2016年5月の初め。
熊本県益城町、益城町総合運動公園を拠点に、震災ボランティアへ向かいました。
その少し前に、夫と知り合い——
夫がチームを作り、現地へ向かうと聞き、
「どうしても参加したい」とチームに願い、同行させてもらいました。
母の故郷である東北の震災の時、
私は募金という形でしか関わることができなかった。
だからこそ——
「今度こそ、自分の手で何かをしたい」
あの時の心残りや無力さを、
ほんの少しでも“力”に変えられるかもしれない。
そんな想いで現地へ向かいました。
一度ボランティアを経験している夫や仲間たちの動きは、本当に早かった。
共感してくれる仲間や企業への声掛け。
SNSでの支援物資の募集。
「芸能人だからこそ出来ること」がある。
それを、強く実感した瞬間でもありました。
現地に迷惑をかけないようにと、
交通手段や宿泊先も全て自分たちで近県に手配し、
熊本出身の仲間と連携して、現地での動きも考えていたのだと思います。
温かい食事を500食。
簡単に食べられる温かいもの。子供用のおやつ。
オムツや女性用品、離乳食など——
東北の震災で「届きにくかったもの」を中心に、
一人ひとりに手渡しすることができました。
けれど、その裏で感じたこともあります。
行政に届いた支援物資は、
“全員に行き渡らない限り配れない”という現実。
避難所の裏に、山積みになっているオムツや生理用品。
——あるのに、配れない。
「そんなことってあるの?」
「また同じことを繰り返すの?」
怒りにも似た感情を、今でも覚えています。
一部の人にでも届けば、意味があるはず。
必要としている人が、今、目の前にいるのに。
ある時、小さな子どもを抱えたお母さんにオムツを渡しました。
その子のお尻は、かぶれてしまっていて——
「本当に助かりました!」
そう言って、笑顔で握手をしてくれたその手の温もりを、私は忘れません。
全員に平等でなくてもいい。
日本人は、分け合うことができる。
どんな状況でも「ありがとう」と言える強さがある。
あの時、
“ありがとう”という言葉の重みを、深く知りました。
そして——
先頭に立って動いていた、川﨑麻世という一人の人間。
何を言われても、やり遂げる。
目の前の困っている人を、見捨てることはできない。
外野の声に怯んで、見過ごすという選択はしない。
それが、当時ボランティアリーダーだった彼の意思でした。
Hand in hand
手と手を取り合って、共に。
あれから10年。
まだ10年。
あの時、オムツをしていた子どもたちが、
今も元気に笑っていてくれますように。
あの時「ありがとう」と言ってくれた方々が、
穏やかな日々を過ごせていますように。
地震大国の日本。
誰かを想い、支え合う気持ちを、
これからも忘れない国でありたい。
改めて、そう願っています。





