観劇。2025.11.21(金) 劇団朋友 カラフル ー私の息子は"弁護士夫夫"ですー
仲良しで大好きな役者さん 矢嶋俊作さん が出演ということで、久しぶりの観劇。
推しチェキも買いましたともww
しかも今回はプロレスラーの旦那氏も。初観劇w
ゲイの弁護士さん(ヤスユキとパートナーのマサト)の半生を舞台化したもの。
ゲイの中で育った私としては、(実話を元にしているとはいえ)ゲイの方の話は身構えてしまいます。
変に誇張されていたりするとモヤるし、、
あと。原作を読んでから行くべきか、あえて読まず観るべきか、原作がある場合は悩むのですが。
今回は後者で。
ゲイの二人に、というよりは『ゲイの息子を持った母』にスポットが当たってる感じですかね。
※ 母親役の今本洋子さんがドキュメンタリーを観て舞台化を決めた、とパンフレットにありました。
息子のカミングアウト時の母の悲鳴と嘆きがリアル。(親から絶縁されたという知人がいます、、)
何年経っても、そばにいて息子とパートナーに寄り添っていても、二人を認められない母。
良い息子、良いパートナー、だからこそ、『男として』『普通に』結婚して幸せになればいいのに!という想い。
毎日お弁当を作って、二人の司法試験を応援して、一緒に食卓を囲んで、それでも二人の関係を心から認められない、祝福できない母。
若い頃だったら、単純に『認めてあげればいいのに!なんだこの母親は!』と思ったかもしれない。
けど、今、私は母親側の年齢になって、、子供はいないけれど、なんとなくだけどこの母親の気持ちもわかる気がする。
もし私に子がいたら、思い悩まずカミングアウトしてほしいし、普通に受け入れる。とは思う。けど、この母親が感じる気持ちも、同じ『親心』なんだもんね。
(特にこの世代の)親はさ、結婚して子供を産んで、孫ができて、、って、自分が歩んできた人生を息子も当たり前に歩んでくれるもの、と信じてるんだよね。
いや、意識してすらいないのか。それが世の常だと。
そこにはもちろん、そうするべき!それが正しくて間違いがない!苦労する必要ないでしょ!という親のエゴもあるけど
一番は『親(自分)がいなくなった未来に、息子が淋しくないように』って気持ちなんだと思う。結婚して子供に囲まれて孫に囲まれて、賑やかな老後を送ってほしいんだよね。
いやでもなぁ。性自認て変えられるもんじゃないのよ。昔の人(や、こういう事を受け入れられない人)はなぜそれが理解できないんだろ?
でもさ、今の時代は恋愛できない結婚できない若者が増えまくってて。親の苦労はノンケでも同じよね。(私だってせっかく女に生まれたのに、親に孫を抱かせられなかったわ。)
息子のカミングアウトから四半世紀。
結婚式が始まって、祝福してくれてる参列者を見て、最後の最後によう〜〜〜やく、初めて、受け入れる事ができた母。
遅!長!w いや、ここまできたらいっそ受け入れられない方が自然じゃね?とも思ったけどw
人は変わるんだね。
やじー(矢嶋俊作:ヤスユキの元上司)の祝辞のシーンで涙ボロボロだったの悔しいw
※会社を辞めることを上司に伝えるシーンで初涙。こんな上司であるべきよなぁ。
原作を読んでいないから実際はどうなのかわからないけど、、お兄さんの理解もすごく救われた。
お芝居の中では、意見するでもなくただただ自然に、お母さんの気持ちも理解しつつ、見守って、当たり前に受け入れてるように描かれていた。
家族全員の拒絶があったら切ないもんね。
お兄さん役の役者さん(野田裕さん)とてもよかったなぁ〜。
お兄さんの気持ちを描く場面も見たかったかも。幼馴染と結婚したみたいだから、きっと奥さんもヤスユキを学生時代から知っているんだろうし『三人(母・ヤスユキ・マサト)を見守っていこうね』と話し合うシーンがあったのかな。
その後、、
長い間 親しくしていた友人(陽子)の『パートナーが同性だった』ことを知った母。
過去、(息子のカミングアウト時)同性愛を非難しまくって陽子に聞かせてしまったことを後悔して泣き崩れる。涙、、
この方(陽子)の世代の同性愛者は、きっと今よりもっと辛い思いをしていたよね。二丁目の大御所ママさん達(もう鬼籍の方含む)の話を聞いてきたから本当に胸が痛い。
この陽子役の女優さん(水野千夏さん)も素敵だったなぁ。宝塚?と思ったらタップダンスなどされてるそう。さすが、立ち居振る舞いがシュッとしてる。
私はさ、偏見はもちろんないんだけど
『誰もがカミングアウトできる世の中が良い!』という考え、多様性を『認めて【あげる】』という風潮、多様性を『認める【べきだ!】』という最近の空気
、、は、好きではありません。
政治に関わる方々やメディアが『多様性を!』と叫ぶ声を聞くたび、私の周りのゲイ友は『うざ、迷惑、頼んでない』という空気ですし。同感。
もちろん、それによって救われる人がいるのも確かだから、そういう方々が助けてと言える世界になるのは大前提。良い事だと思う。
ヤスユキとマサトは、そういう想いなんだよねきっと。
『社会の【当たり前、と言われてきた物事】から漏れてしまっている人たち』を救えれば、という気持ち。弁護士という立場でできる限りのことを!と。素晴らしいよなぁ。
『多様性を認める』って言っても、そこはやっぱりたくさんの問題がある。
同性愛だと嘘をついて迷惑をかけたり犯罪をおかす人もいるし
認めろ!もっと待遇を良くしろ!と権利『だけを主張』するヤカラもいるだろうし
だから、『多様性を全て認めます』という法律上での断言は危険だよね。
何十年 何百年と『普通』『常識』『当たり前』だった事が、令和は変化していくのかな。
でもね、社会のルール、線引き、基準、というものも大事で必要で、、
だからって押し付けもダメだし、、うーーーん、、
【これが正解】【絶対】と決めるのではなく、、
『この人にとっての正解』が大切にされる世の中、『この人のベスト』を法律でも認めてもらえて、守ってもらえる、という世の中になってほしい。
それが個人の幸せで、幸せな個人が増えれば世界中が幸せになる。
見極め難しそうだけど。
ゲイ二人の話なんだけど、彼らがメインの流れじゃなく
『もし身近にマイノリティの人がいたら、自分は?』
『マイノリティに対して拒絶している人がいたら?自分はどう受け取り、どう動く?』
と問いかけられるような。
その作りがとてもよかったなと思いました。
マイノリティとか、多様性とか、そういうことだけに限らず、『他人や、知らない物事をどう受け入れ、どう理解するか』『何事に対しても思いやる心を持っ』、、そんなことを意識して生きたいなぁ
とても考えさせられるお話でした。
なにより。
役者の皆さん、お一人お一人が魅力的でした。
ヤスユキ役の椎名一浩さん、すごく自然で、変にゲイを演じることに力んでなくて、そこがよかった。でも仕草や言葉の端々がちゃんと柔らかいというか。(二丁目でモテそう!と思ったことは内緒)。
ヤスユキは可愛らしくて、(カミングアウトでお母さんと険悪になるのかと思いきやフツーにそばで生活してて)良いご家庭で愛されて育ったんだなーってのが滲み出ているキャラ。
それをパートナー・マサト(村上和彌さん)の冷静さがカバーしてて、呆れながらも一歩引いて根気強く親子を見守ってフォローしてる感じもよかった。(ご両親を早くに亡くされて家族を支えてきたしっかり者、という背景がちゃんとキャラクターに出ている。)
個人的には親友のアヤカ(敦澤穂奈美さん)が幸せになって嬉しいw
今本洋子さん、年齢知って驚愕!わっか!!パワフル!素敵すぎる!ああなりたい!
他の方々も、その役にピッタリとハマっている感じがよかったなー
キャスト(キャスティング)に無駄がない、と思いました。削ぎ落として、必要なものだけで、でも描きたい事は最大に描かれている。感じ。(や、別に専門的なことは全くわからないのだけどw)
この規模のお話を観に行くと、ワチャワチャと無駄が多い場合が多々ありまして。
そのせいで上演時間も無駄に長かったりしてw
でも今回は、二時間があっという間だった。詰め込んでる感もなく、慌ただしさ皆無で、むしろゆったりとしてて。すごく上手だなーって。
久々の観劇が、とても心地よい時間で嬉しかった!
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いろいろ思うことがあって長くなり過ぎた。けどまだまだ書きたいw
私達の親の年代が、多様性を理解できない最後の年代でもあると思いますが
もちろん、今も(いつの時代にも)嫌悪感を抱く人、認められない人はいますよね。
『知らない物事』は認められない、認めたくない、受け入れられない、、という人が一定数いること 【も】 多様性として認めなくてはいけないのかもしれないけど。
難しい問題ですよね。
劇中では、母親や他人からも心無い言葉を投げつけられます。『その時のヤスユキとマサトの気持ち』というものは特に描くことはしていない。
たくさん辛い思いもしてきたんだろうに。でもそこをあえて削って、描かない。涙。
都内、ましてや二丁目でずっと過ごした私は特殊なだけで。身近にいない、という人もまだまだたくさんいて当然ですよね。(カミングアウトしていない人もたくさんいるという前提も含め。)
ちょっと、舞台のお話と離れますが。
私はノンケの女ですが。17歳からゲイのママの元、かなりのスパルタで育てられ。27歳で上京してからも新宿二丁目で40代半ばまで仕事をしてきました。今でもゲイのお友達がたくさんいます。
ゲイの方々にもまれ、いろんなゲイの方々の人生を(きっと深い部分まではわからなくても)それなりに見聞きしてきました。
もちろん、生きづらいこと、私達にはわからない苦悩はあると思います。
ゲイの人の中でも、それぞれ違った、個々の様々な悩みや困り事があると思います。性格も生活や環境も違うから当然です。
でも、、それって、性自認に限らずあると思うんです。
心無い言葉を浴びせる人は誰に対してもそうなんだろうし
言いたいことも言えずに溜め込んで心を壊してしまう人は、ノンケ・ゲイ・老若男女、関係なく増えてきてると思います。
昭和の人間からしたら『人間が弱くなった』。
私も昭和の頑固BBAの一員で。他人様に話せば『なに?その波瀾万丈。よく生きてたな!』と言われるくらいに血反吐吐いて踏ん張ってきたので、他人の努力に厳しい目を持っていたりもします。
よくないなとも思って、若い世代には厳しい事を言わないようにしてはいます。が。
ただ、もし、自分に子供がいたら、、やっぱり
努力とか悔しい思いをするとか、傷つく・傷つける・後悔する・恥をかく・転んで、泣いて、立ち上がって、、、
今の時代の人たちが嫌う、そういったことを避けずに育って欲しいと思う、と思うんです。
それらを(親心で?)避けて、子供を守り過ぎて、気づいたらいろんな物事に立ち向かえない、傷つきやすいガラス細工のような大人が増えてしまってるのでは?
もっと言えば、『努力なんてする必要なくない?ダサいよね』なんて風潮だもんなぁ。悲。
もちろん、嫌なことなんかない方が良いに決まってるんだけどさ。生きていれば、社会に出れば、必ず壁はあるわけで。そこにぶち当たった時の力は備えたい、備えさせてあげたいよね。
そして、心を壊しやすい人は真面目で一生懸命で、優しすぎる人が多いんだってこともわかってる。
でも、でもさ。
やっぱり、生きていくには真面目なだけじゃダメだし、優しいだけじゃダメだし。時には苦しい決断や、意に反した行動を、選択できる人間でもあってほしいのです。
それができる人こそが『本当に優しい』んじゃないのか?と思ったり。
この舞台のお母さんの気持ちも、根底に『そんな苦労しなくたって普通に生きたらいいじゃない』ってのがあるわけで。子供のため、の考え方、だよね。(もちろん、世間体という自分の為な部分もあるんだろうけど。)
大昔の同性愛の方々がまさにそれで。世間に合わせて嘘の結婚をして嘘の人生を生きた人。たくさんいたと思うんです。(今もいるんだと思うし。)
それが幸せなのか?それが安定安泰なのか?
その決断をする前に、相談できる誰かいなかったのか?
その『相談できる誰か』に自分はなれるか?でも、そんな大切なことを他人がジャッジするべきなのか?
答えのないことを考えるのは苦手だなぁ、、、
誰かを幸せにできる、なんて考え自体がエゴなんだろうと思うけど
せめて、誰かを不幸にするキッカケにはならない生き方・考え方をして生きていきたい。
金子みすゞさんが言ってるじゃない。
みんなちがって、みんないい
ほんと、これに尽きるよなぁと思うわけです。
120年以上も前に生まれた人が、わかっていたんです。気づいていたんですよね。
(11/22 記。千秋楽11/24後にup。)


















