【いのち】手の中にみえるもの。 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。


*ともみんちへようこそ*


ここは、わたしの人生のメモ帳です。
5人の子どもたちと夫との暮らし。
日々の揺れ、違和感、気づき。
ことばにならないまま過ぎていく瞬間を
徒然なるままに。

真っ直ぐに
浮かんだまま、鮮度を保ったまま
記録することが目標です。


こんにちは


ともみんです。



7月8日、母から

“おばあちゃんが長くないと思う”と

いう一報を受けた。





祖母93歳。




直感的に

“週末まで待てない”と感じて



翌日、会いに行ってきた。





コロナ禍に施設入所したので

直接会うのは

5、6年ぶりだろうか。










そこには

すっかり骨皮になった祖母がいた。



手を見て欲しい。


娘の手

息子の手

そして、祖母の手。





93年使ってきたこの手は

4ヶ月しか使っていない手と

別物に見える。





この手で一体、どれだけのものを

生み出してきたのだろうかー。





子どもを産み、育む過程で

また、

孫を迎え、育み、愛でる過程でー。





この手で生み出された料理は

一体、

何人の胃袋を何回満たしてきたのだろうか。





この手で紡がれた着物は

一体、

何人の晴れの舞台を彩ってきたのだろうか。




この手が清めた空間で

家族がほっと安らぎ、くつろいできた。





この手で抱かれた孫たちは

温もりをもらい、すやすや眠った。





いつもいつも

バイバイ👋と

見えなくなるまでこの手を振って

見送ってくれた。






祖母は…

毎日毎日手を合わせ、

わたしたちのしあわせを

祈ってくれていたことは


見えていなくても

感じていた。






ありがとう、おばあちゃん。





そんなわたしの大好きなおばあちゃんの手を



息子がにぎり、

娘が舐める…。





いのちのリレーがここにあった。




おばあちゃんの手の奥に見える

おばあちゃんの道のり。





ガリガリに痩せて、

筋だらけの手。


その手は

とても美しいと思った。





ー手相は未来を占うものではなく、

つくってきた人生を写すものー

なのかもしれない。




ぎゅーっと握って

離さなかった手。


スタッフや母の手は握って離さなくて

「行かんといて」と言っていたらしい。




でも、この日は

時間が経ったとき、




すっとはなしてくれたー。

(息子談)





「もう、いきな」と言うかのように。


いきな、は

行きなであり、

生きなーなんだと思う。





握って、繋がり
離して、つながるー。






翌日ー7月10日。

その手からは

温もりが消えた。




93年間、たくさんのものを生み出して

育んできた手。





おばあちゃんの手から生まれたものは


受け取ったわたしたちの血肉となり、

次の世代へと繋がっている。




面会の最後に

おばあちゃんの頭をなでなでして

きた、わたしの手で。



シワだらけになってきた

不恰好なわたしの手で。



分厚くなってきた

たくましいわたしの手で。






おばあちゃんは

何を思ったのか、


何も思わなかったのか。





でも、伝わっていますように。






小さな2つの手でたくさんのものを

生み出してきたおばあちゃんの手を

尊敬していることが。









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