アディトレの波が面白いように広がっています。
一番、強烈なのはやせたり、肌が綺麗になったということ以上に、「お酒をやめられました!」というフィードバックです。
糖と同じく、お酒は強烈なアディクション(中毒)を構成しますので、なかなか望んでも離脱が難しいものです。
離脱しようとすればするほど、絡め取られていくのが中毒です。
しかし、かなりあっさりとやめられた方がちらほらいらっしゃいます。
嬉しいことです。
(ちなみに、「まといのば」ではお酒を否定しているわけではありません。もちろんお酒は適量であれば健康に良いみたいな議論もしていません。実際のお酒の適量とは0でしょうし。ただ、人生は複雑なものですし、ドラッグにせよ、お酒にせよ、それぞれの選択です。一律に「これが悪い、あれが悪い」というのは単なるファシズムです。イエスの言うがごとく「思い煩うな」が原則です。ただし、本人が希望している場合は、お酒をやめられるのは良いことだと思います)。
お酒をつい飲んでしまうのは、「醤油や海水を飲んで、のどが渇いてしまう」のと似ているって本気で分かると(ヘレン・ケラーのWaterレベルにしっかりと「分かる」と)やめられるようです。
*水が飲めないという人はたくさんいます。
その場合は、お茶でも紅茶でもコーヒーでも、レモン水でも、できるところから順に移行していきましょう!BCAAでも。
*一番ダメなのは「健康のために水を飲む」みたいな頑張りです。気付いたら、変わっているのが一番です。ダラダラとやりましょう。
アディトレで勧めている方法論というか、やり方みたいなものは、きわめて穏当なものばかりです。強烈な方法論は何一つありません。
ただし、我々は情報空間原理主義者みたいなものなので、情報が物理を書き換えると本気で信じています。言い換えれば、気は存在すると信じているというべきか。
オシャレに言えば、「知は力なり」とフランシス・ベーコンなのです(オシャレなのか?)。
たとえば「水を飲む」という行為1つとっても、同じように水を飲んでいて、結果が出る人、出ない人の違いは何かと言えば、シンプルに頭の中身の違いです。
頭の中身の違いというと、頭の良し悪しみたいですが(いや、それもあるのですが)、知識や理解や信念やパラダイムということがポイントなのです。
それらをひっくるめて情報と呼んでしまい、その情報が物理空間に影を落とすときに、違いが起こるのです。
目が不自由だと、物理空間しか見えません。
いや、もっと言えば、頭が不自由だと物理空間しか存在しないとしか思えません。
いや、より正確に言えば、そう思い込まされてきたので、物理空間しか存在しないと思ってしまうのです。
昔の人が山の向こうは存在しないと思ったのと似ています(本当にそう思っていたのかは知りませんがw)。井戸の外には世界はないのです。
物理以外に世界はないと思っている人は大勢いらっしゃいます。
それはそれで信仰の自由なのですが(天動説を信じても、地球がフラットだと思っても自由なので)、一度とりあえず情報空間というものを想定してみると、その思考の補助線がいろいろな不思議を整合的に解決してくれますし、実際にいろいろな成功の果実を手にすることができます(煽る意味でもあえて「楽に」と書いても良いのですが、、、。というか、物理空間しか存在しない原理主義者には絶対に手に入らないものがあるのです。楽か否か以前の問題ですね)。
で、「情報空間は存在するんだなー」と思っても、次はその情報空間の歩き方を学ばないといけません。
「地球の歩き方」みたいなガイドブックが必要です。
そのガイドブックは多くは書籍の形で(特に古典で)提供され、一方でソクラテスのような賢人がちらほらといらっしゃいます。
ガイドブックとガイドですね。
*ソクラテスに鍛えられたプラトンというシェルパ(ガイド)と、そのプラトンに鍛えられたアリストテレス。アリストテレスはアレクサンダー大王のシェルパをつとめました。
なぜ歩き方を学ばないといけないかと言えば、ある知識を得たり、ある情報を得るためには、その場所まで行かないといけないからです。
情報を軽くbitで考えている人は、何かを勘違いしています。
bitはひとつの物理への写像です。
情報空間はもっと鵺(ぬえ)のような、取り付く島もないようなものです。というか、そこに行った人だけが共有できる何かがあるのです。これは別に気功に限らず、人間の活動はすべて同じです。
たとえば、教師が「問い」だけをポンと渡すと、「答えを教えてください」と二言目には言い出す人がいますが、聞いても理解できないのです。そこに行かなければ分からないのです。
プディングの味は(何度、聞いてもわからず)食べてみないと分からないのです。
ですので、答えだらけの回答集のようなものをすでに手にしているにも関わらず、「答えが知りたい、、、」とうめいたりするのです。
(これは別にスピリチュアリズム的に、「答えはすべて内にある」と言いたいわけではありません。目の前にあるのに、見えていないということです。答えは外にあることが多いです)
大人になると、小賢しさが増してきます。そうすると、純粋さや無垢さから離れてきます。
壁を作って、その中でお遊戯するのが好きになっていきます(井戸の中と言い換えても、洞窟の中と思っても良いのですが)。
逃げ恥で平匡がこんな風に言います。
自分が人との間にいつも壁をつくってきて、自分が傷つかないようにしてきたことを自覚しながら、こんな風に言います。
(引用開始)
壁の内側は
快適だったん
ですよ
暑くもなく
寒くもなく
大きな刺激のない
誰かに 心乱される
ことのない世界
誰になんの期待もされず
なんの責任もない
孤独だけど心地よい世界
(引用終了)(p.122「逃げるは恥だが役に立つ」)
でも、そんな平匡もΘリンクのおかげで、別な宇宙とつながります。
壁に囲まれた宇宙からほかの宇宙と繋がります。
逃げ恥の物語は、一見ハッピーそうですが、他の宇宙とつながるってこんな感じですwww
最近の強烈な「その日 人類は思い出した」出来事は、農業革命とは、我々が農産物を家畜化したのではなく、我々が農産物に家畜化されたということですね。
(引用開始)
農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
では、それは誰の責任だったのか?王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。
犯人は小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。
(引用終了)(ユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』5章)(引用にあたり、勝手に改行を入れています!)
c.f.ペシミズムやオプティミズムは、その思想とともにことごとく単なる病気の兆候でしかない(チェーホフ2019年05月28日
パンを食べているのではなく、食べさせられているのです。
海水を飲み続けてるかのように、小麦を食べさせられ続けています(まあ、小麦は美味しいですけどw)。
そんなわけで、我々としては楽しく知識の世界を歩いて、その影が物理空間にまで写像しているのを眺めて、その成功の果実を楽しめば良いのですが、、、、、、でも、絶望的な気分になることはよくあります。
登ろうとしている山の大きさと、遠さに比べて、自分の一歩があまりに小さいことに絶望するのです(そんなの絶望のうちに入らないというマッチョな意見は歓迎ですが、本人にとっては大きな問題です)。
ですので、そんなときのためのシンプルなアドバイスです。
遠くまで歩きたいと思ったら、、、、、右足を出し、左足を出し、また右足を出して、左足を出すことです。
それを繰り返し、遠くを見ないことです。足だけ見ていてもOKです。
アディトレでは、その足を出す行為に喜びを見出すように言います。大きな壮大な目標の臨場感を高めても、絶望が膨らむだけの人はたくさんいます。もしくはゴールを設定しただけでお腹いっぱいの人も。
そうではなく、足元を見つめ、一歩一歩を楽しむことです。
繰り返しますが、楽しむことです。
(引用開始)
「なあ、モモ、」と、ベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、
こう思ってしまう。」
しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。
「そこで、せかせかと働きだす。どんどんスピードを上げていく。ときどき目をあげて見るんだが、
いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。
心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて動けなくなってしまう。道路はまだ残って
いるのにな。こういうやり方はいかんのだ。」
ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎの
ひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひと掃(は)きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
またひと休みして、考えこみ、それから、
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだ。たのしければ仕事がうまくはかどる。こういう
ふうにやらなきゃあだめなんだ。」
そしてまたまた長い休みをとってから、
「ひょっと気がついた時には、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやって
やりとげたかはじぶんでもわからんし、息もきれてない。」
ペッポはひとりうなづいて、こうむすびます。
「これがだいじなんだ。」
(ミヒャエル・エンデ『モモ』pp.52-53)(引用終了)
c.f.気功技術「Echo(エコー)」とは音と光が響き渡る大聖堂のごとく 2016年03月10日
重要なのは、「つぎのひと掃(は)き」のことだけを考えることです。
急いではいけません。一気にやろうとしてもいけません。
とても長い道のりに絶望して、急いだらすぐに息切れを起こします。
でも、ひと掃きひと掃きを考えると、気付いたら終わっていて、どうやってやり遂げたかもわからず、息もきれないのです。
ただひたすらに次のことだけを考えると、楽しくなってくるのです。
ここが重要です。
報酬系が刺激されドーパミンが、、、、などと小賢しく考えなくてもOKです(考えてもOKです)。
これがアディトレの肝です。
オンラインメンターの教材が数カ月分溜まってしまい、ブログも最近全然読めていない、、、と思ったら、とりあえずメンターのリンクをクリックして、パスワードを打ち込むことです。
いや、配信のメールを探すことだけからスタートしても良いです。
Day1 オンラインメンターのVimeo配信のメールを探す
Day2 Vimeoのリンクをクリックして、パスワードを打ち込む
Day3 動画教材をとりあえず冒頭だけ30秒見る
Day4 動画教材をとりあえず冒頭から1分だけ見る
などの牛歩の歩みでも良いのです。
どこかで習慣化すれば良いです。動画教材のタブをいつも出しておいても良いですし、とりあえずダウンロードだけしておくでも良いです。
音声ファイルをスマホい入れて、とりあえず通勤中に30秒だけ聞くでも良いのです。
ブログは、、、、、、、読まなくてOKですw
メンター生はメンター教材だけに集中しましょう。
一度に全部のことを考えてはいかん、次の一歩のことだけを考えるんだ。 すると楽しくなってくる。これがだいじなんだ。たのしければ仕事がうまくはかどる。こういう
ふうにやらなきゃあだめなんだ。
子供が電車の名前を全部覚えたり、車種が見分けられたりしますが、それは途中過程を知らないから驚くだけです。
ひとつひとつ覚えていっているだけで、それが楽しいから覚えているのです。
子供はまちがっても「全体でいくつあるんだろう、、、、どれだけ覚えれば両親は喜んでくれるだろう、、、」とか考えません。
単に楽しいからやっているだけです(中学受験などもその延長線上でゲーム感覚でやっている子が上位校い行きます)(中学受験と言えば、「2月の勝者 ー絶対合格の教室ー」は面白いです)。
身体を鍛えるのも同じです。
アディトレも同じです。
水を一杯飲むこと、壁に向かって一回ウォールプッシュアップをしてみることだけから、スタートしてください。
最初は牛の涎のようにダラダラやると、うさぎをあっさり追い抜く亀になります。それも息切れ無しで。
最初に飛ばすと、息切れしかしません。
人生は線形的にリニアに伸びるのではなく、指数関数的なものです。継続は力の力とは、単数ではなく複数Powers(累乗)ということです(違うけどw)。
【書籍紹介】
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ドラゴン桜も是非w
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最近、すごく面白いのが蒼井優さんと結婚された山里亮太さん(南海キャンディーズ)の天才論(いや、天才論としては書いていないのですが、明らかな天才論になっていると僕は思います)。
非常にタメになります。僕は少なくとも繰り返し読んでいます( ー`дー´)キリッ
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天才はあきらめた (朝日文庫)
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