第4話 「全部お母さんのせいじゃない?」――家族がバラバラになった日
「それまで読むのか……。」
夫は静かにそう言うと、私の手からノートを取りました。
怒鳴ることもありませんでした。
責めることもありませんでした。
ただ、そっと胸に抱え、寝室へ戻っていきました。
その背中は、以前よりずっと小さく見えました。
私は追い掛けることもできませんでした。
謝りたかった。
でも。
何をどう謝ればいいのか分からなかったのです。
娘からの電話
翌日の夕方。
娘から電話がありました。
「お父さん、大丈夫?」
私は病院のことを話しました。
医師から「抑うつ状態が疑われる」と言われたことも。
電話の向こうで娘は長く黙っていました。
そして、小さくため息をつきました。
「お母さん……。」
「うん。」
「正直に言っていい?」
私は覚悟しました。
「全部、お母さんのせいじゃない?」
その一言で、時間が止まりました。
私は何も言えませんでした。
娘は続けます。
「お父さん、会社辞めてから趣味だけが楽しみだったよね。」
「なのに勝手に全部なくなったら……。」
「私でも立ち直れないと思う。」
私は受話器を持ったまま涙が止まりませんでした。
息子の本音
その夜。
息子からも電話がありました。
私は同じように事情を説明しました。
息子は静かに聞いていました。
そして言いました。
「お母さんだけが悪いとは思わない。」
私は少しだけ安心しました。
でも次の言葉が胸に刺さりました。
「でも、お父さんに相談してからでも良かったんじゃない?」
その通りでした。
私は勝手に決めました。
『家族のため』という理由をつけて。
でも、本当にそうだったのでしょうか。
私自身が、あの部屋を見たくなかっただけではないのか。
初めてそんなことを考えました。
義母の言葉
数日後。
義母が家へやって来ました。
八十三歳になる夫の母です。
夫の様子を見るなり涙ぐみました。
そして私に向かって言いました。
「あの子は昔から、一つのことを大事にする子だった。」
「小学生の頃のプラモデルも、社会人になってからも大切にしていた。」
「あなたは、それを知らなかったの?」
私は何も答えられませんでした。
義母は責める口調ではありませんでした。
だからこそ余計につらかったのです。
静かな家
夫は相変わらずほとんど話しません。
朝起きても窓の外を眺めるだけ。
テレビも見ません。
新聞も読みません。
好きだったコーヒーも飲まなくなりました。
私は毎日、夫の様子ばかり見ていました。
「何か食べる?」
「散歩しない?」
返ってくるのは短い返事だけ。
「いい。」
「今日はやめる。」
そんな日々が続きました。
ネットで探し続けた夜
私は毎晩、スマホを握りしめていました。
ネットオークション。
中古ショップ。
フリマアプリ。
夫が大切にしていた模型を探しました。
型番まで調べました。
でも見つかりません。
限定品ばかりでした。
二十年前に発売された物。
もう市場にもほとんど出回っていません。
私は何度も検索しました。
『売ってください』
そんなメッセージまで送りました。
返事はありませんでした。
その時、ようやく気付いたのです。
私は『物』を捨てたのではなかった。
二十年、三十年かけて集めた『時間』を捨ててしまったのだと。
初めて見た涙
夜中。
喉が渇いて目が覚めました。
リビングを通ると、和室から明かりが漏れていました。
そっとのぞくと。
夫が床に座っていました。
何もない棚の前で。
静かに泣いていました。
肩を震わせながら。
声を殺して。
結婚して三十五年。
私は夫が泣く姿を一度も見たことがありませんでした。
仕事で大きな失敗をした時も。
父親が亡くなった時も。
涙を見せなかった人です。
その夫が。
空っぽの棚を見つめて泣いていました。
私はその場から動けませんでした。
声も掛けられませんでした。
ただ、自分のしたことの重さだけが胸にのしかかってきました。
一本の封筒
翌朝。
テーブルの上に一枚の封筒が置かれていました。
私宛てでした。
中には便箋が一枚。
夫の字でした。
震える手で開きました。
そこには、たった一行だけ書かれていました。
「少し、一人で暮らしたい。」
私はその場に座り込みました。
涙で文字がにじみました。
でも、この時はまだ知りませんでした。
その手紙の本当の意味を。
そして数週間後。
夫が私に、人生で一番重い言葉を告げることになるとは。
(第5話へ続く)
■管理人より
夫婦は長年一緒に暮らしていても、「相手にとって何が一番大切なのか」を分かっているようで、実は分かっていないことがあります。
一方で、生活する以上、家の片付けや共有スペースの問題も避けては通れません。
どちらの気持ちも理解できるからこそ、この問題はとても難しいのだと思います。
皆さんなら、大切なコレクションを家族に処分されたら許せますか?それとも、一緒に暮らすためには整理も必要だと思いますか?
■読者さまの体験談を募集しています
・家族との断捨離トラブル
・定年後の夫婦生活
・「良かれと思って」したことで後悔した経験
・趣味やコレクションをめぐる思い出
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▼第5話はこちら
【「離婚してください」――夫が静かに出した最後の答え】
