夕方が近づくと、
どこかがざわっとする。
作らないといけないのはわかってる。
でも、どうしても気が進まない。
冷蔵庫を開けても何も浮かばなくて、
そのままパタンと閉めてしまう。
そんな自分に少しがっかりする、
なんてこと、
ありませんか?
何度か気合いを入れてみても、
台所に立つ足が重いまま。
料理の話題になるだけで、
少し身を引きたくなる日もある。
そんな重さを、ひとつずつほどいていったとき、
こんな言葉が返ってきました。
「苦手なお味噌汁もあったのに、作る前のこわさがなかった。
失敗しても、食べてもらえなくても、気楽に作ったらいいって思えるようになって。
料理への身体のこわさを一緒に分解してくれたからだと思います。」
料理そのものが重いというより、
料理の前にもう何かが始まっています。
「味が薄いって言われたら」
「残されたら」
「何を作ればいいかわからない」
献立を考える前からも、
もうどこかが固まっています。
息が浅くなる。
肩が少し固まる。
冷蔵庫を開けた瞬間に、もう頭が白くなる。
作れないというより、
近づくところで止まる感じ。
その重さをどこにも置けないまま、
また夕方になる。
その繰り返し。
その状態のまま台所に立ち続けると、
料理のたびに自分を責める時間が、少しずつ増えていきます。
心の重さが動いたのは、
上手に作る力より、
もっと手前のところでした。
苦手なお味噌汁は、まだ苦手なまま。
でも、
作る前のしんどさが変わった。
それだけで、
同じ台所の景色が変わった。
失敗の予感や、
相手の反応への緊張が少し遠のいて、
料理へのハードルが下がったのです。
重くなる理由は
人それぞれ。
あなたが料理を前にして止まるとき、
本当に重いのは、何でしょう。
作ることそのものなのか。
失敗の気まずさなのか。
相手の反応なのか。
それとも、
思うようにできない自分が近くなる時間なのか。
台所に立つ前に、
もう始まっているものがあります。
料理の重さは、
いつも鍋や包丁のところにあるとは限らないのかもしれません。
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