リンカラ ~皆川公美子です。
金沢の旅、3日目、偶然、興味深いお話を聞かせていただきました
金沢21世紀美術館に行って、そのすぐ脇にある
金沢能楽美術館での夕方のことでした。
私は能装束を間近で見たい、というのが
主な目的だったのですが、
このときは刀剣の展示が主であまり興味を惹かれるものでありませんでした。
3階の研修室で能楽の太鼓の体験会があるというので、
ちょっと覗いてみようかな~ぐらいの気持ちで
伺ったら・・・・・
金沢の旅、3日目、偶然、興味深いお話を聞かせていただきました

金沢21世紀美術館に行って、そのすぐ脇にある
金沢能楽美術館での夕方のことでした。
私は能装束を間近で見たい、というのが
主な目的だったのですが、
このときは刀剣の展示が主であまり興味を惹かれるものでありませんでした。
3階の研修室で能楽の太鼓の体験会があるというので、
ちょっと覗いてみようかな~ぐらいの気持ちで
伺ったら・・・・・
そこで迎えてくださった、吉野晴夫さん。

その時は偶然私ひとりでしたが、
お能の歴史や加賀藩の昔からの生活、等々
2時間近くかけて聞かせてくださったのでした!
そのお話がもう~~~
おもしろかった



感激しました

織田信長公、
豊臣秀吉公は能を舞うことが大好きで
事あるたびに能の会がありましたので、
諸大名もいざというときのために
能を練習しておく必要がありました。
普通なら京から先生をお呼びして・・・となるところが
倹約家で有名だった加賀・前田利家公は
場内にいる職人さんたちみ~~んなに能を勉強させて
自分の稽古のお相手にしたそうなんです。
城内の職人さん、というのは大工さん、左官やさん、金工、漆、金箔・・・
そういう方たちです。
職人さんたちは、公家でも武士でもありませんので、仕事が終わるとうちへ帰ります。
そうして町内でも「能を見せておくれよ」
ということになり、
次第に城下にお能が広がって行ったそうです。
なので、明治、いや昭和の途中ごろまで
金沢では
お家の新築の棟上げ式のときまでは、ふつ~に
どこでも能を舞うという習慣があったということ。

金沢の文化レベルはどこまで高いのだろう~。

金沢のお殿様、加賀百万石の前田利家公は
外様大名であったということもあり、
「武器にお金を使っていませんよ~~、文化にお金をつかってます
」ということを、徳川幕府に対して明確に表しておく必要がありました。
それもあって、茶道や和菓子の世界、
それから広がる庭園や造園の世界、
お能のまわりの衣装、、、、
そういうものがすべて大きく発展したということでありました。
話は変わりますが、
能の舞台には奥に、松が描かれた板がしつらえてありますね。
あの板を「鏡板」というそうなのですが、
私が横浜から来ているということを知った吉野さん、
「横浜能楽堂の鏡板はね
」と嬉しそうに語ってくださったお話は・・・・
横浜の能楽堂の鏡板は、松だけでなくて左に梅が
描かれているんです。

あれは金沢から運び込んだものなのですが、
前田家の家紋は梅鉢ですから

そうやって左側に梅を入れたんですよ。
お~横浜能楽堂は金沢のゆかり!
今度ぜひ行ってみます

吉野さんのお話は、そのあとも
観阿弥世阿弥のハナシにさかのぼり、
足利義光が世阿弥の能をとりたてスーパースターになった話、
源氏や平氏に題材を求めているのでお化けがいっぱい出てくる話、
なぜ能舞台と観客席の間に白い石があるか、等々
、本当に勉強させていただきました。
以下、自分のの忘備録として書いておきます。
世阿弥は、源平合戦の悲哀をストーリーにしたものをたくさん作りました。
例えば・・
「旅人がいました。
宿場に泊まると、また成仏していないから
成仏させてくれと、平家の落ち武者の霊がでてくる。
そうかそうかと言って、外でお祈りしていると、
そこに花の精などがたくさん集まってくる。
それではじめて、ありがとう成仏できた・・・
というのを夢で見ました。」
そういう構造になっているストーリー展開は
なかにどのようなお話をもってきても成立する。
その基礎を作ったのが、世阿弥であるということでした。
足利の時代のあとは、10年も続く応仁の乱で、人々は能どころではなくなって
いったんお能はすたれるのですが、
信長や秀吉が能を好んだことで、
今度は武士の教養ということで
能がまた復活します。
秀吉の取り巻きだった前田利家や徳川家康は
能を手厚く保護して、
「正式な会のときには必ず、能を舞うように」というよな規則まで
つくっていました。
それで江戸時代300年のあいだ、能の安泰期があったわけです。
もともと能は神様に豊穣をお祈りするための舞です。
神様に何かお願いするのに、てぶらで要求ばかりするのは失礼ですから(笑)、
力くらべを見てもらったり(➡これが相撲に発展)
踊りや舞を奉納して神様に楽しんでいただいて、
お祈りするわけです。

歌舞伎はその能の一部だけをとりだしたものですね。
歌舞伎は1602年くらいから約400年の歴史ですが、
お能は250年くらい、さらに歴史があります。
徳川が能を武士の世界のものにしてしまったので、
一般の人は見られなくなりました。
(金沢だけが例外です)
歌舞伎は民衆のあいだで、発達しましたよね。
奈良の若宮大社であと10日ほどでその舞がありますが、
あそこに鏡板に描かれている松があります。
このあと金沢がシェア99%という金箔のお話になり、
脂取り紙のハナシになり、
お話はつきなかったですが、この辺にしますね。
ちなみに狂言師・野村萬斎さんの野村家は、 江戸時代、金沢の桶町で「八田屋」という屋号で酒屋をしていたそうです。 金沢のご出身のお家なのですね。
吉野晴夫さん、ありがとうございました!
ステキなお話の数々を忘れません。
【吉野晴夫さん】
能楽笛方森田流職分。2001年に重要無形文化財総合指定保持者に認定される。
東京で故・寺井政数氏に師事し、初舞台は1964年5月の「鞍馬天狗。」
以来、全国はもとより海外でも舞台活動をする傍ら、石川県、富山県内で能管教室を開き、能の笛の普及に力を注いでいる。
1980年に金沢市の姉妹都市ベルギーゲント市をはじめ、1988年には、外務省からカルガリーオリンピックの日本文化紹介能楽団員として派遣されるなど、海外の公演にも数多く出演。1996年のテレビ朝日「ニュースステーション」でピアニスト羽田健太郎と共演。
また200年にオーケストラ・アンサンブル金沢とも共演するなど、新しい分野にも取り組んでいる。
金沢能楽美術館館長。
募集中のイベント


12/16 五感のシェア会 「あなたの世界の入口は」
12/20 都内気楽なアート遠足 萬斎さんとゴンドリーさんの世界 at 東京都現代美術館
脂取り紙のハナシになり、
お話はつきなかったですが、この辺にしますね。

ちなみに狂言師・野村萬斎さんの野村家は、 江戸時代、金沢の桶町で「八田屋」という屋号で酒屋をしていたそうです。 金沢のご出身のお家なのですね。
吉野晴夫さん、ありがとうございました!
ステキなお話の数々を忘れません。
【吉野晴夫さん】
能楽笛方森田流職分。2001年に重要無形文化財総合指定保持者に認定される。
東京で故・寺井政数氏に師事し、初舞台は1964年5月の「鞍馬天狗。」
以来、全国はもとより海外でも舞台活動をする傍ら、石川県、富山県内で能管教室を開き、能の笛の普及に力を注いでいる。
1980年に金沢市の姉妹都市ベルギーゲント市をはじめ、1988年には、外務省からカルガリーオリンピックの日本文化紹介能楽団員として派遣されるなど、海外の公演にも数多く出演。1996年のテレビ朝日「ニュースステーション」でピアニスト羽田健太郎と共演。
また200年にオーケストラ・アンサンブル金沢とも共演するなど、新しい分野にも取り組んでいる。
金沢能楽美術館館長。
募集中のイベント



12/16 五感のシェア会 「あなたの世界の入口は」
12/20 都内気楽なアート遠足 萬斎さんとゴンドリーさんの世界 at 東京都現代美術館



