ありがとうございました -2ページ目

ありがとうございました

ブログの更新は終わりました

ブログのタイトルを変えました。

 

ブログの更新をやめてみました。

すると心が軽くなりました。

 

そして、新たに書き始めてみたくなりました。

ぶつ切りの更新になるかもしれないけれど、、、マイペースでいこうと思います。
 

 

さて。

私は現在、還暦を少し超えています。つまりアラカンです。

 

60年余の人生の大半を母親への葛藤の中で生きてきました。

小さい頃から自分がどうしてこうなのかわからなくて、とても苦しみました。

責められて責められて生きてきているような気がしていました。

 

そしてある頃、、、30代半ばくらいから、

どうやら私は「アダルトチルドレン」らしいと感じるようになったのですが、、、

これがさらに私を苦しめました。

 

「私には何も問題はない、母がああだったから、こうだったから、こんなに苦しんでいる」という思いが強くなったからです。

 

母への恨み辛みがつのり、

自分が生まれ落ちた環境(表面的には特に問題のない家庭でしたが)を嘆き悲しみ、

明るい未来が全く見えない生活を長く続けてきました。

 

衝動的に何かを決めたり行動したりもあったし、

「もっと大人になれ」と言われることもありました。

 

「何のために生きているのだろう」

「早く死んでしまいたい」

 

そう思いながら流されるように日々を生きていたこともあります。

とはいえ死ぬために行動することはありませんでした。


基本的に無気力。

そして、自分の意志を持つのは傲慢なこと、感情に従ってはいけないという

自分の中の「戒律」もあったので、死に向かう行動を取ることはありませんでした。

 

ただ、、、自尊心は低かったなぁ。

私の中には プライド=うぬぼれ という公式ができあがっていて、

少しでも自尊心を感じると必死に叩きつぶそうとしていました。

 

「感情があるからいけないんだ。感情なんてなくなってしまえばいい」

とも思っていました。

 

喜怒哀楽の意味がわかりませんでした。

 

私の人生の99%は「我慢」と「怒」で占められており、

喜や楽を感じたがるのは傲慢な証拠、

たまに悲しみがあるのは仕方がない、という感じでした。

そして大半を「怒」が占めること自体、人間として許されないことだと思っていました。

 

まともな人間なら、どのようなことも観音様の微笑みでやり過ごせるはずなのに、、、

「怒」がある人間なんて、、、生きる値打ちもない・・・

 

そう思って自分を罰する気持ちも強かったのかも知れません。

 

苦しかったです。

とても苦しかったです。

 

 

 

でもね。

それも結局ひとり芝居でした。

 

「私には何も問題はない、母のせいでこんなに苦しい人生になっている」

 

これは真実かもしれないし、そうではないかもしれません。

大切なのはこれが真実かどうかではありません。

 

問題は「私は無力だ」と私が思い込んでいる・・・

というか、そう決めてしまっていることでした。

 

私にはこの苦しみを解消していく力がない。

一生、恨み辛みの中で生きていくしかない。

 

この閉塞感が、私を苦しめ、傷つけていました。
 

幼いころの経験から決めてしまったことはあったかもしれないけれど、

成長していく中で意識的に取捨選択しても良かったのに、

 

大事に大事に握りしめてきたのは、握って生きていこうと決めたのは

他でもない私自身でした。

 

でもこれは今だからわかること。

当時の私にはそう言われても受け入れられなかったと思います。

 

何となく、、、続きます。
 

嫌なことばかり目に付くのは、実は嫌なことを見るのが好きだからだったりする。

心がザワッとなりそうな方向にアンテナが立っていたり、

どうせ私はこの程度の人間・・・と自分で決めてしまっていたり。

 

嫌なことから遠ざかりたければ、楽しいことを配置してみよう。

それでも嫌なことがやってくるかもしれないけれど、

楽しいこと、美しいもの、心がキラキラッとなるようなこと、、、なんかも近づいてくるかもね。

 

 

青空に浮かぶグレーの雲に目がいくのか

グレーの雲も浮かぶ美しい青空に目がいくのか。

 

どちらもアリの世界なんだから、楽しいモノ、好きなモノ、嬉しくなるようなモノを見よう。

 

その上で、あーーーー、嫌だ、嫌だ、嫌だ! って叫ぶのもあり。

いいことも、嫌なことも、感じているのを抑えても仕方がない

 

いいんだよ、ブラックになっても。

どうせホワイトの部分もあるんだから。

 

かよ子

今のブログのタイトルは「笑わなくても世界は優しいよ」。

 

このタイトルにしたのは、笑うからダメなんだと思ったことがきっかけだったのですが、

今の私はいろいろなことがあって、本当に笑えなくなっています。
 

とはいえ今の自分をそのまま受け入れているので、

無駄に笑っていたときよりも心は楽になっています。


笑えないのに笑う必要はない。

笑いたくないときも、笑えないときも、笑わなくていい。

 

今の私にとっては、笑わないことが自分に優しくすること。

懸案事項が解決すれば、また自然と笑顔が戻ってくるでしょう。

 

これからは自分中心で生きていこうと思います。

 

かよ子

きちんと言おう。

 

嫌なことは嫌。

したくないことはしたくない。

 

報われないと思っているのなら、報われないと。

どうして私ばかりがと思っているのなら、そんなの不公平だ!って。

 

人を傷つけちゃダメって言われきたのかもしれない。

自分の正直な気持ち(あるいは一番いいにくい思い)を口にするのは

いけないことと教えられてきたのかもしれない。

 

それを言葉にすると相手を傷つけるとか、

結局また自分が悪者にさせられるとか、そう思ってきたのかもしれない。

 

でも、自分が傷ついているんだ。間違いなく傷ついているんだ。

だったら相手じゃなく、まず自分を守ろう。

 

自分をごまかしてもダメ。

見ないふりをして 気づかないふりをしてやり過ごしてもダメ。

ちゃんと対峙しない限り、「それ」は何度も繰り返される。

 

さあ、勇気を出そう!

学びの場かなと。

これまでは「しっかり者のお姉ちゃん」であろうとしてあれもこれも背負い込むことが多かったけど、

丸投げという私にはあり得ないパターンを取り入れてみたら、互いに協力する、人に頼る、支えてもらう、すがれるところはすがる、という世界が開けました。

「人って意外と優しい」の意味が体に沁みてわかりました。

「意外と」ではなく「そもそも」優しいのだと思います。

「人って」ではなく、私もあなたも、自分が思っている以上にうんと優しい。
ただ、いろんなことに傷ついて、心を閉ざして、拗ねて、固い固い殻で本来の優しさを閉じ込めてしまっただけ。

優しくない人を回りに配置し、
優しくない自分であり続けようとするのは、
その世界があたかも真実であると思い込もうとしているのは、
そうしないと自分を守れなかったから。
守れないような気がしていたから。

頑(かたく)なであろうとしているのは、そもそも柔らかだから。
そもそも、頑なさとは真逆の感性を持っているから。

こんなことを、頭ではなく、日々の出来事の中で感じ取ることができたのはよかったと思います。

日々悩み、時には憤り、時には不安に駆られる毎日だったし、
まだまだ序章だけど。

ブログから離れ、
カウンセラーであることからも離れ、
長く続けてきたことにも一区切りをつけ、
自分と向き合うこともやめてみたら、

これまで気づかなかった自分と出会い、
気づかなかった世界に気づきました。


これからもしばらくはブログの更新は滞ると思いますが、決してマイナスあるいはネガティブな事情からではないので、そういう意味で心配しないでくださいね!

これまで見守ってくれてありがとう。
私はこれからもあなたの世界の片隅にいます。

かよ子
決断し、バンジーを飛んでみた。

いつかは来る日だった。
怖くて先伸ばしをしてきたけれど、やっと実行に移せた。

怖かったけれど…、
お試しも来ている気はするけれど…、
自分の中の思い込みと決めつけをつくづく感じるけれど…、

えいやっ!とメールを送って何時間か過ぎた今思っているのは、

な~んだ、何1つ変わらないや。

もっとホッとするかと思った。
もっと怖くなるかと思った。

もっと未来にワクワクするかと思った。
もっと自分に戻る感覚が生まれるかと思った。

直後はともかく、
今は何も変わりない。

ただ…、
そうだな…、

いずれ自分も死ぬんだなという実感は強まったかな。

「死ぬ」という表現がまずければ、
いずれ人生に終わりが来るんだという実感というか…。


これから…、委ねられるところは委ねよう。
できるかな。
頑張ろう。

よかれと思ってアドバイスしようとする人にありがちかもしれないこと。

 

『目の前の人を問題視してしまうこと 』

 

まぁ、確かに、「こんなことで困っている」と言われたり、

言われなくても困っているような顔をされると、

「力になりたい」「何とかしてあげたい」と思うのは、人情というもの。

 

でも、そこに落とし穴が。

 

目の前の人は何かに「困っている人 」 かもしれないけれど、

その人自身が「困った人」「問題の人」ではないというのを、

ついつい忘れがちになってしまうこと。

 

あるいはその人の悩みとその人自身を一体化してしまいがちになる。

そこを意識して切り分ける必要があるなぁと、自戒も込めて思うのです。

 

 

 

 

今日も、やっちまいました。

ちょっとお悩み中の夫と話しているうちに、

夫自身を問題視し始めていました。

 

そんなつもりは全然ないのに、、、何か変な感じ。

話せば話すほど夫が苦しそうになっていくのがわかる。。。


あれれ、変だなぁ、どうしてこうなるのだろう。。。

何が間違っているのだろう。。。

 

と思ったとき、あ!電球 と気づきました。

 

夫の悩みに引きずられて、いつの間にか夫を問題視し始めている!

私の問題か!


で、そこに気づいた瞬間に、

夫が人生をかけて何を思い込んできたかがわかりました。

 

あーーー、そこかーーー。

だよねー。

とすぐにピンと来るのは、夫婦ならではこそ♪

 

で、そこに気づいたときから、私の両肩、背中の力が抜けて、

呼吸が深くなり、安定してきました。

 

「目の前の人は大丈夫」って、こういう感覚かぁ。

 

これまでも「目の前の人は問題」と見ていたつもりはありませんが、

ここまで腑に落ちたのは始めてかも。

 

いい体験をしました。

 

 

で、これを体験すると自分の軸もしっかりするようです。

もうブレることはない、と思います。

たとえブレても、帰るところがわかったから大丈夫。

 

体感って、すごいです。

 

 


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どくしゃになってね…

できたら「相手に知らせて登録」で。。。

 

今思えば、若い頃はそれなりに前者力があった。

後ろに目がついているんじゃないかというくらい周りの状況が把握できていたし、あの人とこの人の関係がどうなっている、この人は私をどう捉え、あの人はどう捉えているというのも当たり前のように見えていたし、その中で私はどうすべきか(でもしたくないか)もまあまあわかっていた。

この流れで何をどうすれば確実に最短でゴールにたどり着けるかもパッパッと判断できたし、今何が必要か、必要ではないかも的確に判断できた。

今から思えば後者にあたる人たちが、当時の私にとってはあり得ないような単純ミスをする理由がわからなかったし、そういったポカを防ぐにはどんな仕組みを作ればいいかと頭を回していた。

ど後者な私にそこまでできた理由はとても簡単で、自分を見張り続けていたから。

若さも後押ししてくれたのだろう。

でも本物の(?)後者=子どもたちに囲まれる環境に入ってから、前者力はガタ落ち。

数年後に前者社会に戻るも、元には戻れず。
やっぱり根が後者だから。

で、何を言いたいかというと、
後者でも頑張れば前者っぽく振る舞えるようになりまっせ、というお話し。

スイッチオンのフル回転でアンテナを全方向に巡らせていれば、似非だけど前者っぽくやれまっせー。
エネルギーはとても必要だけど。

あれはあれで面白い体験だったけど、もういいや。
幸せじゃなかったし。

もっとしっかり後者やろうっと。
後先考えずに行動すること。

どうせ誰かが何とかしてくれると見切り発車すること。

うまくいかなくなったら人に押し付けて安全な場所に逃げること。

自分の損得だけ考えて動くこと/自分の損得を最優先に動くこと。

人前で罵倒すること。

相手の心を意図的に傷つけること。

相手をねちねちと感情的に追い込むこと。

どんなに汚い手を使っても他人を蹴落とすこと。

意図的に人の邪魔をすること。

明確な意図の元に人を裏切ること。



まだだあるけど、

自分の中で×だからやらないこともあれば、

×ではないけど、
そういう気にならないこともある。

前者はやってみる価値があるな。
あり得ないわ!だけど。
7月になってやっと台風1号が発生したとか。

こんなに遅いのは珍しいらしい。
しかもこんな時の夏はめちゃくちゃ暑いらしい…

溶けたらどうしよう。

もしブログの更新が止まって何も反応しなくなったら、
溶けて液化したと思ってください。

涼しくなったら元に戻るでしょう(笑)