【日々の出来事】阪神淡路大震災から20年たったんですね。 | 【休業中】Atelier Lien(アトリエ リアン)奈良・天理

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こんにちは。

ご訪問ありがとうございます。

20年の区切りとして私の勝手な思いを書きました。
震災に触れたくない方はご覧にならないでください。











私が産まれ育った町は、兵庫県の西宮市です。

阪神西宮駅から歩いて15分程の便利な所に住んでいました。
西宮駅から梅田や三宮に出かけるのに30分もあれば行ける町で、年始には必ず西宮えびす神社にお参りに行って、ときどき自転車で海にも遊びに行ってました。
それも20年前までのお話ですが。

20年前は、祖母と姉と私で西宮に住んでいました。
両親と兄は仕事の都合で少し前に天理に引っ越していました。

そしてあの日大きな揺れで目が覚めて、2階に姉と私、1階に祖母が寝ていました。
次の瞬間トランポリンの上で踊らされているように飛び跳ね布団の中で丸まっておさまるのを待つしかありませんでした。

揺れは止まりましたが、今度は私の上に板状のものがあり寝がえりも打てない状態。
隣の部屋では姉がなんとか座れるスペースの中でお互い近寄る事も出来ません。

後で知ったのですが、私の上の板状のものは天井でした。
夜が明けてから救出された私達が見た風景は想像もつかないものでした。

家は全壊したものの奇跡的に3人共助かり近くの小学校へ避難しました。

幸い天理にいた兄が危険な状況の中、車で何時間もかけて迎えにきてくれたので、避難生活は送らずにすみました。

あれから20年道路とか鉄道とかの復興は早かったので、今は表向き綺麗な町になっていると思います。

でもね。
皮肉なことに助かったら助かったで、『何で私が助かったの?もっと助かるべき人が沢山いたのでは?なんで私なの?』
という思いを長い間引きずっていました。
そして、他の災害に対しても何か助けになる事をしたいと言えても行動には移せませんでした。自分の経験がよみがえってくるのがやっぱり怖かった。
お手伝いしますと言いながらしなかった事もあります。

そして、20年経ってやっと生き残った意味も受け止めれるようになりました。

今までは、『どうせ物を大事にしても地震がきたら何もなくなるんだ』とひねくれた考えの為に物にたいしても大事にしてこなかったなぁと思います。
暮らせればいいと思ってました。
でも、夫と結婚して、息子が産まれて春になると5歳を迎えるなかで、もっと自分と家族を大事にしていこうとあらためて思うようになりました。

今年は、『丁寧に暮らす』事にしました。

もう『なぜ生き残ったの?』とはお別れして、自分を夫を息子を生活を大事にする事を見つめ直していきたいと思います。
だって、夫と結婚して息子が産まれた事が私にとって最大の意味のある事だと思うので。
生き残った事に感謝してこれからは進んでいきたいと思います。

そんな事に20年もかかったの?
もっと悲しい経験をした人はいっぱいいるのよ!!という声も聞こえてきそうですが、私の場合は20年かかりました。

まだまだ悲しい思いの中にいる人は沢山いると思います。
そんな方々が少しでも前進できる事を願うばかりです。

そして、多くの犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。





最後までありがとうございました。


こにし りえ