【5期】メーリングリストでのやり取りより 〜アンチ・オイディプスと経済学〜 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

5期のヒーラー養成スクールでは事前学習を開始しています。
それが、メーリングリスト上でのレクチャーです。現在第2弾が公開中ですが、それに対して受講生から「ドゥルーズ=ガタリのアンチ・オイディプスを思い出しました」というフィードバックを頂きました。

この方も指摘されていますが、「アンチ・オイディプス」の副題は「資本主義と分裂症」です。

以下にメーリングリストで「まといのば」の講師が返答したメールをそのまま掲載します(と思ったのですが、ずいぶんと加筆修正しました)。

5期の受講生からのメールに対する返信です。

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ドゥルーズとガタリの名前が出てきて嬉しいです。

おっしゃるとおり著書「アンチ・オイディプス」は副題が「資本主義と分裂症」であり、まさに今回のテーマにふさわしいですね。ドゥルーズ=ガタリが否定した方法とは違う文脈で彼らの言っていることが示されてきたのが現代と言えるかもしれませんね。
脳科学は「自由意志」を否定せざるを得ず、行動主義は結果的に脳の合理的判断を否定しています(してしまった行動をあたかも合理的判断に基づくかのように偽装するのが得意なのです。子供の言い訳と同じです)。

ドゥルーズ=ガタリ(二人で一人ですよね。プラトンの饗宴のアンドロギュロスのようですね。二人が背中合わせで一人になっているようです)は僕にとって(も)ヒーローでした。
それだけにドゥルーズの悲劇的な死(投身自殺)はショックでした。
いま調べたら1995年11月とあります。もうずいぶん前なのですね。昨日のようです。

構造主義批判としてのリゾームであると理解しています(ポスト構造主義という言い方はあまり好きではないのですが)。リゾームとは点と点が有機的につながる地下茎であり、まさにWorldWideWebや路線図と同じくグラフであり(存在論・グラフ理論)、縁起につながると思います(仏教哲学)。マトリックスですね。逆にそれだけ脱中心(脱アプリオリ、脱構造)というのは当時は困難で抵抗が大きかったのかと思います。

フランス現代哲学は哲学に咲いた徒花のような扱いであり、歴史的(哲学史的)にはスルーされています(と思います)。少なくともアラン・ソーカルの悪意あるそしてあと味の悪い事件以降は学問的な権威は失墜したと僕は判断しています。
しかし、アメリカで花開いた様相論理学に端を発する現代哲学の視点から見なおせば、使える部分は多くあると思います。そのまさにクオリアは使えるのです。残りはゴミだとしても。
ポイントはどこがゴミで、どこがリサイクルできるかを見抜く知性でしょう。

これは伝統的な気功や風水に対しての我々の態度も同様です。ゴミを掴まないように、確かな目を持ちましょう。

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メーリングリストで流す文章は顔が見えている仲間同士での内輪のやり取りですので、かなり省略も多く荒い議論になりがちです。

応答が前提ですので、言葉を放り投げそれを受け取り、また返しという反復運動が想定されているので、剥き身の状態で言葉を投げ出します。でも、文章としては半製品です。不完全です(いやいや、「ブログも十分に乱暴で半製品でしょう」という声が聞こえてきます。まあその通りです。また村上春樹ではないですが、完全な文章などないのでしょう、完璧な絶望がないように)。

ブログはそれに対して一回性のものですし、もう少し丁寧に書こうと考えています。もちろんブログを通じて対話が始まるとすれば(それはご自身の中でも、メンバー間でも)それは嬉しいことです。



【書籍紹介】
村上春樹の「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
この有名すぎる言葉の出典を探すのは簡単です。
デビュー作の最初の一行目です。まさに冒頭の冒頭です。

素晴らしい冒頭と言えばアンナ・カレーニナです。
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(なんかこうして引用してみるとそうでもなく思えるのはなぜでしょう)

Amazon.co.jpアンナ・カレーニナ (上巻) (新潮文庫)/トルストイ

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アンナ・カレーニナ (下巻) (新潮文庫)/トルストイ

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Amazon.co.jp(全く関係ありませんが、新国立のアンナ・カレーニナを観てきました)。

デビュー作を高く評価するというのは作家としては嬉しくないのかもしれませんが、デビュー作かどうかとかかわらず僕はこの作品(風の歌を聴け)がとても好きです。何度読んだか分かりませんし、その文体に惹かれた人は多いでしょう。風の歌を聴け (講談社文庫)/村上 春樹

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この文体の良さのなんとも言えない感覚を茂木健一郎氏は「クオリア」と呼んだのでしょう。クオリアというのは霊であるとは、ドクター苫米地の批判です。クオリアといのは科学の対象としてはナイーブすぎ、文学的表現としては適切かと思います。その「感じ」をもっと突き詰めたいと考えています。

クオリア入門―心が脳を感じるとき (ちくま学芸文庫)/茂木 健一郎

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その第一弾が昨日の「はじめての気功」であり、今回の「第5期ヒーラー養成スクール」です。
昨日のセミナーで伝えたことで言えば、「関係」ということです。グレゴリーベイトソンが「精神」とは「関係」であると言った意味で「関係」です(この点については素敵なフィードバックを頂いたのでまた後述します)

精神の生態学/グレゴリー ベイトソン

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精神と自然―生きた世界の認識論/グレゴリー ベイトソン

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話を戻しまして、アンチ・オイディプスです。
アンチ・オイディプスというと実家のリビングの本棚を思い出します。今回紹介した「アンチ・オイディプス」、「差異と反復」、「エクリチュールと差異(デリダ)」が並んでいました。クリステヴァの「ことば、この未知なるもの―記号論への招待」などもCoolだとは思いましたが、数ページで放り出したような記憶があります。唯一繰り返し読んだのは浅田彰さんの(「構造と力」ではなく)「逃走論」でした。
吉本隆明が亡くなり、フェイスブック上で中高時代の友人と語っていたら、吉本隆明、山口昌男、蓮實重彦、浅田彰、柄谷行人、村上陽一郎など、当時の僕らのヒーロー(その中には上野千鶴子、オノヨーコも含まれますが)が思い出されて懐かしかったです。「木々は光を浴びて」の森有正もその「感じ」に深くはまります(かつてブログでも紹介していますね)。
学問的なインパクトというよりは、体験と体感です。

僕の中で学問として概念を再構築してくれたのは村上陽一郎先生でした。豊穣な体験や体感だけでは、抽象度は上がっていかないのです。たとえば、森有正は「どんなバカのなかでも体験は増殖する」というような身も蓋もないことを言っています。体験を経験に変えることが必要であると。体験を経験に変えていく契機は、我々の表現で言えば抽象度です。(ちなみに森有正は僕の母校であるICUで教鞭を取ることが内定していたのですが、パリで客死しました)。

村上陽一郎と言えば、蓮實重彦や養老孟司と並び僕らの世代のヒーローでした。
ヒーローを間近で見たら、想像以上の存在だったというのはきわめて幸福なことです。僕にとってその幸福な一例が村上陽一郎先生です。前述したソーカル事件も、トマス・クーンのパラダイムシフトも、天動説の厳密性も彼から学びました。博覧強記であり、チェロの名手です。僕は在学中に一度、そして皇后も列席された退官記念コンサートで一度聞く機会がありました。
退官されるにあたり、最終講義をコンサートで行うという粋なところが村上陽一郎先生らしさです。
非常にお洒落で女子学生からの人気がありました。当時では珍しい(今も珍しいですが)革のネクタイなどをクールに着こなされていました。奥様がすべてコーディネートされるとご本人はおっしゃっていました。
僕はいつも田村正和さんが演じた古畑任三郎に似ていると思っていました。女子学生に人気があることとは無関係でしょうが、いまは東洋英和女学院大学の学長をされています。
また全く無関係ですが、僕の指導教授はフェリス女学院大学の学長をされていました(いまは定年で退官されましたが)。

ちなみにかっこ良くて女子学生の人気を集めていたのは姜尚中先生も同様です。女子学生がいつも周りにいた印象です。アダム徳永さんと似た丁寧な語り口はいつも変わりませんでした。僕は授業を受けることはなかったのですが、一度だけ講演を聞きました。

以下は、アンチ・オイディプスと千のプラトー、差異と反復です。

アンチ・オイディプスのオイディプスとはギリシャ悲劇のオイディプス王のことです。
オイディプス王が嫌い(アンチ)ということではもちろんなく、これはアンチフロイトということです。なぜ、フロイト?と言えば、我々がエディプス・コンプレックスと呼んでいるところのエディプスとはオイディプス王のことだからです。
4期のヒーラー養成スクールのテーマも「物語」で、オイディプス王の悲劇についてはこれまでもブログで書いてきました。
さて、ざっくり言えば、オイディプス王は生まれたときに父を殺し、母と交わるであろうという予言を受けます。で、フロイト先生は我々は皆同じ予言を受けているというわけです。まあもちろん予言ではなく、そのような衝動があり、それをエディプス・コンプレックスと呼ぶという議論です(ざっくりすぎですが)。
で、人間の心象風景ってそんなに単純ですか?というのがアンチ・オイディプスです。

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)/ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ

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アンチ・オイディプス(下)資本主義と分裂症 (河出文庫)/ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ

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アンチ・オイディプス/市倉 宏祐

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千のプラトー―資本主義と分裂症/ジル ドゥルーズ

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差異と反復〈上〉 (河出文庫)/ジル ドゥルーズ

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差異と反復〈下〉 (河出文庫)/ジル ドゥルーズ

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蓮實重彦氏で言えば、やはりこれでしょう。
一文が普通に1ページを超える快楽を味わって欲しいです。
表層批評宣言 (ちくま文庫)/蓮實 重彦

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著書を紹介していくと終わらないので、打ち止めはこの2冊で。
時代の風を感じます。
構造と力―記号論を超えて/浅田 彰

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逃走論―スキゾ・キッズの冒険 (ちくま文庫)/浅田 彰

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