ピンと来る人は来ると思いますが、ジジェクの「暴力」からの一節です。
ジジェクらしいジョークです。
開業コーチングはいよいよ後半戦ですが、11月頭からいろいろなことがありすぎて、ようやくここに来て無理矢理にでも落ち着いて、コンテンツを学び始めたいと思います。
開業コーチング2期の初回のセミナーでも紹介したのがこのジジェクのジョークです。後述する著書「暴力」にからめて開業コーチングのセミナーで紹介しました。
ちなみにジジェクの「暴力」をざっくりとまとめるならば「われわれに求められるのは、前のめりにならないこと」「暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている」ということかと思います(共にp.10の序文より)

それはさておきジョークの話です。
まずはサルトルの真剣な話からスタートです。
サルトルの「実存主義とヒューマニズム」の一節です。
そこで、サルトルは1942年のフランスに生きるある若者を描きます。
サルトルは真面目です。いつでも真面目です。存在について考えていたら、マロニエの樹の根本に嘔吐してしまうくらい真面目です。
その1942年のフランスに生きる若者は2つの事象に引き裂かれます。
1つは未亡人で病弱の母親を助ける義務と、もう1つはレジスタンスに参加しドイツ軍と戦う義務です。
僕等ならば両方ともhave toなら両方共放棄してしまえと思いますが、純粋な若者は悩みます。
ここでサルトルが言いたいのは絶対的な回答は無いということです。
というのが真面目な話。ジョークのための前奏。
しかし、ここでジジェクはこんな第三の道を提示します。
それはこんな助言です。
「母親にはレジスタンスに参加するといい、レジスタンスの友人には母親の面倒をみるといいなさい、そして実際には人目にふれない場所に引っ込んで勉強すればいい」
というジジェク本人いわく「破廉恥な」助言をした上で、こんな「レーニンをめぐる有名なソヴィエトのジョーク」を紹介します。
以下に、長いですが引用します。
(引用開始)
この助言には、やすっぽいシニズム以上のものが込められている。ここで思い出されるのは、レーニンをめぐる有名なソヴィエトのジョークである。社会主義のもとでの、若者に対するレーニンの助言、若者はなにをするべきかという問いに対する彼の答えは、「一にも二にも勉強」であった。この助言はたえず引用され、学校の壁にも掲げられた。ジョークはこれをふまえたものであった。」
(引用中断)
ここまでが前置き。ここからがジョークです。
(引用再開)
マルクスとエンゲルスとレーニンが、奥さんと愛人どちらをもちたいか、ときかれる。私的な問題に対しては保守的であったマルクスは、予想通り「奥さん」と答える。それに対し、享楽家であったエンゲルスは、愛人を選ぶ。そしてレーニンは意外にも「両方」と答える。なぜか。厳格な革命家というイメージの下に退廃的な享楽家が隠れていたからか。そうではない。彼はこう説明する。「両方いれば、奥さんには愛人のところへ行ってくるといえるし、愛人には妻のところへ帰らねばといえるからね・・・・・・」。「それで、あなた自身はなにをするのです?」「ぼくは人里離れたところに行って、一にも二にも勉強さ!」。
(引用終了)
僕らも一にも二にも学び続けましょう!!!
僕(私)は若くもないしなどと言う不埒な人には、こんなアランの言葉を最後に送ります。
アランとは言ってもアラン・チューリングではなく、アラン・ドロンでもなく、哲学者のアランです。
(引用開始)
私がミケランジェロのような人をりっぱだと思うのは、自然のたまものを手にとりなおして、安易な生活を困難な生活と化す、あの激しい意欲のゆえである。この無愛想な男は、何かを学ぼうとして学校へ行ったときには、すでに髪がまっ白だったといわれる。
(引用終了)
これはやはり引用文も含めて、後半を一気にすべて引用したほうが良い文章です。
アランは激しく「一にも二にも勉強」って言っています。
(引用開始)
「学ばざりしぞ口惜しき。」これは怠け者の言いわけである。それなら勉強するがいい。もう勉強しなくなれば、かつて勉強したことがあっても、それをたいしたことだとは思わない。過去に期待をかけるのは、過去を嘆くのとまったく同様、愚かなことだ。できてしまったことは、それを出発点とすることができればこれほど好都合なことはないし、それに囚われるならば、これほどけしからぬことはない。それどころか私は、不運に身をゆだねるより好運に身をゆだねるほうがむずかしいとさえ考えたいくらいだ。あなたの揺篭がすばらしい妖精たちで飾られたら、用心するがいい。
私がミケランジェロのような人をりっぱだと思うのは、自然のたまものを手にとりなおして、安易な生活を困難な生活と化す、あの激しい意欲のゆえである。この無愛想な男は、何かを学ぼうとして学校へ行ったときには、すでに髪がまっ白だったといわれる。このことは、優柔不断な人たちにとって、いつでも発奮するのにおそすぎることはないと教える。そして、船乗りに向かって、最初の舵の動かし方で一航海全部が左右されるなどと言ったら、笑われてしまうだろう。それなのに、世間では子供たちにそう教えこもうとしている。しかし幸いにして、子供たちはほとんどいうことをきかない。もし彼らが、空論的な観念を形づくり、一生のあいだ、bとaでbaとなるというような遊戯にふけることにでもなったら、それこそたいへんである。こういう有害な観念は、子供のころは別にどうということもないが、あとになると害をおよぼす。それは弱者の言いわけであり、弱者をつくるものだからだ。まことに宿命とはメドゥーサの頭である。(一九二二年一二月一二日)
〈引用終り〉
pp.75-76 アラン 「アラン著作集2」 串田孫一 中村雄二郎訳
岩波文庫では「ああ、どうしておれは学んでおかなかったのか」となっています。「学ばざりしぞ口惜しき。」のほうが気分が出ますね。
岩波文庫ではpp.80-81です。
船乗りに向かって、最初の舵の動かし方で一航海全部が左右されるなどと言ったら、笑われてしまうだろう。
という部分もいいですね。ラプラスの魔も真っ青ですね。
「この無愛想な男は、何かを学ぼうとして学校へ行ったときには、すでに髪がまっ白だったといわれる。」
サムエル・ウルマンではないですが、青春とは人生のある時期ではなく心の在り方です。
我々も一にも二にも勉強です!!
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