「今のままの自分では、価値がない」
だから、自分を高めるためにたくさん勉強して。
だれかの役に立てるよう、いろんな知識を詰め込んで
生きてきた気がする。
また、何かに“頑張る”ことで、自分の存在意義を確かめ。
たくさんの鎧をつけて、歩いてきた気もする。
・・そんな経験、ありませんか?
そんなときは。
や、そんなときこそ、
「これは本当の自分じゃない」という内なる声に耳を澄まし。
「じゃ、本当の自分って一体何なのか」と問いかけながら、
その“脱ぐ”ことができなかった鎧たちを
「1度全部脱ぐ」と決めてみる。
それは、とても勇気のいることだけど。
人は、生きている間に何度かこの“脱ぐ”が必要なときが、
必ずやってくるのですよね・・
それがきたなら、その鎧をかぶる前の
“何もしていなかったころの自分”、また
“何もしていなかったころの自分”を知っている友人に
思いきって会いにいってみる。
すると、それだけで解決することがあるもの。
彼また彼女たちは、そんな“内”のことはまったく知らないで、
何もしていなかったころの自分そのままを、
“ただそのままに”やさしく受けとめてくれる・・
そして、その瞬間にやっと気づけるものがあるんですよね。
『何も持っていない、
何もしていない私のままでも、
大切に想ってくれる人がいる』
ということに。
1度、小さな小さな自分に還って。
何も持っていなくて、ただ笑うことくらいしかできなくても
『それでも生きていていいんだ』とこころから気づけたとき、
それまでの鎧は、一瞬で消えてなくなる。
そうして、ただの「I」に還ってはじめて見えてくる、
その「I」から湧いてくる「○○が好き、したい」という気もちが、
=“本当の”自分の生きる源泉なのですよね。
きっと、仕事の動機はそこに近ければ近いほど、それは永遠。
逆に、違った方向から芽を出していくと、
だれかの役に立たなくなった時点で自分が終わってしまう。
だから、永遠なる“こころの源泉”に気づけたときにはじめて
本当の流れがくるようになっているのですね・・
もし、立ちどまりを感じたなら。
その自分の内なる声・こころに蓋をしないで、
余計な“鎧”を脱いでいくことはとても大切。
もし今、何か見えない厚みを感じてらっしゃる方がいらしたら、
まさに今が“脱ぐ”ときなのかもしれません。
そのときには、脱いだあとにはじめて見えてくるその景色を
ぜひご自身の手でふれられてみてくださいね。
それは、外からきた流れに見えて、
実はもともと内にあったエネルギーが結晶化しただけなのだと
気づけます。
「満たしたいものは、本当はいつでもすぐそばにある」
あとは、そこに気づくかどうかだけ。
究極は“自分のこころの扉が全開になっているかどうか”
だけなのですよね。
立秋・お盆前に、少しでも鎧を脱いでいかれるといいですね。
最後に。
“鎧”って、実はおもしろいんですよ。
1度脱いだうえで、それらをならべて見つめてみると、
もうその時点で鎧ではなくなってるんです。
そこには、
今の自分を生み出すもとになった“かけら”だけがきらめいて。
その光るかけらたちを、自分の手の中にあつめて
集めて“1つ”に結晶化されたときに、ようやく
“ダイヤモンド”が生まれるんですね。
鎧よりも、はるかに丈夫で。
そして地球上で、もっとも輝いている・・
『私たちは、本来みなダイヤモンド』
いらない鎧は、この夏上着とともに脱ぎすてて。
自分の原石、本質を輝かせることから始めていきたいですね。