父の命日 | 小麦の実験室・・・パンが焼ける匂いは幸せの香り

小麦の実験室・・・パンが焼ける匂いは幸せの香り

国産小麦で焼くパンは季節によりレシピを変えて作ります。
キッチンはまるで小麦の実験室。
酵母は子供を育てるのと同じ。大切に大切に育てます。
ライフワークの天然酵母パン作りを中心に嬉しかった事、
感じた事を呟いていきます。

今日は父の命日。

父の大好きだったクリスマスローズ

先月、実家から株分けしてもらってきたのが家でも綺麗に咲きました。



小麦の実験室・・・パンが焼ける匂いは幸せの香り


泊まっていた孫二人を連れて実家へ。

父母の好物の八竹の茶巾寿司を新富町で買って行きました。

平成14年4月4日。 父は肺ガンと肝臓ガンの転移で亡くなりました。

それは母が入院していて退院する日でした。


毎日私たち姉妹が母の病院へ行っていたのもあり、最後まで自分の事は自分でやっていた父でした。 定期健診でそれがわかったのは亡くなる一週間前。


入院する日が決まっていたのですが、状態が悪く日赤医療センターに緊急入院し、3日後に亡くなりました。

いつ心臓が止まってもおかしくない状態でした。

お医者様には「今までに例がない。生きていること自体信じられない数値です」と言われました。


父が入院した翌日、母の外泊許可をもらい父に母を会わせました。 

父は元気になった母を見て本当に安心したのだと思います。


実家に寄り母の病院へ行く時いつも「おばあちゃんを頼むね。みんな忙しいのに本当に悪いね」と自分の辛い事は一言も口にしませんでした。


母は4月4日に退院が決まっていましたが、夜中退院させてもらい父に会いに病院へ連れて行きました。

母が着いてまもなく、父は皆の見守る中息を引き取りました。


後で見つかった父の遺言です。


「晩年、自由に生活が出来幸せ感謝します。

皆には苦労をかけ本当に有難う。

人生にとって訪れる死避けて通れぬ宿命です。

長い間有難う。重ねて御礼申します。


1. 病院での延命治療は行わず自然死望みます。


1. 死亡につきましては無宗教につき宗教的儀式葬儀、

告別式法要一切行わず近親者のみにて御別会でも行って下さい。

花一輪と音楽でもかけて戒名、仏壇、自然崩壊する由墓は作らない。


1. 遺灰は自然葬、野山、海、湖沼に適当な時期にいつでも結構です。

散骨して下さい。

以上よろしく御願い致します。


平成10年3月17日」 


亡くなる4年前の誕生日に書いたものでした。


母を守り、子供たちを愛し、皆に愛されたやさしい父でした。 

駆けつけてくれた方には、お香典等一切受け取れない事を説明し解っていただきました。


妹と二人で朝まで霊安室にいました。 看護婦さんたちがお線香をあげに来てくださいました。 たった3日の入院でしたが、とても大切に父を扱ってくださり、車が出る時間には玄関口までお医者様が見送りに来て下さいました。


父の好きだったジャズをかけながら実家に戻った父と一緒に過ごしました。

皆で父の意思にそったお別れをするにはどうするのが良いか、葬儀屋さんと何時間も話し合いました。 ひ孫のお陰で母も気が紛れていました。

又、父が皆を近づけてくれたみたいな気がしました。


ごく身内だけでしたが、途中、甥のバンドの友達が来て皆で父の前でお別れの演奏をしてくれました。 とても静かで悲しげで素敵な曲でした。

感動して涙が出たのを覚えています。


2階にある父と母の部屋の隣に甥の部屋がありました。

父と母が元気な時は、そこにいつも友達が出入りしていました。

「みんな良い子達だ」と両親はいつも言っていました。


その中の一人が介護士になり、母をささえて二階の部屋まで連れて行ってくれました。 ベッドに寝かせて本当にやさしく話しかけてくれていました。 今、その方は介護士を続けているでしょうか。


母の看病で疲れていた私達に父は本当に豊かな時間を与えてくれたように思えました。

素敵な音楽を聴きながらさわやかな時を過ごしました。 

子供達もみんな父の事を「世界一素敵なおじいちゃん」と言っていました。

とても嬉しかった。


桐ヶ谷斎場に行ったのは家族だけ。 マイクロバスを頼み皆一緒に乗って行きました。

自宅から出棺する前、棺の周りに娘達がみんなが手をつないでいるイラスト書き、棺の上に「スーパーおじいちゃん万歳」と大きく書きました。

私の作ったライ麦パンや、それぞれが作った物、手紙、お気に入りのセーター、背広などを入れました。


娘が棺に

「おじいちゃんがいてくれて本当に良かった。 

おじいちゃんが一番大切な人、おばあちゃんを

これから皆で守っていきます。 おやすみ」

と書きました。


マイクロバスの中、待合室では「イマジン」をかけていました。

本当にすがすがしい気持ちになりました。 

最後はずっとジョンレノンでした。


帰ってから甥の友達がおばあちゃんを励ましに来てくれました。

母は一人ひとりに「本当にありがとう。 おじいちゃんの希望通りの音楽奏ができました。」とお礼を言っていました。 甥の友達も泣いていました。


すべてが終わった時、退院したばかりの母が参加できるお別れ会はこれより他になかっただろうと思いました。

家から直接火葬場へ行き、母もすべて参加できました。

もし、普通の葬儀をやろうとしたら、母はその場所へ行けず、母に為に私達が交代で付き、父のそばにいてやることすらできなかったろうと思いました。


・・・・・・


そして今日の命日。

母は私に「どなたさまですか?」と尋ねました。

私は何事もなかったかのように、「次女の○○○ですよ」

と返しました。


そんな母を娘や孫達はどう見たでしょう。

人が老いるという事を母は教えてくれています。

良く見ておいて欲しいと思いました。


・・・・・・


今年の命日も、父が一番大切にしていた母の元に集まった。

行ける人が行ける時間に。 

皆が父の事を思い出して過ごす大切な一日だった。

父の事を孫に伝える一日だった。 

老いるという事を考える一日だった。

家族について考える一日だった。

これからもずっとそう。 きっとそう。