ブログのタイトルを変えました。
ブログの更新をやめてみました。
すると心が軽くなりました。
そして、新たに書き始めてみたくなりました。
ぶつ切りの更新になるかもしれないけれど、、、マイペースでいこうと思います。
さて。
私は現在、還暦を少し超えています。つまりアラカンです。
60年余の人生の大半を母親への葛藤の中で生きてきました。
小さい頃から自分がどうしてこうなのかわからなくて、とても苦しみました。
責められて責められて生きてきているような気がしていました。
そしてある頃、、、30代半ばくらいから、
どうやら私は「アダルトチルドレン」らしいと感じるようになったのですが、、、
これがさらに私を苦しめました。
「私には何も問題はない、母がああだったから、こうだったから、こんなに苦しんでいる」という思いが強くなったからです。
母への恨み辛みがつのり、
自分が生まれ落ちた環境(表面的には特に問題のない家庭でしたが)を嘆き悲しみ、
明るい未来が全く見えない生活を長く続けてきました。
衝動的に何かを決めたり行動したりもあったし、
「もっと大人になれ」と言われることもありました。
「何のために生きているのだろう」
「早く死んでしまいたい」
そう思いながら流されるように日々を生きていたこともあります。
とはいえ死ぬために行動することはありませんでした。
基本的に無気力。
そして、自分の意志を持つのは傲慢なこと、感情に従ってはいけないという
自分の中の「戒律」もあったので、死に向かう行動を取ることはありませんでした。
ただ、、、自尊心は低かったなぁ。
私の中には プライド=うぬぼれ という公式ができあがっていて、
少しでも自尊心を感じると必死に叩きつぶそうとしていました。
「感情があるからいけないんだ。感情なんてなくなってしまえばいい」
とも思っていました。
喜怒哀楽の意味がわかりませんでした。
私の人生の99%は「我慢」と「怒」で占められており、
喜や楽を感じたがるのは傲慢な証拠、
たまに悲しみがあるのは仕方がない、という感じでした。
そして大半を「怒」が占めること自体、人間として許されないことだと思っていました。
まともな人間なら、どのようなことも観音様の微笑みでやり過ごせるはずなのに、、、
「怒」がある人間なんて、、、生きる値打ちもない・・・
そう思って自分を罰する気持ちも強かったのかも知れません。
苦しかったです。
とても苦しかったです。
でもね。
それも結局ひとり芝居でした。
「私には何も問題はない、母のせいでこんなに苦しい人生になっている」
これは真実かもしれないし、そうではないかもしれません。
大切なのはこれが真実かどうかではありません。
問題は「私は無力だ」と私が思い込んでいる・・・
というか、そう決めてしまっていることでした。
私にはこの苦しみを解消していく力がない。
一生、恨み辛みの中で生きていくしかない。
この閉塞感が、私を苦しめ、傷つけていました。
幼いころの経験から決めてしまったことはあったかもしれないけれど、
成長していく中で意識的に取捨選択しても良かったのに、
大事に大事に握りしめてきたのは、握って生きていこうと決めたのは
他でもない私自身でした。
でもこれは今だからわかること。
当時の私にはそう言われても受け入れられなかったと思います。
何となく、、、続きます。

