2014年03月04日
c.f.おそらく私はその種の哲学を使ったでしょう。しかし、それでもやはりそれは無意味です。 2014年03月03日
(引用開始)
しかし原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてある理論を作ろうというのは、完全に間違っています。なぜなら実際は正にその逆だからです。理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。(引用終了)(ハイゼンベルク「部分と全体」 p.104)
*アインシュタインがハイゼンベルクへのアドバイス。
一応、上記の三人旅の数学的ジョークに関する引用も以下に貼ります。
(引用開始)
天文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。
天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」と言った。
すると物理学者はそれに答えて「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。
しかし最後に数学者は「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」と言った。 (Wikipedia 数学的なジョーク)
これに続けて、4人目の生物学者が、「いや、あれは羊じゃなくてヤギだよ」というオチが僕は好きです(笑)
ちなみに数学者が同じ見方をするわけではありません。
以下の図形を見て、3人の数学者が別な回答をするというジョークもあります。
c.f.3人の数学者と陰陽師が立方体らしきものを見せられて、これは何かと尋ねられた〜藪の中の真相は闇の中 2019年02月12日
幾何学者は立方体ですと答え、グラフ理論学者は8つの点と答え、トポロジストは球と答えるというジョークです!!(笑)
(引用開始)
三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。

すると、幾何学者は「立方体です」と答え、グラフ理論学者は「一二の辺で結ばれた八つの点です」と延べ、位相幾何学者(トポロジスト)は「球です」と答えた。
このジョークは、それぞれの分野に携わる数学者の世界観を端的に表している。三人とも物事の見たい側面だけが見えており、ほかのことは眼中にない。トポロジストには、興味の対象となる物体の角度も距離も、形状の細かな特徴も目に入らないーーーというか存在しないのである。
(引用終了)(ジョージ・G・スピロー「ポアンカレ予想」p.83)
これが「能力の輪」の中にとどまるということです。
すべての視点を自分のものにすることはできませんし、する必要もありません。
自分の偏った見方をより偏らせてとことん突き詰めていくことです。
そして、一方で他者の視点も取り込んでいくことです(それは同化するのではなく、自分の見方を際立たせるためです)。
(引用開始)私が結晶作用と呼ぶのは、我々の出会うあらゆることを機縁に、愛する対象が新しい美点を持っていることを発見する精神の作用である。(引用終了)(スタンダール『恋愛論』大岡昇平訳、新潮社)
c.f.山雀の足ほどもないいちばん細い枝すら、まばゆく揺れてきらめく無数のダイヤモンドで飾られている。 2018年09月07日
ジム・ロジャーズが好んで引用する詩があります。
それが、
イギリスのことしか知らない人間が、イギリスの何を知っているというのだ(ラドヤード・キプリング『The English Flag』)
これは、ゲーテが好んで言っていた「外国語を知らない人は母国語を知らない」に通じるものがあります。
縁起のネットワークを考えれば、他者がいて関係があって自分があります。
自分の「能力の輪」もまたそれ以外があって鍛えられていきます。
その意味で多くのことに関心を持つのは良いことです。
試すことも。
しかし、それは自分のコアがあり、自分の「能力の輪」がしっかりあることが前提であり、そうでなければコアがない根無し草のようになってしまいます。
別な視点を持つことはとても大事です。
そしてそのことで、より「能力の輪」を深く掘り進めることができます。
その意味では、「みんなちがって、みんないい」のです。
でも「みんないい」と思えるためには、自分自身が能力の輪の中にとどまり充足していることが重要です。そこから別の「能力の輪」の中にとどまっている人とは分かりあえるのです(貶し合いながらも仲良くスコットランドを旅できるのです。
(引用開始)
わたしと小鳥とすずと 金子みすゞ
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。(引用終了)
「木を登る魚」と重ねて考えると、この詩が「能力の輪」について、そして幸福論について考えているように感じられます(そんな講座をまといのば講座でやりました。ドラえもん講座ですね)。
c.f.誰もが天才だ。しかし、魚が自分の能力が木登りで評価されるとしたら、一生涯、自分が間抜けだと信じる 2019年08月18日
c.f.シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。 2019年08月23日
そんなわけで今日のリーマン幾何学も楽しみましょう!!(ヴァーチャル受講もあります!)
数学をこの寺子屋の視点で知ると、自分の「能力の輪」がより鍛えられるのです!





