中には
『皆とつながっている気がして、コメントを読んでいました』
『かづぷーさん独自の主張だけでなく、コメント欄を読んで「私だけじゃないんだ」と、自分の子育てが間違っていないんだと自信が持てました』
と、書いて下さる方々が居る。
ありがたい事です。
子育てや躾に対して議論をしていても、どうしても理解の出来ない輩と言う者は、
何をどう言っても解らないのである。
私が『宇宙人』と称しているのは、私達の常識の範囲である『話せば解る』でも解らず、『無理矢理にでも、とりあえずやらせて覚えさせる』をしようにも、その事柄から逃げるか避けるかしてしまう。
そして、まず自分が他人の中の1人ではなく、それぞれが個人優先で生きていると言う事だ。
親は子供を躾けて育てる立場に居る。
ならば、その親自身が、
『なんでそんな事しなきゃなんないの?』
だとか
『人にアレコレ言われたくない』
などと、上昇志向が無い親でどうするんだと思う。
親にアレコレ言われるのが嫌だと言うのは、当然誰でも経験する事である。
けれども、アレコレ言われる筋合いも何も無いのに言われている訳ではない訳だ。
ならば
自分が成人し、また親になった現在、
誰からも何も言われなくてイイほど完璧なのか?と聞きたい。
以前にも書いたが
説教や訓示を垂れると、直ぐに
『あなたって偉いんですね!』
と言う奴が出て来るのだが、
賢明な読者なら解ると思うが、『偉いから』言う訳ではなく、少なくとも『その事柄』に対して説教や訓示やアドバイスをしようとしている訳である。
で
『あなたにそんな事を言われる筋合いは無い!』
になるのだが、
結果、これが一番大きい障害なのだ。
だったら、『言える筋合い』とは一体誰なんだ?
『言える筋合い』の言う事なら聞くのか??
子供を叱る時
『叱られなくなったら終わりよ』
と言う言葉を聞いた事や言われた事は無いだろうか。
大人でも同じである。
『言われなくなったら終わり』
なのである。
けれども
『子供じゃ無いんだから、何かと言われる事は無い』
『大人になってまで、なんで説教されなきゃなんないの?』
『もう、関わりたくないので!!』
となるパターンが多いのが、『大人』である。
いわゆる
『言われる筋合いが無い』から聞く気が無いのではなく、
『言われる筋合いが有っても』聞く気は無いのである。
自分の思うまま、好きな様にしたいだけなのである。
周りから
『あんな育て方して…』
『躾けも何も出来ていない』
『そんな事してたら…』
と思われていても、誰も何も言わないのが現実である。
例えば
自分の子供に対して
『あなた、こんな時は叱らなきゃダメよ』
と言われた場合、どうします?
子供はその場で叱らないと効果が薄い。
なので、
『今叱らなきゃダメよ!』
とアドバイスされているんだと取れるかどうかだ。
簡単な話し
子供が砂場で遊んでいる時に、砂を掛け合う様な事が無い様に傍で付いている母親に対して
『見張ってるの?』
『過保護ね~』
と発言したり、
子供が何しようとそっちのけで、中には子供に背を向けておしゃべりに一生懸命な母親も多い。
ぶっちゃけ
『自分の子供くらい、ちゃんと見てろよ!!』
と言われるのが解っているので
『ほっとけよ!あんたって、子供の事見張ってんの?』
となるのだろう。
私は、こう言う親を『親になれていない親』と称している。
子供を産んだので自動的に『親』になっただけで、『自覚』の点ではまだ『親』にはなっていない親である。
先日、物凄く納得出来る事が書いて有ったので、チョコッとまとめてみる。
『避妊の知識や性病の知識、セックスがもたらすデメリットなどの性教育が必要とされているが、ならば、妊娠して子供を産む事・育てる事に対しての知識はなぜ必要とされないのか。
子供の為の親の学習の場と言うのが、結果的に妊娠後の「妊婦教室」などから始まっている。
そうではなく、子供がお腹に出来てしまってから「親として」を考えるのではなく、もっと前から「親とはどう有るべきで、どうしなければならないのか」を子供たちに教えておくべきではないのか。』
物凄く同感である。
『きちんとしなきゃならない事をきちんとする』
と言う事すら出来ない奴が、『親としてきちんと子育てをする』と言う事は相当難しい。
食べたり飲んだりは出来るだろう。
けれども、肝心な『躾』に対してはどうだろうか。
綺麗な服を着て着飾っていても、参観日の最中に廊下で携帯でしゃべりだす母親や、
幼稚園の餅つき大会のお手伝いに来ておきながら、ゴテゴテネイルだったり。
バザーで食事を出す係りになっているのに、三角巾からロング巻き毛をドドッとだしてたり、前髪全部でてたり。
『今日のお弁当は雪だるま』と頑張るものの、深夜遅くまで子連れで飲みに行ってたり。
要するに
『自分的に「やりたい事」だけする育児』
なのである。
父親でもそうだ。
我が子が可愛いと言うのであれば、
『子供の事は嫁に任せているので』
などとは言えない筈である。
例えるなら
ペットは可愛いが、エサや水の世話をするのは親がしている子供と一緒だ。
擦り寄ってきて懐くのはいいけど、粗相をしたり泣き出すと『アッチに行け!うるさい!』と言うのが同じだ。
いわゆる
母親は
『人形遊びの延長育児』
で
父親は
『ペット感覚育児』
なのである。
可愛く着飾るのはいいけど、ジッとしなきゃならない場所でずっとウロウロしたり走り回るのは気にしない。
可愛いお弁当を持たせるのはいいけど、連絡帳は見ていなかったり、見ていても返事の文字が子供の文字みたいな程度だったり。
お手紙は見ていなかったり、忘れ物も多い。
たくさん遊びに連れて行くのはいいけど、その後、煙草の煙や酒のにおいのする席の横で、深夜遅くまで子供遊ばせてたり、疲れた子供がソファーで寝ていたり。
お人形さんなら、着飾って『かわい~♪』でOKだ。
一緒にどこに連れて行っても、手間が掛からない。
グレムリンじゃ無いんだから、育て方の制約も無い。
可愛いお洋服を着た犬がキャンキャン吼えまくっても、周りの迷惑なんて何とも思わない奴って居るよね。
有る意味、あれと一緒だよね。
なんで
子供が出来て『親』になったのに、切り替えが出来ないんだろう。
って言う事が、
いわゆる
『親学』の必要が有るって事なのよ。
100点満点のテストでは、言わずと知れた100点が満点である。
しかし、70点の者が
『60点よりマシ』
60点の者が
『50点よりマシ』
50点の者が
『40点よりマシ』
最後には
『0点よりマシ』
と言っててどうする??
ただ
子供のタイプもそれぞれなので、ガンガンやってOKの子も居れば、
ソフトでローペースの子も居る。
その子に合わせた育児や躾をしなければならないのが難しいのでは有るが、
そこで『親学』が役に立つのだと私は思うのだ。
恐らくリアルな世界で
『そんな事しちゃダメよ』
なんて他人の子を叱りでもすれば、
『あんたの子供はそんなに立派なの!』
『何様だと思って他人に注意しているの!!』
『あの人、うるさいよね!』
などと言われてしまうので、なかなか言えない。
私のこのブログがイイ証拠である。
こんな事がリアルで行われているので、なかなか他人に注意なんか出来ないし、
ましてや
『神経質ね!』
『子供が萎縮しちゃうわよ』
『見張っているの?』
『過保護ね~』
『親の言う事聞く子供なんて気持ち悪い』
なんて言われれば、
『私の方がおかしいのかしら…』
と思う母親も増えて来ている訳だ。
前にも書いたが
『赤信号、みんなで渡れば怖くない』
と言うのが昔流行ったが、
『怖くない』と言うのは、『恥ずかしいと思わなくなる』と言う事で有って
『みんなで渡れば青信号になる』と言う意味ではない。
『みんなそうよね~』
『どこの子も一緒よ~』
と言われたって、ダメな物はダメなのである。
『このままじゃダメだわ』と、ダメなのだと言う認識を持った上で、その子に合った躾や子育てをするのと、
『ウチの子だけじゃないわ~。OK♪OK♪そんなに気にしなくても~』と思いながら躾や子育てするのとでは全く違うのである。
で
正直言って
コメント欄を開くと、
『どこの誰か解らない事をイイ事にして、言いたい放題出来ると勘違いしている奴』
が、待ってましたとばかりにワラワラと湧いて来る。
コメント欄を閉じた途端に、
メールにしてまでは書いて来ないんだけどね、これが。
群衆の中から石投げるのは出来ても、
『前に出て来て、顔見せて直接言えや!!』
は出来ないって事が良く解った。
だからと言って、コメント管理にすると毎日コメント確認作業が要る訳で。
コメ欄オープンにすると、好き放題の野放しになっちゃうし。
う―――(-益-)―――ん
なので
まだまだ当分コメント欄閉じときます。
コメ欄代わりと言ってはなんですが、『ちょっと聞いてよ!!』
に書いて頂いてもかまいません。
あそこは、ホスト・ID規制が出来るので、携帯などは規制対象者をピンポイントで規制出来ます。
何はともあれ、応援メールをたくさん頂きまして、ありがとうございます。
なかなかお返事出来ませんが、全て読ませて頂いています。
年賀状応募も、たくさんの方からご応募を頂いています。
今回は、当選した方のご希望に沿った一言を、年賀状に書き添えたいと思います。
悩める母たちのアドバイザーで、近所のオバハンで、応援団で居たい私に
今後とも応援お願いします。