部長の一件もひとまず私の中で落ち着いたので(ルックスが好きなのでどうしてもいちいち見とれてしまいますが
)、全然関係ない話をしようかなと思います。
小4の時に、本好きな私に担任の先生が貸してくださって、その年のクリスマスプレゼントに両親から買ってもらって以来、ずっと私の宝物である「はてしない物語」を、少し前からまた読んでいます。
今までに何度も読んだのに、こんなに美しい描写をなんで私今までスルーした!?とびっくりしたのがこの部分。
三日目、エリボのガラス塔がいくつか見えてきた。
この地方の住民は、ガラス塔に星の光をうけとめて集めていた。その光からきれいな飾りのついたものをつくるのだが、なんのためのものなのか、かれら自身のほかは、ファンタージエン中だれにもわからなかった。
- ガラス塔に星の光をうとめて集める…
- その光からきれいな飾りのついたものをつくる…
- なんのためのものなのか、かれら自身のほかは、ファンタージエン中だれにもわからなかった…
愛するとは、目の前のすべての現実を無条件に受け入れることです。
現実を愛し、無条件に受け入れることのできる力によって、自分の思い通りにしたいという心を打ち破るのです。
私のような毒親育ちがいた世界とはまさに真逆!
そして、バスチアンが「ただしたいこと」をどんどん叶えて間違った方向に突っ走っていくくだりも、潜在意識の使い方を間違えると恐ろしいことになるという戒めなのではないかと。
はてしない物語は、ただの児童文学やファンタジーではない、本当に深いお話だったんだなと、10歳で初めて読んでから36年経ってやっと気がついたのでした。
そういえば、バスチアンは11歳の男の子なので、初めて読んだ時はそういう意味ですごく親近感がありました。
こういうのも運命なのかもしれないですね。
ちなみに、私に「はてしない物語」を貸してくださった担任の先生は私の実家のわりと近くにお住まいで、まだ年賀状のやりとりが続いており、実家に出戻る(出戻った)ということも伝えてあるので、涼しくなったらお食事にお誘いしようと思っています。
厳しいけれど本当の「愛」のある先生だったなと、あの頃を振り返って思います。


