先日、夫の誕生日に母が逝った。
誰かの誕生日に誰かが逝くというのは、割とあることらしい。
怒濤の一週間を過ごして自宅に戻ってきた。
そしてやっと自分を取り戻せた。
あの家、あの家族の中で、感情を抑えて生きていたのだなぁと思った。
自分がどう感じるか から目を背け、
嫌なことも楽しいことも感じないようにして、表現しないようにして
生きていたし、今もあの場ではそれを自動的に選ぶ自分がいるのだなぁとわかった。
感情を感じるのは、面倒くさいこと。大変なこと。
自分に責任が持てなくなること。
感情を表せば、攻撃されていた。あるいは嘲笑を浴びていた。
そして付いてくるのが「お姉ちゃんのくせに」。
嫌な思いをしないように感情を封印していたし、今もそうなんだなぁと。
対して妹は自分の感情に忠実。
人をあしざまにののしることにも、楽しかったことを楽しかったと表現することにも、
まったく躊躇がない。
そして、そういう意味で自分とは違う人間を許容しない。
人は鏡という。ということは、あの妹の姿は、
私が見ないようにしている自分の姿なのだろう。
母の死を悼むことができなかった。
悼んだら負け という感覚がある。
母を懐かしんだり、涙を流したりしたら、また笑われる。
あんたにも人の心があったのか とあざ笑われる。そんな気がする。
そして傷つくのが怖い。
どうせ誰も守ってくれないし、と思っている。
そうなんだ。いつもひとりで頑張ってきた。
誰にも助けを求めないのがいいことなのだと思い込んで、
「ひとりでできるもん!」でほめてもらえると思って、
何もかも一人で背負い込んできた。
少しは変わったと思っていたけれど、
まだまだ根っこの部分は変わっていないんだなぁ。
根っこの大きな大きなかたまりは何一つ溶けていないんだなぁ。
残りの人生、このかたまりと向き合っていくしかないなぁ。
しんどいけど、、、あるものはあるんだから、無いことにしたって仕方ない。
で、もうずいぶんとお休みをしていたけれど、
カウンセラーとして活動していくことも、やめることにしました。
「私がどうにかしなくちゃ」を卒業したいと思います。
心屋カウンセラーを名乗っていた頃に出会ってくださった皆さん、
応援してくださった皆さん、ありがとうございました。
あと1回だけ更新してこのブログも終了しようと想います。
ありがとうございました。