会話があいづちだけになると寂しい | 無駄知識で人生に☆ヒカリサス

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ここ1年ほど、ChatGPT先生を使って思い込み外しをしている。

今日のテーマは、「あいづち」についてだ。

 

私は一方的に話されることが苦手だ。

単調に説明されると1対1でも寝る。

ADHDを持っているとよくある症状のひとつで体質らしい。

回避する対策として落書きをしたり、手遊びをすることが紹介されていることが多い。

 

胡桃二つを手の中ですり合わせてピカピカにすることが中国では古くからある健康法として紹介されているから、話に集中する方法として古くからあったに違いない。

 

そんな私は「あいづちだけ求められる会話」を求められるとすごく寂しくなる。

笑う間、驚く間、疑問を挟む間。

そんな間を持たずに一方的に語り掛けられると「あいづち」をするだけの機械になったような気分になる。

 

世の中には圧倒的に(特に東京に)「あいづちだけ欲しい」人が多い。

心が整えば「あいづち」だけでも会話できるようになると思っていた。

「あいづち」だけで会話する方が正解だ

と決めつけていた。

 

もともと苦手なんだから、寂しくなるのは当然だ。

 

「あいづち」をして相手を喜ばせないといけない

余計なことをいうことは礼儀に反する

「あいづち」以外は失望させる

 

という「もやもや」が生まれていたことに気づいた。

 

私が好む会話スタイルは、なかなか高度で好きな人が少ない。

とはいえ、大阪の漫才スタイルまでになってしまうとペースが早くてついていけない。

難儀である。

 

「あいづち」下手でごめんね。

という気持ちで生きていこうと思う。

 

 

 

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