2014年秋。
秋田県立美術館を訪れました。

当時開催していた「藤田嗣治と土門拳の交差」。
藤田嗣治の作品は常設展示されており
企画展なども開催されています。

~チラシより
藤田嗣治と土門拳の邂逅を中心に、1930年代から40年代の土門拳撮影の写真を展観します。
1933年に帰国した藤田嗣治は、東京市淀橋区戸塚町にアトリエを建て、日本での活動を本格的なものとしました。
その後、1937年には、同市麹町区六番町にアトリエを新築し、日本での絶頂期を過ごすことになります。
この六番町のアトリエでの日常から、戦後日本を離れるまでの藤田の姿を撮影したのが、土門拳です。美術雑誌の取材で藤田と土門が出会ってから、土門が藤田を撮影した期間は、1941年頃から1949年に及びます。
土門拳は若い頃、画家になる夢を抱いていました。その夢を断念し、写真家の道を選択します。
日本工房で報道写真に取り組み、その後は、日本文化を海外に発信する国際文化振興会のカメラマンとしても活躍しました。
そして、1940年代には、文楽や室生寺の撮影にも取り組みました。
本展では、二人の芸術家がともに生きた時代と、それぞれの思いを紹介します。
ここには、
以下、私のフジタ解説、超ざっくりしすぎ編です。
(間違い等ありましたらご容赦を)
藤田嗣治は東京の名家に生まれました。
お父さんは陸軍医総監にまで上り詰めた人で、
裕福な家柄でした。
嗣治は幼少から絵の才能を開花させ、
東京藝術大学に入学するものの、
その当時の、黒田精輝をトップとする画壇の
旧態依然とした態勢に嫌気がさして、
奥さんを置いてパリへと発ってしまいます。
第1次世界大戦の間は食べるものもない極貧でしたが、
モンパルナスの芸術家たちの集まりのなかで
(ピカソ、モディリアーニ、ザッキンやアンリ・ルソー)
だんだん認められるようになったようです。
線描を活かした透き通るような女性の肌が評判となり、
金銭的にも大成功。
私の愛するマン・レイの恋人キキもこの時代にモデルとなっています。
ちなみに奥さん?パートナーの女性?は何人もガンガンかわっていますので、
私はよく把握しておりません。(笑)
その後日本で第二次世界大戦にまきこまれ、戦争画を描くはめになったりします。
それがもとで批判され、それに耐えられずフランスに戻ることにし、
終生戻りませんでした。最後にはフランス国籍になり、洗礼を受けています。
死後、日本政府から勲章が贈られる、というなんとも切ない話もありました。
(5人目の君代夫人はフジタ49歳で出会い終生つれそいました。所蔵作品を守り抜き、
日本では一番たくさんの作品をポーラ美術館(箱根)に寄贈したそうです。)

あ~~~前ふりが長すぎました
土門拳とどうやってであったか、って話です。
1933年、藤田は47歳で日本に戻ったのですが、
41年に「画論」の取材で土門拳と出会い、
そこから8年間、撮影が行われていたようです。
でました!
昭和の真実を切り取る 硬派の写真家
土門拳
「古寺巡礼」の写真集が一番有名なのでしょうか。
↓このパネル、圧巻でした。
写真の前で動けなくなるハクリョク。

この仏像がたたずむ空間全部が
写真に入っていました。
一部しか見えていないのに、まるで
自分がその空間のなかに立っているかのような。
そして、
この写真たちも出展されていました。
(画像はネット上より)
このタイプの全く違う二人のアーティストがどんな会話をかわしていたのだろう。
それを聞いてみたいですね
。
藤田嗣治はアトリエの中に土門拳を招き入れて
かなりプライベートな写真や、
君代夫人との写真も撮らせているので、
そうとう親密な仲だったのでしょう。
フランスのエスプリを身にまとう、
伊達男のフジタ、
真実の厳しさやその手触りを伝える
昭和の男 土門拳、
は、一見まるで正反対に見えます。
けれど、二人はきっと
アーティストとして、人間として、
真摯に作品に向き合う姿勢に共感したのではないでしょうか。
協会の理事になって、
安泰に暮らす道を選ばず(笑)
一人の挑戦者~チャレンジャーとして
生涯、創作を通して自分のコアと向き合い続けた。
そんな二人にしか、語れない話もあったでしょう。
そんなことを思いながら数々のドモンが写しだしたフジタの写真を見ました。
秋田の南、山形県には
土門拳の記念美術館があります。
時間があればここにも寄ってみたかった。
また次の機会に
ハナシはかわりますけどね
オダギリジョーがフジタを演じる、
日仏合作映画「FOUJITA」が観たい


(左が本物のフジタ、右がオダギリジョー)
ヽ(*'0'*)ツ
に、似てない????!!!!
サイト・SOCIETAS に詳細
映画は小栗康平監督がメガホンを取り、
私の大好きな映画『アメリ』を手掛けたプロデューサーである
クロディ・オサール(Claudie Ossard)が担当したというではないか!
オダギリジョーはフランス語特訓されたそうです。
(相手役は中谷美紀さん
)











