昨日は、スクールバーズの、水曜日チーム年内最終レッスン日だった。
先生は、弁天様のような、美しく芯の強い、厳しさと優しさを併せ持つ癒し系(伝わるかなー)の、女性の先生。
ストレートリーディングの基礎について、というテーマで、様々な立ち位置(ナレーションひとつとっても、どんな番組のどんなナレーションなのかが違うので、それぞれに立ち位置が違う、と想定して読むのです)でのナレーションにチャレンジ。
細かい要素(どの音を高く読むとか、強く読むとか、どんなニュアンスをこめて読むとか)をどのように表現するか、というところは、心とともに、体をいかに使いこなすか(声帯とかも含めてね)というフィジカルな面も関わってくる。
骨、筋肉、体のバランスのとり方、動かし方、力の入れ方、抜き方。
そして、それと併せて不可欠なのが、想像力。
いかに瞬間的に、その文章の世界に、ずどーんと魂ごと飛び込んでいけるか。
演じるわけでもなく、作るわけでもなく、本当にその文章が今ナレーターの心の中で生まれてたてであるかのようなフレッシュさと説得力を持って、聞いている人の心をぐっとつかめるか。
弁天様先生はおっしゃる・・・
「要素とか、技術とか、いっろーんなことを事前に考えるんだけど、
いざ読み始めたら、そういうこと、ぜーんぶ忘れるの。
いったん、ぜーんぶ忘れる。」
私たちは、きっと今、旅の途中なのだろう。
体と心を使う作業を、無意識下で出来るようになるための、修行の旅に。
あーでもないこーでもない、いろいろトライ&エラーを繰り返し、ダメ出しをいただき、悩み、苦しみ、涙を流し、もうダメだ、やめたほうがいい、もう一言もしゃべりたくない、もう何も考えたくない、もう誰にも会いたくない、もう何もしたくない・・・
・・・その、苦しみの坂を越えた、その先に。
きっと、歩き始めた最初の地点、「まっさらな自分の心」っていうところに、戻るのだろう。
たぶんそれが、「なーんにも、考えない。ぜーんぶ、忘れる。」の時の境地。
だけど、その時にはきっと、元いた場所の、一歩上のところに、立っている。
歩き出したその時には分からなかったことが分かり、見えなかった景色が、見えている。
そこに行き着くには、とにかく、誰のものでもない、自分の体を動かすしかない。
近道とか楽な道なんてないのだ、きっと。
その道の途中では、自分の過去や心の傷、「これだけはゆずれない」と頑なに思っているこだわりとか、「こうしなければならないはずだ」とか思い込んでいる“常識”(だと信じている思い込み)だとか、様々な、自分の心が作り上げてきた幻と、向き合わなければならない場面が、必ずあるだろう。
それを、やっつけるのか、仲良くなって仲間になるのか、はたまた全然違う付き合い方を編み出すのかは、それぞれの心の自由で。
自分なりのやり方で越えた経験が、かけがえのない、魂の財産になる。
まだまだ旅の途中。でも、
「早く行きたいなら、一人で行け。
遠くまで行きたいなら、仲間と行け。」
という言葉の通り、「仲間」がいるというのは、とても大切なことだ。
仲間は、人生の、宝物だ。
昨日のレッスン後の忘年会の帰り道、そんなことを思っていた。
バーズの皆さま、どうぞ良いお年を。
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