ここからは、引き続き、
私の2018年ストーリーをごらんください。
◆ほんとうは、大好きだった。
裕子さんの2018年は、
大きく、ふたつに分けられる。
ここまで記してきた、お店のことと、
もうひとつ、家族のことだ。
この時期、寺井家にとって、
決して書き逃がすことのできない出来事があった。
長らく断絶状態にあった、芳彦さんのお父さんと、
初めて、芳彦さんの家で、夕食の食卓を囲んだ。
「すごく、気を使ってくださってるのが、
伝わってきました。たぶん、お義父さんは、
一生懸命、話をしてくださってるんだろうなと」
けれど、そのまま和解できるほど、
家族というのは簡単じゃない。
「私自身の、親との関係性からいうと、
どんなことがあっても我が子だから、
お前を助けたい。って言われて育ったんですね。
でも、パパ(芳彦さん)は違うんです。
もう、俺と親父は昔のままではない。
それは、ごめん、俺と親父にしかわからん。
本当に切羽詰まったら、俺はこの家族を守りたいから、
親父に頭を下げに行くけれど、でもそれは、
最後の最後の手段にさせてくれって」
そんな夫を見ていて、妻は、
「この引き金を作ったのは私だ」
と、思ってしまうという。
「私は、親に対してそういう信頼があるから、
自分の気持ちをそのまましゃべるし、
それは、家族でなくてもそうなんですね。
眼の前の人を信じ切ってしゃべるんです。
でも、私には伺いしれない、
人との関わり方があったんじゃないかって」
裕子さんは、先に亡くなった義母を思っている。
「ある方にスピリチュアル・リーディングをお願いしたら、
お義母さんの言葉を聞き取ってくださって。
お義母さんは、私たちのことが大好きだったらしいんです。
でも、すごい剣幕で、全面的に私をかばうパパに対して、
引くに引けなくて、縁を断ち切ってしまった。
でも、あなたたちのことは大好きだったよって」
芳彦さんにそのことを伝えたら、
「でも、もう、生きてないからな」
「母ちゃんの言葉として、聞けてないから」と、
つぶやいたのだという。
「母ちゃんの言葉として聞けてないから無効」ではなく、
「母ちゃんの言葉として聞きたかったなあ」って言えるくらいに、
芳彦さんの心が、ほんのちょっとだけ、ほどける日が来るといい。
さて。6月に、
シフォンケーキを始めとするいくつかのケーキを、
セット販売&発送をするという、
ビッグプロジェクトが動き出す。
私はそれを購入したひとりだったが、
各種シフォンケーキと、ロールケーキと、
ガトーショコラと、とにかくあらゆるお菓子が、
とても美しく包装されていた。
なんて、ていねいな仕事だろう……!
感動で、言葉を失ったのを覚えている。
「完全に、赤字でした。やればやるほど。
家に、シフォンの失敗作が山のようにあって、
それを、子どもたちが学校の友だちに配って(笑)」
そんなとき、芳彦さんは急所を突くのだ。
「シフォン、本当に焼きたいん?」
「『焼きたくない!』って答えました(笑)」
裕子さんは、「心の底からやりたいこと」なら疲れ知らずだ。
でもシフォンケーキに関しては、とうに限界を越えていた。
「やっとのことで発送したら、台風が来たんですね。
でも私の家には普通に荷物が届いたから、
クロネコヤマトさんは、動いていると思ってしまって。
それが、動いていなかったんです。
発送すらできていないと、知らされて」
平常心を失っているところに起きた発送トラブル。
裕子さんは打ちのめされた。
「危機管理能力のなさ」。「プロ意識の欠如」。
ふっこさんからの指摘と叱咤激励を、
裕子さんは、受け止めきれなかったのだ。
「本当に追い詰められていたので、パパから、
もうシフォンをやめたらどうかって、
提案されました。でも反発しちゃった。
『やめるってみんなに言うのは私やん!』って」
裕子さんは、パパの言うことに、
まずは反発しちゃう人だ。
「結局グループコースが終わる7月いっぱいまで、
シフォンケーキを続けたんですね。
でも私は、自分が作り慣れているものを、
共感してもらうことがうれしいんだな、
っていうことがよくわかって」
その直後に「京都合宿」があった。
ふっこさんの門下生が京都に集結する一大イベント。
できそこないのシフォンをラスクにして、
手土産に抱えて、京都に向かう。
「私はグループコースの3ヶ月間、
本当になんにもできなかったな!
って、思いながら行ったんですよ」
めちゃめちゃ、やっとったやん!!
「台風での発送トラブルについても、
みんなの前で指摘されて、
それを激励とは受け取れない自分がいて」
そう簡単には悟れないから、
人間って、愛おしいのだ。
「2日目に、みんなで、
浴衣を着てランチをすることになって。
とてもセレブな顔ぶれだったんです。
でも私はそんな状態だったから、
場違いだなあ……気後れするなあ……って思っていて」
京都の夏だ。
しかも胸を帯で締め上げている。
さらには裕子さんの席は、
空調が届きづらい場所にあった。
どんどん体調が悪くなり、
やっとのことでお手洗いに入ったとたん、
猛烈な吐き気に襲われた。
「私の様子に、皆さん気づいてくださって、
エアコンのきく別室で、帯をほどかれ、塩をなめて、
水分を取って、横になり、
でも、新幹線の時間が迫っていたんですよ」
自分の荷物は、貸浴衣のお店にある。
取ってこなくちゃ。浴衣も返さなきゃ。
「それを、主催の(松本)純子さんが、
ぜーーーんぶ、やってくださったんです」
そして山下智子さんが付き添うように、
タクシーと新幹線に乗せてくれた。
「新幹線の中で、智子さんの前で号泣ですよ。
京都合宿での不甲斐なさや、
今まさにこんなに人に迷惑をかけていることや、
私はどうして何をやってもこうなんだ!って」
芳彦さんが駅まで迎えに来て、
自宅への車中でも大号泣。
そんな裕子さんに、芳彦さんは言ったという。
「あの人は、あなたが言ってくるのを待っとるよ」。
あの人。
ふっこさんのことである。
「それで後日、ふっこさんに連絡をしました。
私が、どんな気持ちでいたかをお話しして。
そしたら『それが聞けて、本当によかった!』って。
いつも、私は、後からなんですよね(笑)」












