第807話
神仏の声を聴いて
皆様にお届けしています
菊水千鳳です
昨年のお盆休みに
レンジャーチームのメンバーで
お伺いさせていただいた時の
宮城三陸参拝体験シリーズ
いよいよ最後の投稿となります。
今回は最後の訪問先
〈瑞鳳殿(ずいほうでん)〉です。
ホームページより抜粋
↓
"瑞鳳殿は
1636(寛永13)年、
70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、
その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。
瑞鳳殿は、
本殿、拝殿、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。
現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979(昭和54)年に再建されたものです。
平成13年(2001)に、
仙台開府四百年を記念して
大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿が甦りました。"
✧︎*。☪︎ *.
それでは書いていきます。
大崎八幡宮に別れを告げ、
瑞鳳殿に到着した時点では
閉門40分前でした。
ここから歩く時間を考慮すると参拝時間は30分ほどありました。
C君とC君のお父さんは
昨年も参拝しているので
別行動で参拝することにしました
俺はSさんと共に行動。
チケットを購入し、
中へと入りました。
各所を見て回ることは
ほぼほぼ不可能なので
先ずは速攻で、伊達政宗公のお墓である瑞鳳殿へgo🏃♂️💨

とても色彩色が豊かで
思わず見とれてしまいました✨
伊達政宗公が
いらっしゃいました。
伊達政宗公
【よっし! (お主ら)
間に合ったようだな
前日 釘を刺してやった甲斐があったわ
(←時間に間に合わせて来るようにとおっしゃられたこと)
豪華絢爛(ごうかけんらん)
ワシの望むように
造らせてやったんだ
死後 ワシが死んだあと
多くの民の心と通い合わせるためにな
恥じない装飾を施した
ここは おんぼろであるはずは なかろうて‼
(おんぼろであるとしたら)
言語道断である
絶対そのような造りにはさせない
ワシは いかなる土地にも
ワシはワシであることが
望ましい姿だからな
こだわることは大事だ
だが
こだわろうと思ってみても
それが叶わんこともあるだろう
精一杯の努力
大座(おおざ≠王座)に座る姿勢
意気込み
そのようなものを
鼓舞(こぶ)させ
見事 こだわりを成し遂げることができるはずだ
決してあきらめるな
それでこその
望ましい在り方よ
だが こだわりの無い者は
こだわってもしょうがないからな
(こだわりがあるのならば)
ここぞという態度
みせてみいや!】
この時のメッセージは
ここで終わりました。

このあと、資料館へgo。
~~~
(追加)
時は変わって、
Sさん、C君ファミリーが
前年に宮城へ野球を観戦しに行った時に、
伊達政宗公から受け取った
メッセージです。
↓↓↓
伊達政宗公
【独眼「竜」やぞ!
愛した地元(東北楽天ゴールデンイーグルス)を贔屓(ひいき)するのは当然じゃろ!
ハッハッハ!】
Sさん、C君は
大の西武ファンでして…(笑)
続いて
野球を観戦した翌日、
瑞鳳殿に入って手水をする前に
C君の右肩が
急に痛くなったことに対して
伊達政宗公
【 なんじゃ こんな事
ちょーっとした戯れじゃ
((昨日の野球の試合)
本当は贔屓なんて
それをよの 厳格なやつら(←伊達家に仕えている重臣)はワシのことを怒る】
(C君の右肩が痛くなったことを)
伊達政宗公
【なんじゃ
そのくらいでビビりおって
人の眠っとる場所(=墓所)に行くということは
それなりの常識を持って行くべきである と
確かに我は
絢爛豪華を好むが
それを観光地化を是(ぜ)とした覚えはない
ま それで地元が元気づくのであれば
そのような目的になることも
やぶさかでない
が 敬意を忘れてもらっては困る
この仙臺(せんだい)を
目指し 造り 繁栄させたのは
ワシじゃということを
忘れないで欲しい】
続けて
【この霊廟は
ワシが作らなくても
家臣がつくってくれたとは思うが
ワシが好んだ場所だ
この地に我あり】
~~~
話を戻します。
続いて資料館へと入ってみました。
展示室で伊達家三代や霊屋の発掘調査で出土した遺品や、発掘の当時の映像とかを
見れました。
最後に順路に従って
〈感仙殿〉と〈善応殿〉へと向かいました。

・感仙殿は
二代藩主 伊達忠宗公
(1599~1658没)の霊屋

・善応殿は
三代藩主 伊達綱宗公
(1640~1711没)の霊屋
です。
こちらも
色彩豊かな造りでした。
ここでは、感仙殿の
二代藩主 伊達忠宗公から
メッセージがありました。
↓
伊達忠宗公
【父に継ぐもの
親として尊敬する父だった
父の流れに従い
事を執りおこなおうと努めた
父を心底
尊敬の念を持ち続けている
最高の親であった
ワシは恵まれておるから
これからも皆と共に
この地に尽くして参る】
ここで、完全なタイムリミットとなりました。
帰り際、
足元に一羽の蝶々が降り立ちました。
羽を開くと
美しい色をしていました。
蝶々の姿が伊達政宗公のお姿と被って見えたのは
俺だけではないと思いました。

閉じたり開いたりして
見送ってくれているようでした。
~~~
📖 全22話からなる
宮城 三陸参拝体験日記。
2泊3日の旅でしたが
大変充実した旅になりました。
無事に終えて
本当によかったです。
また行けたらと思います。
特に金華山へは
べんちゃん(弁財天)に呼ばれているので
行かないとなりません。
何故呼ばれているかまでは
分かりませんが。
それでは
サヨナラ宮城
またお会いしましょう✋✋
~近況報告~
ここ数年、ゴールデンウィークは
地方への参拝を行うようにしていましたが
今年はおとなしく家に居てます。
俺の場合は、
家で瞑想をしたり
本を読んだり、書いたり
片付けをしたりしています。
実は この休みで
凄くパワーを蓄えられています。
新型コロナウイルスで
今は外出しないでおりますが
蓄えられたパワーで
前回 できなかった地区(地方)の
妖怪退治ができないか
考えています。
あと少し、協力しあって
頑張りましょう!
~オススメの過去日記はこちら~
↓
🌞宮城 三陸参拝体験
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神仏の声を聴いて
皆様にお届けしています
菊水千鳳です
昨年のお盆休みに
レンジャーチームのメンバーで
お伺いさせていただいた時の
宮城三陸参拝体験シリーズ
いよいよ最後の投稿となります。
今回は最後の訪問先
〈瑞鳳殿(ずいほうでん)〉です。
ホームページより抜粋
↓
"瑞鳳殿は
1636(寛永13)年、
70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、
その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。
瑞鳳殿は、
本殿、拝殿、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。
現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979(昭和54)年に再建されたものです。
平成13年(2001)に、
仙台開府四百年を記念して
大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿が甦りました。"
✧︎*。☪︎ *.
それでは書いていきます。
大崎八幡宮に別れを告げ、
瑞鳳殿に到着した時点では
閉門40分前でした。
ここから歩く時間を考慮すると参拝時間は30分ほどありました。
C君とC君のお父さんは
昨年も参拝しているので
別行動で参拝することにしました
俺はSさんと共に行動。
チケットを購入し、
中へと入りました。
各所を見て回ることは
ほぼほぼ不可能なので
先ずは速攻で、伊達政宗公のお墓である瑞鳳殿へgo🏃♂️💨

思わず見とれてしまいました✨
いらっしゃいました。
伊達政宗公
【よっし! (お主ら)
間に合ったようだな
前日 釘を刺してやった甲斐があったわ
(←時間に間に合わせて来るようにとおっしゃられたこと)
豪華絢爛(ごうかけんらん)
ワシの望むように
造らせてやったんだ
死後 ワシが死んだあと
多くの民の心と通い合わせるためにな
恥じない装飾を施した
ここは おんぼろであるはずは なかろうて‼
(おんぼろであるとしたら)
言語道断である
絶対そのような造りにはさせない
ワシは いかなる土地にも
ワシはワシであることが
望ましい姿だからな
こだわることは大事だ
だが
こだわろうと思ってみても
それが叶わんこともあるだろう
精一杯の努力
大座(おおざ≠王座)に座る姿勢
意気込み
そのようなものを
鼓舞(こぶ)させ
見事 こだわりを成し遂げることができるはずだ
決してあきらめるな
それでこその
望ましい在り方よ
だが こだわりの無い者は
こだわってもしょうがないからな
(こだわりがあるのならば)
ここぞという態度
みせてみいや!】
この時のメッセージは
ここで終わりました。

~~~
(追加)
時は変わって、
Sさん、C君ファミリーが
前年に宮城へ野球を観戦しに行った時に、
伊達政宗公から受け取った
メッセージです。
↓↓↓
伊達政宗公
【独眼「竜」やぞ!
愛した地元(東北楽天ゴールデンイーグルス)を贔屓(ひいき)するのは当然じゃろ!
ハッハッハ!】
Sさん、C君は
大の西武ファンでして…(笑)
続いて
野球を観戦した翌日、
瑞鳳殿に入って手水をする前に
C君の右肩が
急に痛くなったことに対して
伊達政宗公
【 なんじゃ こんな事
ちょーっとした戯れじゃ
((昨日の野球の試合)
本当は贔屓なんて
それをよの 厳格なやつら(←伊達家に仕えている重臣)はワシのことを怒る】
(C君の右肩が痛くなったことを)
伊達政宗公
【なんじゃ
そのくらいでビビりおって
人の眠っとる場所(=墓所)に行くということは
それなりの常識を持って行くべきである と
確かに我は
絢爛豪華を好むが
それを観光地化を是(ぜ)とした覚えはない
ま それで地元が元気づくのであれば
そのような目的になることも
やぶさかでない
が 敬意を忘れてもらっては困る
この仙臺(せんだい)を
目指し 造り 繁栄させたのは
ワシじゃということを
忘れないで欲しい】
続けて
【この霊廟は
ワシが作らなくても
家臣がつくってくれたとは思うが
ワシが好んだ場所だ
この地に我あり】
~~~
話を戻します。
続いて資料館へと入ってみました。
展示室で伊達家三代や霊屋の発掘調査で出土した遺品や、発掘の当時の映像とかを
見れました。
最後に順路に従って
〈感仙殿〉と〈善応殿〉へと向かいました。

二代藩主 伊達忠宗公
(1599~1658没)の霊屋

三代藩主 伊達綱宗公
(1640~1711没)の霊屋
です。
こちらも
色彩豊かな造りでした。
ここでは、感仙殿の
二代藩主 伊達忠宗公から
メッセージがありました。
↓
伊達忠宗公
【父に継ぐもの
親として尊敬する父だった
父の流れに従い
事を執りおこなおうと努めた
父を心底
尊敬の念を持ち続けている
最高の親であった
ワシは恵まれておるから
これからも皆と共に
この地に尽くして参る】
ここで、完全なタイムリミットとなりました。
帰り際、
足元に一羽の蝶々が降り立ちました。
羽を開くと
美しい色をしていました。
俺だけではないと思いました。

見送ってくれているようでした。
~~~
📖 全22話からなる
宮城 三陸参拝体験日記。
2泊3日の旅でしたが
大変充実した旅になりました。
無事に終えて
本当によかったです。
また行けたらと思います。
特に金華山へは
べんちゃん(弁財天)に呼ばれているので
行かないとなりません。
何故呼ばれているかまでは
分かりませんが。
それでは
サヨナラ宮城
またお会いしましょう✋✋
~近況報告~
ここ数年、ゴールデンウィークは
地方への参拝を行うようにしていましたが
今年はおとなしく家に居てます。
俺の場合は、
家で瞑想をしたり
本を読んだり、書いたり
片付けをしたりしています。
実は この休みで
凄くパワーを蓄えられています。
新型コロナウイルスで
今は外出しないでおりますが
蓄えられたパワーで
前回 できなかった地区(地方)の
妖怪退治ができないか
考えています。
あと少し、協力しあって
頑張りましょう!
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