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昨日、神社仏閣マッチングの為に参拝した内の
一つはアタクシが特に好きな寺院
(でも鳥居がありますのよ⛩️)
北極星信仰の能勢妙見山
🐴⭐️⛩️
8年前に、
✝️十字架と星のお導き⭐️としか
思えへん不思議な御縁で知ったお寺です。
今回も 🙏祈りと感謝🙏 の参拝
となりました。
まぁ自分の中から引っ張り出せば欲の1個や
2億万個
位はありますけども笑、神仏を前に
✨真っさらな個✨
として立つといつも、
自分のことはどうでもよくなる
のです。
綺麗事ではなくホンマにそうなんです、
自分の大切な人達は勿論、顔も知らぬ世界中
の人や自然界にとってのより善い未来
を、一心に祈ってます。🙏🌎🌺
で、最後にやっと ついでに自分 の幸せも
祈っとこか。みたいな。笑
でもまぁ、文字で伝えたら上記のような感じ
にはなりますけども、実際はいちいち
誰それの幸せ〜だのどこそこの国の平和〜
だの細かく区切って祈ってるんと違ゃいます、
まとまった対象に愛を捧げつつ、神仏にも
感謝を捧げてる感じ です。
その時の感覚は自分でも不思議でしかないん
やけど、
自分が無 になってる、消えてるのです。
ただただ感じられるのは 至福というのかな、
至高のバイブレーション との一体感 です。
光 に包まれてる のともちょっと違って、
✨数多の光の矢が自分を
通り過ぎてる感じ✨
です。
が、自分は無い し、ホンマのこと言うと
光が通り過ぎる感覚も無い んやけど、
でも 確実に解ってる のです。✨
これは、全と個 が融合したってことなん
やろうなぁ、、、。
だから 個 としての自分 は無感覚やけど、
全なる自分としては認識できてる。みたいな。
アタクシがこの感覚を初めて得たのは、
6歳の時 なんですの、場所は富士山の八合目。
端的に書くと富士登山のツアーに参加し、
真夏の真夜中に八合目まで登って山小屋で仮眠、
暗い内に起床、雲一つ無い東の空を眺め、
御来光が上がって来るのを待ってたの
です。🌅🗻
地平線が明るくなるに従い、空が藍色から
紫色、、、と言葉にならない美しい
グラデーションに染まり🌈✨、ようやっと
太陽の輝きが放射状に放たれ、、、
その様を大人の集団から離れて、ズーっと一人で
立って眺めてました。
あまりにも美しくて、子どもながらに 全身
が感動に包まれて、瞬きするのも惜しいほど
の気持ちで立ち尽くして凝視してる時に、
ソレ が起こりました。
自分が無い
のです、身体の感覚が全く無い のです。
富士山のゴツゴツした赤銅色の岩肌に立ってる
のはハッキリ解ってるのに、浮いてる感覚
なんですの。
山小屋だって周囲の人達だって自分の
足や手も見えてるのに、
自分だけは 光と一体化してて、そこに
いないかの様なんです。
ずっと後になって 解ったんやけども、
あれは 目で見てたのではなく、
感覚で視てた ということやろなと。
で、あの時の眩いばかりの御来光、アタクシに
とっては
あの光そのものが 神 です、
姿形がある モノ では無い。
ほんでもって、この世のどんな存在も
あの光 の一部であり、全てです、みんな等しく
同じです。
ただただ、状況や状態が違うだけのこと。
自分が無い🟰自分は全て
6歳時のこの至高の体験を↑こういった公式↑
にできるまでは、約10年かかりました。
14-15歳の頃に再び光が自分を通り抜ける
経験をした時に、やっと明確化できたのです。
あれから何十年も経ちましたが、あの感覚は
あの時のままです。
で、あの時のままの個 として神社仏閣の
本殿・本堂の前や、キリスト教会の礼拝堂、
イスラム教のモスクの中などに立つと
最初に書いた通り、
自分のことはどうでもよくなる のです。
これこそがアタクシの原点ということやから、
この先に死ぬまでズーっとこのままの
心の姿勢を貫いて、
宗派を問わず
お祈りいたしたく思います。
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