天才数学者でありインドの魔術師と言われたラマヌジャンに、魔術師ニュートンを思い出す | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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インドの天才数学者ラマヌジャンに、ニュートンを思い出しました。

ニュートンは若い頃、ユークリッド原論を読んで、「こんな簡単なことをくどくど説明する必要があるのか?」と意味のことを言い笑ったそうです。

ラマヌジャンもまた直観の人でした。
だからこそ、証明をしなければいけない理由がわかりませんでした。


*ラマヌジャン役のデヴ・パテルが本人と全く似ていませんw

ラマヌジャンは独学で数学を学び(数学公式集一冊を繰り返し読んだそうで)、そこから独力で自分の数学理論を立ち上げ、それがケンブリッジに飛び火しました。
インドの田舎から、ケンブリッジへの大躍進です。シンデレラ・ストーリーですね。イギリスはまだ世界の中心でした(極東の似たような島国から喧嘩を売られるまでは)。
スイスの特許局の事務員からチューリッヒ大学の助教授(からのノーベル賞受賞)もまたすごい飛躍ですが、インドの片田舎の(とは言えバラモン階級)経理から、ケンブリッジへの招聘、そしてフェロー、王立協会会員もまたすごいことです。



そのようにして、インドからケンブリッジに飛び火したのはいいものの、ケンブリッジの風は冷たく(物理的にも精神的にも)、衰弱し結核になり、インドに帰国して1年、32歳の若さで死にます。

神々に愛されし者は夭折す、という古い言葉を思い出します。

ラマヌジャンの若い死は「僕にはもう時間がない」 (je n'ai pas le temps)と20歳で死んだガロアを思い出します。(死んだというか、殺された、、というか勝てない決闘のためなので、、、自殺に近いのか)


*「僕にはもう時間がない」 (je n'ai pas le temps)


夭折(ようせつ:若くして死ぬこと)は本人のためにも、数学のためにも、世界のためにも非常に惜しいことです。


*こちらのラマヌジャンのほうが、ラマヌジャンのイメージですね。中央の青年です。

ラマヌジャン同様にニュートンもまた証明を軽視したことはケインズによって示されました。
ケインズというのは経済学者として知られるジョン・メイナード・ケインズです(今月の寺子屋というか、今週開催の寺子屋でもケインズ経済学を扱います!)。ケインズはニュートン研究でも有名でした。というか、錬金術師として最後の魔術師としてのニュートンのイメージは20世紀以降のものです。近代科学の父の裏の顔はケンブリッジがひた隠しにしてきたものであり、それをケインズが暴露しました。


*ニュートン研究でも有名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズ


ラマヌジャンが直観を大切にし、そして証明を軽視したように(というか、証明というシステム自体を知らなかったので)、ニュートンもまた同じでした。

このブログの読者にはもうお馴染みというか、耳タコでしょうが、ケインズのニュートン評を引きます。

(引用開始)
それから、彼はすぐれた数学の専門家であったから、説明のためには望むとおりの表現をそれに与えることができたのであるが、しかしすぐれて非凡であったのは、彼の直観であった。ーー「彼は推測がきわめて巧みであったから、」とド・モルガンはいった、「おそらく彼がどうにかして証明することができた以上のことを知っていたようにおもわれる。」証明はそれにはそれとしての価値があるとしても、すでに述べたとおり、あとから仕上げられたものであった。ーーつまり、それは発見の手段ではなかったのである。彼が天体運動のもっとも基本的な発見の一つをハレーに知らせたときの話がある。「なるほど、」とハレーは答えた、「しかしどうしてそれがわかりますか。あなたはそれを証明したのですか。」ニュートンはびっくりしたーー「なに、そんなことはもう何年も前からわかっているのです」と彼は答えた、「二三日待って下されば、きっとその証明を見つけますよ。」ーーやがて彼はいったとおりにしたのであった。(引用終了)(pp.317-318 ケインズ 「人物評伝」岩波書店)

ニュートンが天体運動のもっとも基本的な発見の一つをハレーに知らせたときの話しです。
ハレーは当然のこととして、どう証明したかを聞きます。
ユークリッド以来の伝統として、我々は証明された命題を真とするからです(余談ながら、、、とは言え、その中心というか、そのトップにあるのが実は証明されていない「公理」というものであることは、あまり良く知られていません)(ちなみにこれこそがOnLine ReCord「魔法の時間」で話題にあった中心にあるランダムネスの一つです)(中心がランダムであっても、公理系というのは成立するのです。そのランダムを真と要請すれば良いからです。そして、その公理と矛盾する別なランダム性をまた中心においても良いのです。その良い例がリーマンがつくった公理系であり、ガウスやロバチェフスキー、ボヤイ父子がつくった公理系です)

プラトン的な世界観というのはその意味では証明をあまり必要とせず、必要なのは直観なのかもしれません(ニュートンの先生であるバローは熱心なプラトニズムでした。ニュートンの絶対時間、絶対空間はこのバローから引き継いでいると言えるかもしれません)。

証明を必要としない世界にいるニュートンにとっては、ハレーの言う「しかしどうしてそれがわかりますか。あなたはそれを証明したのですか。」という質問は驚きをもって受けとめられます。


*エドモンド・ハレー。彼が自費出版しなければ、プリンキピア・マテマティカは日の目を見ず、その影響は甚大だったかと思います。


ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、1665年ごろであり、23歳ごろのことです。
ハレーに促され(ハレーが資金を用意して)書き上げたのは、1687年(45歳)です。1年半かけて書き上げたそうです。

ここで驚くべきはニュートンが完全にユークリッド原論を踏襲していることです。
(僕はパロディと表現しますが)

ニュートン力学の嚆矢(こうし)となった「自然哲学の数学的諸原理」(プリンキピア・マテマティカ)は冒頭が定義から始まります。物質量、運動量、向力などを丁寧に定義して、次に公理(Axioms)と続きます。
ニュートンが「公理(Axioms)または運動法則」と書いていることからも、明らかにユークリッド原論を意識しています。


*プリンキピア・マテマティカの初版本。

これは定義・公準(・公理)からスタートするユークリッド幾何学そのものです。
ちなみに我々がいま公理と呼んでいるものは本来は「公準(要請)」です。

いわゆるユークリッド幾何学で言う公理とは「同じものに等しいものは、また互いに等しい」というようなものです(この第一公理を引用していたのが、スピルバーグの映画「リンカーン」の中のリンカーンでした)。


*ゲスティバークの演説をピークに持ってこない稀有なストーリー構成です。感動的です。
*ユークリッド原論の第一公理をさり気なく引いて、黒人と白人の平等を伝えます。


ニュートンのユークリッド原論への執着は冒頭にとどまらず、証明全体にも及んでいます。
当時自分が開発した数学である微積分(流率法)を使わずに、あえてユークリッド幾何学で証明を子組み立てます(ですから当時から無駄に難解でした)(プリンキピア・マテマティカはいつかきちんとセミナーなどで、読んでみたいと思っていますが、、、、まあ、そのときはファインマン先生に登場願うつもりです)。


*ユークリッド幾何学で証明されたプリンキピア・マテマティカ

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ニュートン自身は、万有引力の法則の発見以上の時間を、証明を書き記すのに費やしています。
ガウスは「建物が完成したら、足場は取り除かなければいけない」と言っていますが、ニュートンは全く別の足場を作り上げたと言えます。

ラマヌジャンもなぜ証明にエネルギーを注がなければいけないのかわからなかったでしょう。
それは、ニュートンも同じでしょう。
だからこそ盟友ハレーの言葉にびっくりするのです。

ラマヌジャンもハーディの言葉に驚き、そして(映画の中のラッセルによれば)心を折られます。

しかし、魔術を共有しようとしたら、共有された言葉で、共有された地平にわざわざ降りていってそこから積み上げていくしかないのです(その積み上げの中で、圧倒的な飛躍があるにも関わらずです。積み上がった先にあるのではなく、跳躍の先にあるのであり、降りていくことはできても、上がっていくことは不可能です)。ラマヌジャン自身も自分の定理の多くの誤りをその証明の過程で知ることができました。

ただ、そのような迂遠な作業に貴重な時間を注ぐことなく、もっと自分の天才性を発揮できる場所はあるはずだと思うものですが、しかしこのあえて抽象度の階段を降りていく作業が、結果的には自身の抽象度を上げる結果につながると思います(というか、そう信じるしかやってられないとも思います)。

(超余談ながら、、、、頭の良い人々は頭の良い人々だけで集まり、そこで議論を(生活も)完結させることができます。トッドの言うように、識字率の向上は民主主義をもたらしますが、識字率の向上はまた深刻な二極化をもたらします。二極化された双方のコミュニティ同士のコミュニケーションがなければ、支配層は交代を強いられるます。言い古された言葉でしょうが、いかに人間とつながるかが重要であり、声にならない声を聴くかが重要です。エリートが信奉する民主主義によって裏切られたからと言って、それを安易にポピュリズムというのは知的な自殺です。自分には何が見えていないのかと問うのが、知的態度かと思います)


*分かりやすい解釈に飛びつくのではなく、まず現実を丁寧に観ることが始めるべきかもしれません。


同じトリニティカレッジ(ケンブリッジ)で学んだニュートンとラマヌジャンは双方とも魔術師と呼ばれ、双方とも証明を経ない直観を重視しました(そしてどちらも深く神を信奉していました)。私見ながら、アルゴリズムの感覚は信仰に似ているのだと思います。絶対的他者(である神、もしくは神の構築物)に圧倒的な論理的整合性を観るのが「アルゴリズムの感覚」だからです。
(アルゴリズム感覚とも言うべきものこそが、頭を良くするためにも、加速学習にも、気功にも不可欠です。OnLine ReCord第3弾のテーマも「アルゴリズムの秘密」です!)


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*数学者を扱う映画は多いですね〜
嬉しい限りです。
歴史を学ぶときに、まずイメージを持つことは大事です。
たしかに、強い先入観を植え付けられるかもしれませんが、それでも素早く学ぶのには効果的だと思います。

最近の映画だけでも、ホーキング博士、チューリングなどがあります。





ちょっと前ですが、ナッシュも感動的でした。


*僕はこのBeautiful Mindのあのエピソードが今回のラマヌジャンのあのラッセルのジョークの下敷きになっているのではと思いました。いや、本当にラッセルがそう言ったのかもしれませんが〜。



ラマヌジャン役のデヴ・パテルもこのブログでは何度か紹介しています。

まずはスラムドッグ・ミリオネア!



そして、チャッピーです。