南京で働いていた人 | kyupinの日記 気が向けば更新

南京で働いていた人

これは「元海軍のおじいちゃん」の続きになっている。以下を参考にしてほしい。

ドグマチールと老人
元海軍のおじいちゃん

この元海軍のおじいちゃんだけど、今も全然元気だ。彼は今でもボケ防止のために英語の勉強をしていると言う。

思うのだが、こういう老人でかつて学生の頃に英語を勉強していたというのが、相当に古い人ではないかと。第二次世界大戦の開戦以後、英語は敵国語になってしまい、勉強しようにもできなかっただろうから。彼に大学在学時、第二外国語は何を選択していたかを聞いた。

中国語です。

当時、上海や満州、あるいは台湾に行って働く人も多く、中国語は大人気だったらしい。内地の人で大陸に出て一旗挙げようと思う人がたくさんいてもおかしくはない。

このおじいちゃんとは別な人だが、南京で働いていた老齢の女性を診たことがあった。なんと、あの南京事件の当時、ナースとして南京で働いていたと言うのである。

南京事件は歴史的には「南京大虐殺」などと言われることがあるが、その規模については未だに謎のままだ。虐殺の規模は30万程度から「虐殺などなかった」まで学者によりさまざまな意見がある。その元ナースの人に南京事件について聞いてみたところ、

いろいろ言うと、右翼の人が怖いので一切話さないことにしている。

といった話であった。まあこの年齢なのでそこまで心配しなくても良さそうに思うのだが、とにかく南京の話はタブーとして生活してこられたことがわかる。この一言で規模はともかく、虐殺のような事件はあったことが窺える。

南京事件は1937年(昭和12年)、日中戦争の初期、南京市を日本軍が占領した際に起こった事件を言う。虐殺の規模だが、中国の主張は30万人以上である。

また日本国内の肯定派(虐殺は存在した)でも10数万人くらいで、少なくとも日本人学者の肯定派では30万以上というものはない。数千から4万人程度が中間派である。否定派は、ゲリラ戦が行なわれていたので、そういう戦闘で死亡するのは虐殺とはいえないと言う主張だ。つまり「南京大虐殺などなかった」派である。

南京を占領した当時、既に南京市はかなりの人々が疎開しており、あまり住人がいなかったという説もある。陥落前の南京市は人口約20万人であり、そもそも戦争で日本軍がやってくるのに、人口が増えて30万人いるというのはおかしいと言う主張である。(20万人しかいないのに30万も虐殺するのは無理と言う意見)

また、否定派~中間派では、もし30万人を虐殺するとして、それだけの人を殺害する弾薬や銃剣がなかったと言う意見もある(銃剣は人を刺すと次第になまって切れなくなると思われる)。また30万人も虐殺するために膨大な銃弾が必要であり、当時の日本軍が、銃弾をそのような戦闘以外のことに使うことは考えにくいと言う意見もある。

また遺体も、もし30万人なら18000トンにも及び、それはどういう風に処理したのか?というのもある(肯定派は揚子江に流せば問題ないという説)また、日中戦争の初期だったので日本軍の軍規も乱れておらず、そこまで無茶なことはしなかっただろうという意見もある。

しかし肯定派では当時の南京の人口20万人についても、開戦後、周辺の混乱から都市部に人が流れ込んでいて、そこまで人が少なくはなかった(つまり疎開という状況にはなかった)という意見もある。

このように南京事件は、異なった事実、憶測が飛び交っている。そんなこともあり、実際、リアルに南京で働いていたような人の話って聞きたくなるでしょ。まして医療現場にいるナースなので、極めて貴重な経験、意見が聞けそうな気がする。

僕は全く偏りがない真実を知りたい。(笑)

ヨーロッパではカチンの森事件(ポーランド)では、実際は赤軍によるスターリンの指示による虐殺であったが、ナチスドイツの仕業になっていたものもある。(現在はソ連による虐殺という認識)

独ソ戦のスターリングラードの戦いでは、民間人も多くの人が犠牲になった。地上戦、それも大都市での1棟、1室を奪い合うような激戦だったからである。

それに対し南京はあっさり陥落している。その後6週間から2ヶ月で行なわれた日本の虐殺の規模についての論争なのである。否定派は都市部でゲリラ戦が行なわれたため、そのゲリラ兵が民間人に紛れているので誤って民間人も殺害することもあっただろう。ただ、そういうことは虐殺とは見なされないという意見である。(捕虜の殺害にしてもお互いさまという。これは、プライベートライアンの映画でも投降してきたドイツ兵をいきなり銃殺する場面が出てくる)

実際、ベトナム戦争ではベトコンが民間人に紛れているので、米軍もいったい誰が敵兵なのか民間人なのかワケがわからなくなり、集団ヒステリーのような心理状態に至り、村全体を虐殺したり焼き払ったりしている。(肯定派の意見では、南京大虐殺ではこのような要素があったという。つまりゲリラ戦で日本軍もかなりの死傷者が出ていることの腹いせ的なもの。)

ただ、当時の南京市がそういう状況だったのかどうかである。もし疎開が徹底していればそこまで民間人が殺害されることはない(数十万という膨大な数にならない)。

僕はどうも当時の南京市はスターリングラードのような激しい市街地戦でもなく、ベトナムほどの、森や村の中で一体誰が敵なのかわからないような戦闘でもなかったような気がするのよね。

こういう当時のことを知る人がどんどん亡くなっているので、史実をはっきりさせるために、日本政府は当時を知る人たちからバイアスのかからない調査を行なうべきと思うが、そんなことをすると中国を刺激し、日中関係を損なうことにもなるので、それもできない。

僕は子供の頃、父方のお祖母ちゃんの家に遊びに行った時、柱時計とその柱に銃痕のような穴が開いているのに気付いた。お祖母ちゃんになぜなのか聞くと、米軍の機銃掃射の跡なんだと言う。傷はあってもしっかり動いていた。

よくもまあ、こういう田舎にまで来て機銃掃射をしたものだと思った。

ヨーロッパでは銃痕だらけの建物がそのまま残してあったりするらしい。戦争の悲惨さを国民の記憶に留めるためだ。日本では残念ながらそのような文化はないと思う。(原爆ドームなど、極めて象徴的な建物に留まっている)