【明日開催!!】寺子屋は「音楽と芸術から観る『美学』〜剽窃と変奏〜」 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

*明日6月26日(金)に追加開催を決定!!

美学前篇は音楽を中心に美学をやります!!!

お楽しみに!!!!!!


今回のテーマは美学です。音楽と芸術から「美学」を考えます!!



美学とは哲学の一つのジャンルです。
Wikipediaには美学とは「美学(びがく、英: aesthetics、またæsthetics、estheticsとも、希: Αισθητική 、「感性の学問」)とは美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域である。」とあります。

しかしプラトンやカントにさかのぼる哲学の一分野としての美学を語るのではなく、今回は「音楽と絵画」を中心にその歴史的展開に焦点をしぼって語ります。音楽と絵画と言っても西洋のみです。西洋音楽、西洋絵画です。

音楽と絵画というのはいわゆる天才たちのきわめて個別的なオリジナリティーが発揮されたものですが、非常に巨視的に見ると大きな流れが明確にあります。



その流れは抽象度に対応しているように見えます。具体的に言うなら、抽象度の階段をひとつひとつ上がっているようにすら見えます。あたかもヘーゲルが歴史を神の(もしくは理性)の顕現と見たのと似ています。


ヘルメス神と同様に、理念は真に諸民族と世界の指導者であり、その案内者の合理的にして必然的な意志たる精神は、世界史のもろもろの出来事を現在、指揮するものであるし、また過去もそうであった。(歴史哲学)

哲学が歴史の観照のために携行する唯一の思惟は、理性という単純な概念である。すなわち理性が世界の主権者であり、したがって世界史はわれわれに合理的な過程を呈示する、ということである。(歴史哲学)



時代から自由ではないというと言い過ぎかもしれませんが、次の時代を切り拓こうとするのが芸術家の仕事であると考えるならば、おそらくは理解しやすいのではないかと思います。

ピカソは別の時代に生れていたら、我々が見ているようなピカソにはならなかったでしょうし、モーツアルトが現代に生れた異なる作品を作り上げていたでしょう。

”Zero to One"のピーター・ティールに言わせれば、次のピカソはキュビズムを創り上げることはない、とでもなるでしょう。

(引用開始)
ビジネスに同じ瞬間は二度とない。次のビル・ゲイツがオペレーティング・システムを開発することはない。次のライリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが検索エンジンを作ることもないはずだ。次のマーク・ザッカーバーグがソーシャルネットワークを築くこともないだろう。彼らをコピーしているようなら、君は彼らから何も学んでいないことになる。
 もちろん、新しい何かをつくるより、在るものをコピーする方が簡単だ。おなじみのやり方を繰り返せば、見慣れたものが増える、つまり1がnになる。だけど、僕たちが新しい何かを生み出すたびに、ゼロは1になる。何かを創造する行為は、それが生まれる瞬間と同じく一度きりしかないし、その結果、まったく新しい、誰も見たことのないものが生まれる。(ピーター・ティール「Zero to One」)

Every moment in business happens only once. The next Bill Gates will not build an operating system. The next Larry Page or Sergey Brin won’t make a search engine. And the next Mark Zuckerberg won’t create a social network. If you are copying these guys, you aren’t learning from them. Of course, it’s easier to copy a model than to make something new. Doing what we already know how to do takes the world from 1 to n, adding more of something familiar. But every time we create something new, we go from 0 to 1. The act of creation is singular, as is the moment of creation, and the result is something fresh and strange.


芸術家は「在るものをコピーする」のではなく、「まったく新しい、誰も見たことのないもの」を創造する行為です。
それは未来を創りだす行為です。ではどうやって「まったく新しい、誰も見たことのないもの」創りだすかと言えば、その方法は逆説的です。

ピカソとモーツアルトというオリジナリティーあふれる天才が象徴的です。
そのオリジナリティーの源泉は煽情的な言い方をすれば「剽窃」、音楽的に言えば「変奏」、もしくはRemixということなのでしょう。旧約聖書にはこうあります(伝道の書1:9-11)


先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。



ただその組み合わせは無限です。
天才の組み合わせはもちろんランダムなどではありえず(猿がタイプライターを叩いてもシェイクスピアは生み出せません。天文学的な確率ですので、ほぼゼロと言って良いので)、ある意味で別の次元、別の抽象度から来るかのようです。Remixの見事さ、変奏の見事さです。

There are more things in heaven and earth, Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy.

(天と地の間には、ホレイショーよ、お前の哲学が夢見る以上のものがあるのだ)(ハムレット1幕5場

組み合わせ爆発というのは、宇宙的規模です。猿のタイプライターがシェイクスピアを生み出さないのは、組み合わせ爆発が宇宙よりはるかに大きいからです(ここらへんの議論は抽象的で申し訳ないのですが、単に時間がないためです。興味があれば「宇宙をプログラムする宇宙」などを読んでください。ポイントは組み合わせ爆発はメチャクチャ大きいってことです)。

そうすると、あの映画「アマデウス」のモーツアルトの甲高い笑い声が聞こえてくるようです。
先日紹介したサリエルとアマデウスの対決です。サリエルの作曲を凡庸と切って捨て、それを鮮やかにその場で創り変えます。



ピカソも同じエピソードに事欠きません。
描きかけの作品を一目見るとその意図を見抜き、それをより洗練させて翌日に完成させて持ってくるそうです。「君がやりたかったのはこれだろ」と。

まさに、「凡人は真似、天才は盗む」を地で行きます。

芸術というのは真に情報空間の存在を、物理的現実世界に写像させる作業なのだと痛感します。物理的現実世界に写像しない限りは情報空間は共有できないからです。

大きな流れとしての歴史が実在し(ヘーゲル的な意味で実在し)、あたかもその巨大な作品を創るかのように個々の孤高の天才たちが変奏を重ねながら、抽象度の階段を登るという点では見事に一致する様を寺子屋を通して俯瞰できたらと思います。

寺子屋の記念すべき50回目は「音楽と絵画から観る『美学』~剽窃と変奏~」です。


~音楽と芸術から観る「美学」~剽窃と変奏~
【日時】 6月19日(金)金曜日 19:00~21:30(延長することが稀にあります)
追加開催決定!! 6月26日(金)金曜日 19:00~21:30(延長することが稀にあります)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」セミナールーム
【受講料】 20,000円(銀行振込)
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と向上心と情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。


【参考書籍】
指定するとしたら、これからテキストは指定します。以下は上記の議論のための参照書籍です。
ピカソ 剽窃の論理 (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

¥1,350
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*世界は音と光に満ちています。絵画と音楽の歴史を我がものとすることで、認識の壁を突き破り、眼前に広がる美しい世界を眺めましょう!!