もう1年くらい経った感じ
不運な出来事に対して英語では
I’m sorry.と言いますよね
日本語では残念ですねと訳されます。
私は2度の出産の前に2度流産しています
落胆はしたのですが、お医者さまも「珍しいことではないです」と淡々とした対応だったし、当時の義母も退院の翌日に「新居を見せろ」と言うし、感傷に浸るようなことではないのだ、と自分の感情を無視しました。
結婚していると知ると、他人は挨拶がわりのように「お子さんはまだ?」と聞いてきますし、元夫が不妊治療に関する書籍を読んでいることも知っていた私は出産できない自分に罪悪感を感じていたのです。
だから、2度目に流産した時も淡々と過ごしました。
長女を妊娠した時に、既往歴を見た看護師さんが「残念だったね」と言うのを聞いた時、初めてポロポロと涙が流れて止まらなくなりました。
悲しくて泣いていたのだと思っていましたが、今考えてみると、ただ「残念だと思っても良かったのか」という安堵の涙だった訳で、流産した事をどう腑に落とすかについて自分自身で言語化できたのは、それからずいぶん後になってからでした。
時々、身近な存在を相次いで亡くした、というご相談を受けます。
なぜ、自分ばかりこんな目にあうのだろう?起こる出来事が鏡なら、自分は何をしたと言うのだろう?と考えてしまうお気持ちは良くわかります。
でも、当然ながらバチが当たったなんてことではないわけです。
良い事が起ころうと
悪い事が起ころうと
我々に出来きることは「それをどう受け止め、その上で自分はどうしていくか?」だけ
この場合なら「大切な存在の喪失をどう受け止め、その上で自分はどうしていくか?」
私が年初に直面したのもまさにこれでした。
友人の訃報に接して私は
感じないために感覚を遮断し
事実を否定し
いよいよ無かった事に出来ないと分かったので大学の同期の友人に八つ当たりしました
意志の力で感覚が遮断しきれなくなり
涙が流れるに任せ始めたら
少しだけ楽になりました
でもまだ
自分が認めなければ彼は死んでいないだろうと
滅茶苦茶なブログも書きました
エリザベス・キューブラー・ロスの
死を受容する五段階サンプルになれそうな態度です
因みに五段階とは
第1段階 否定と孤立
第2段階 怒り
第3段階 取引
第4段階 抑うつ
第5段階 受容
順番は前後する事があるといわれています
私はまだ受容まで整理できていません
八つ当たりした同期は
「よく分かるよ。僕も同じ気持ちだから。ヤケ酒でヘロヘロだよ」と言い
翌日も「少し落ち着いた?」とメールをくれました
ブログにもお読み頂いている方々から温かいコメントやヒーリングを頂きました
同時期に
折しも私の親友が、まるで娘のように可愛がっていた16歳の愛犬を亡くしたばかり。その親友と話していると愛犬の魂と繋がり、愛犬が伝えてくれた素晴らしいメッセージにかなり癒されました。
これはまた別にシェアしますね
今、受容できないままで
私は亡くなった友人が共に過ごしてくれた時間を
宝物のように取り出して何度も再生しています
私が自分の世界の創造主なら
友人を創り出したのは私だ、と考えてみました
私が彼を
自分自身の弱さや素晴らしさや、温かさや、理不尽さを、客観的に感じる事が出来る存在として創造したから、彼との交流を通して様々な感覚や感情を味わうことができた
彼は、
私に温かさや優しさや、朗らかさを与え
遺されたものの気持ちまで教えてくれた
それらの全てを知りたかった創造主の私は
そのために彼を創り
同時に
創った事で混乱している
けれども
失うくらいなら
初めから知り合わなければ良かった
とは思えないのです
Now is not forever
But sometimes
Better than ever
ただいまの永遠にこそあらね
時として勝りてあるか
たえてなきには
RDレイン「結ぼれ」より
今が永遠に続かなくても
初めから無かったよりはずっと良い
折に触れて思い出す詩です
「結ぼれ」とは
絡まって解けない
気が晴れず憂鬱だ
と言う意味
まさに整理のつかない今の私のようですが
この詩は
「愛はとこしへ 飛び行くは時」
で終わります
時が過ぎていくだけで、愛は永遠に残る
創造主は体験のために自分の一部を世界に創り出し、そしてまた自分の中に統合する
だから友人がもうこの世に存在しなくても
体験も愛も、彼のエッセンスも
自分の中で永遠に生き続ける
生きている私が死から学べることは
人生に彩りを与えてくれた存在たちが
自分の中に遺してくれたエッセンスを大切に使っていくことなのかもしれない
整理がつかない自分を見守って
残念だ、という感情を改めてゆっくりと味わおうと思います
八つ当たり出来る友人がいて
ワンちゃんから大切なことを教えてもらえて
ブログでお見舞いもヒーリングも頂けて
そういうことの全部で
私は「生きる事ができている」
亡くなった友人が
幸せな人生だ
って降参せざるを得ないだろう?
と、いつもの太陽みたいな笑顔で笑っています