ここ数回、円満夫婦について考えてみました。
円満であるというのは、とても素晴らしいことですが、そうでない場合も多々、世の中にはあるということです。
そして、この多種多様な選択が許される時代において、そうでない場合、ご自分を恥じ入ることなかれ。
結婚教育という活動をするにあたり、ご自身を円満夫婦の権化のように思われている或る方には
「棚橋さんは、結婚教育なんてのをされている位だから、さぞや幸せな家庭を築いておられるんでしょう。」と言われました。離婚したのを知ってるくせに(^◇^;)
昔、お世話になった看護師の先輩は看護師命の人なので看護師以外の仕事をしている私そのものが否定なのでしょう。「自分が離婚してて、結婚教育なんておかしいわ」と大きな声で笑われました。
あるシングルマザーを支援している有名な女性には「私は結婚なんてなくしたらいいと思ってるし、みんな離婚したら良いと思ってる!!」と語気強く言われました。この語気荒いのが自然体と思えなくて(^◇^;)
離婚するという選択を未だに社会は否定的に見ているのだとあらゆるシーンで感じました。
私は、2011年、東日本大震災があった年に開業しています。多重債務を繰り返す夫との結婚生活、そして離婚して更なる貧困、紅白歌合戦を見ながら「やっと人並みにお正月を迎えることができたのだ」と涙が止まらなかったことを覚えています。
その夜、除夜の鐘を聞きながら「離婚をする女性の星となろう!」とマジで熱くメラメラと思ったのを覚えています

円満夫婦が胸を張り、幸せを誇り
離婚した人が離婚を人生の汚点のように恥じ入る。そんな時代は違うと私は思っています。
私が学ぶ奈良県立大学の窪田先生はドミニカという国を研究されています。
ドミニカでは、例えば、母となり子どもを持つ時に3人の子どもの父親は全員違うということもフツーにあるのだと教えていただきました。でも、それでヤキモチで、えらい殺傷事件になったり、母親が卑下したり生きてはいない。女性のリーダーシップ力?が半端ないようです。
価値は、その国、その土地、その文化が決めています。
日本における殺人事件の半数以上が同族殺人です。夫が妻を、親が子を、子が親を殺してしまう国。
夫婦とは、親子とは、家族とは、こうあるべきという支配が許されてしまう国です。
最たるものに○○家の嫁だから☆☆であるべきという見えない真綿で女性は長年、見えないリードに首をつながれてきたのです。
当たり前のようにやたら家事も育児も頑張る奥さんをどこかで見られたら、その見えないリードを気にしてあげてください。
しかし、今や、男性も「オトコのくせに」という太いロープで身体をがんじがらめにされていることも多いのです。
人間の幸せ不幸せは、その人にしかわからない。
他者が、社会が、個人を評価するものではありません。
離婚する人が恥じ入ることのない社会に、
結婚という挑戦をしたからこそあったこと。
人生は常に変化の連続、トライ&エラーです。
家族が生きづらいなら、違う道を生きることがあってもよいのです。
子育てが苦手ならプロの手を借りましょう。
そして教わりましょう。
よくぞ頑張って育ちましたねと敬意を表するに値します(^◇^;)
それでも、やはり知らなくてはいけない、考えなくてはいけない、何が人生の土台を作る幼少期には必要なのか、見ないふり聞かないふりはしてはいけないのだと心から思います。
私も自分の人生の棚卸しをする思いで毎日結婚教育の9期を育てています。
しかし、これも離婚という選択の結果の今です。
「今は、離婚するのが当たり前みたいな社会だもんね」と我々の世代以上の方から残念そうに語られるそんな言葉を耳にします。
でも、そうは言いつつも、多くのそんな方々は傍観者です。
そんな社会だから、あなたが今何をするのか。
何ができるのか、おせっかいなOBACHANとして学んでいただき、○○であるべきの社会から、「今、私に何ができるのか」の社会に作り変えていく必要があるのだと思います。
あーまた、熱く語ってしまった。
熱く語っていますが、私は、特定の宗教や政治に縛られることなく、右でも左でも上でも下でもなく、結婚したい人には幸せな結婚を、離婚したい人には最高の離婚をできるようにお手伝いしたいひとりの名もなき民間人のおせっかいなOBACHANでしかありません。
そのおせっかいなOBACHANの誇りを胸に今日もお仕事に励みます。
暑くなりそうですが皆様も良い一日をお過ごしください


