ただ最近、平和なせいか、暇なせいか、そして本人が気付いてか気づいていないのか分かりませんが、スピリチュアリズム君(さん)が跋扈しています。
「有害なので止めて下さい」というわけにも行かず、放置せざるを得ませんが、イライラさせられることは事実です。
「社会に益しない人間が一番偉そうという」法則はどの世界でも成り立つのではないかといつもながら思います。
スピリチュアリズムを厳密に定義するのは厄介ですし、スピということが差別になっても本意ではないので、今後はあまりスピ批判はしないつもりでいます。ただ、最近は目に余るスピが多いのは事実です。
それはかつての、そして現状の「まといのば」のメンバーも同様です。
以前であればスピリチュアリズムの類について言及するなり、それらしいことをしたら一発で除名というか除籍というか、出入り禁止でしたが、最近は面倒なのでやめています。やめさせるにもコストがかかります。それは面倒なコストです。
こういう話をすると、関係ない人が大反省したりして、それを「まといのば」では誤爆と言っていました。実際の誤爆は落とした方が悪いですが、情報空間の誤爆は落とされたと勘違いしたほうが悪いような気がしますが、その火消しにまた面倒なコストが生じます。
面白いことに爆弾を落とした当該の団体なり人間は蛙の面に水であったりするので、落とし損、誤爆損、火消し損で、三方丸損です。

*世界初の核実験であるトリニティ実験ですね。核実験に関してはこれまでの殺傷兵器の発明とは完全に異なり、科学者による科学者のための科学者の実験でした。科学者の社会的責任が言われるのは当然だと思います。自分たちの実験と好奇心に国家や政府を巻き込んだわけですから。
じゃあ、ここでどの団体なり、人物がスピリチュアリズムと言えるかを公表するというわけでもありません。
そんなのは自分の目と知性で判断して欲しいと思うからです。
この「まといのば」自体もある基準から見れば、完全にオカルトでありスピリチュアリズムのど真ん中に見えます。気功を標榜していますし、封入、結界、浄化、伝授などを教えると公言しています。そこだけを取り上げれば、オカルト教(狂?)でありスピリチュアリズムと後ろ指刺されても仕方ないと思っています。
科学的にとか、学問的にと言えば言うほど怪しさが増していきますしw
他も同様です。
スピリチュアリズムやオカルトに絡め取られない最善の方法は、知性なりIQを鍛えることでしょう。しかし実際にもっと現実的には、感染して免疫をつけるしかありません。ただ免疫を付ける前に不治の病になる人のほうが多いようにも思いますが。
ざっくりと言えば、科学、宗教、哲学を学問としてきっちり学ぶことが最も良い予防接種になります。しかしこれは日本で軽視されている3つでもあります。
そしてこれらの学びは相当な時間と情熱を注がないと結実しないものです。3日で学べるものでも2時間で学べるものでもありません(自身の寺子屋を否定しているわけでも、disっているわけでもありません。寺子屋で予習・復習は前提ですし、学び続けることは前提です)。
IQは簡単に上がるとか、哲学や宗教のゲシュタルトはすぐにできると煽ったのは「まといのば」自身であり、その責任は痛感しています(少しだけ)。
ただそれは、哲学や宗教、科学は自分たちに無縁であり、学ばなければいけないのはわかっているけど、最初から無理と諦めている人に対する応援歌であり、煽りです。実際にまじめに学べば、その知の世界の広大さに目が眩み、絶望するのは必定です。
知れば知るほど、無知を実感するのです。それは良いことです。
本当に何も知らない人に限って、偉そうに全知のごとく振る舞いますw
気になっているのは、非常にたまに特殊な人がいて、教師の板書をノートに写し、それを自分のセミナーの板書に写せば良いと思っている人がいます。地獄を見ながら頭で咀嚼しろよ、とつぶやきたくなります。安易に右から左ではアウトです(どうアウトかと言えば、マーケットからきっちり報復されるという意味でアウトです)。ブログの完コピのほうがまだマシかもと思えるレベルです(^^)
A・ピアスの悪魔の辞典に、大学の授業か何かの項目で、「教師のノートから、生徒のノートへの転写、誰の脳も通過せず」というような記述がありました(記憶からの引用ですみません。調べる手間を惜しみました。面倒なので)。非常に面白いと言えます。
大学の先生の中には何十年と同じノートをひたすらに読むという方もいらっしゃるそうで、都市伝説かと思いきや事実であることに驚きます。そんな機能を厚顔無恥にもさらしている企業が凋落していくのは当然です。伝統とウブなカスタマーに支えられているビジネスなので、凋落がゆっくりなだけでしょう(フォローではないですが、僕の母校は毎回授業は新鮮な素材、教材で授業をされている先生方が多くいらっしゃいました。古典なりご自身が書かれた書籍を教科書にされていても、その話題や切り口は新鮮でした。ライブ感にあふれており、いまの「まといのば」の原型ははリベラル・アーツを標榜するこの大学の授業にあると思っています)。
いまさっき学んだことを、鵜飼いの鵜のようにいま吐き出して、それで事足れりとするのはいかがなものでしょうか。いやいやそれだけの才能と能力があるならOKです。もちろんそれを判断するのは、提供者とそのカスタマーです。抽象的に言えば、マーケットが判断します。ですので、時が結果を出力してくれるのを楽しみに待ちます。
この数年ほど、「まといのば」のメンバーの開業支援をしてきましたが、そこで学んだことを還元していきたいと思います。学んだというのは穏やかな言い方であり、正確には自分の間違いに気付けたということです。僕自身が多くの誤解をしており、その誤解が解けた日々でした。もちろん、少なくない代償と共に(高い授業料でした)。同じ轍を踏まないことが、飛躍的な成長のポイントです(というか、ほとんどの人は開業してすぐに廃業します。事実として)。
おそらく7月に行う開業関連のセミナーでは、より深くそのあたりについて議論します。お楽しみに。
というか、スピリチュアリズムの跋扈から話がずれました。
とはいえ根っこは同じです。
ほとんどのスピリチュアリズムは頭の弱さと短絡です(そうではないハードコアなスピリチュアリティは存在します。しかしそれにはほとんどの人はアクセスできないので、心配する必要はありませんw)。で、そういう人が鵜飼いの鵜のようなビジネスモデルを取りながら、沈んでいきます。これには警鐘を鳴らしていますが、まあ響かなければ仕方ありません。いずれにせよ、上司より教師より苛烈なのはマーケットだと僕はいつも思います。
価値を想像し、顧客を創造することに専念しましょう。他はあとからついてきます。