なぜなら
私はリアルな付き合いでも、こんな持論を展開している奴なんで、
よく
『かづぷーさんて過保護ね~』
と言われたりする訳だ。
で
ここで私は申し上げたい。
親がやらなきゃなんない事をやらないのは、放任主義でも子供の人格尊重主義でもなんでもなく、ただの『ほったらかし』だと思っている。
ならば
通常子供がやって当然の事に手を出すのが過保護かと言うと、そうばかりは言ってはいられない。
なぜなら
よく考えて頂きたいのだが、幼少の頃から躾を積み重ねて来なければならなかった物なのに、中学生や高校生になっても自分の事を自分で出来ず、責任感も無く、自分の事だけしか考えていない様な子供になってしまっていた家庭であったのならば、綺麗事の様に『突き放す』ではなく、それこそ『子供を捨てる』と言う認識になってしまう訳だ。
『自分の事は自分でしてよね!!』
↑真に当然の事である。
しかし、
『自分の事を自分で出来る様に躾ける』
と言う意味で、
親自身は義務を果たしていたのかを考えて頂きたい。
『ウチの子は、○○が出来なくてね』
『ウチの子も全然言う事聞かなくて』
『ウチの子は約束なんて全く守らないわ』
『ウチの子は!ウチの子は!』
あの…
勝手にそんな奴になった訳じゃないからね。
あんたたちが、そう育てちゃっただけだからね。
『子供が可愛い』
と思うのは、親の自覚があれば当然である。
けれども、本当の意味で『子供が可愛い』と言うのは、日々成長する我が子が、将来社会に出た時に、他人様に迷惑を掛けない事は当然ながら、一人で身の回りの事や、大人としての自覚を持った行動が出来る様に、躾けて送り出す事じゃないかと思う訳だ。
いわば
幼稚園→小学校→中学校→高校
↑こうやって成長するにあたって、徐々に『手間』が掛からなくなって当然なのである。
朝は起こさずとも自分で起き、身支度も自分で出来る。
学校に遅刻しない様な時間に家を出て、当然忘れ物もしない。
『約束』と言う意味の重さが自覚出来、自分の『義務』を理解出来る。
身体だけが成長し、自覚はいつまでも小学生の様な中高生はたくさん居る。
で
よく聞くのが
『なんでウチの子は出来ないんだろう…』
と言う言葉だが、
『ウチの子は出来ない』
と言う言葉の前提として
『出来る様な子供に育てたの?
躾けたの?』
と聞きたい。
土にタネを蒔いただけでは花は咲かない。
だからと言って、色々手を替え品を替えと手間を掛けたとしても、
『目標に向かって適切な手間かどうか』
と言う点に注意はしているのだろうかと思うのだ。
ただ単に
『忙しい!忙しい!
大変だ!大変だ!』
と手間を掛けていても
花のタネを、スイカを育てる様な育て方をしてはいけない訳である。
要するに、
親はとても一生懸命で大変な思いをして育てて来たのだろうが、
肥料をタップリやったと言っても、それは蒔いたタネに適さない肥料だったり、
手間をタップリ掛けたと言っても、蒔いたタネに適さない手間だったりするのである。
で
最初の
『そんなの、子供自身が大きくなるにつれ、自分で考える事じゃないの?
そんな事まで親が躾けなきゃなんないの?』
になるのだが
自分で考える事が出来る様に育ててなかったら、
自分で考えられませんよ。
自分で考えて、適切な判断が出来る様に育てていないのに
『自分で考えなさいよ!!』
とは
はなはだ『育児放棄』『責任放棄』『責任転嫁』と言うものです。
身近な話題で言うとするならば
嫁に来て同居をしたとする。
周りは結構イイ感じで接してくれ、かなりなんの不満も無く過ごしていた。
そこに突然小姑がやって来て
『あんたさぁ、いい加減気付けば??
調子に乗らないでよね!!』
と言われたとする。
嫁は当然、何の事やら解らない。
『いい加減気付けば?』と言われたって、何に気付けばイイのか解らない。
『何をですか?』と聞いても、『自分で考えれば解るでしょ!』と言われる。
大袈裟に言うと、こんな様な物なのである。
『小さい頃から、口を酸っぱくして言って来た!!』
と言う方もいらっしゃるだろうが、
ハッキリ言わせて頂くと
子供が小さい頃から十数年間も、口が酸っぱくなるほど言い続けて来ても解らないと言うのは
そりゃ、あなたのやり方が悪かったんですって。
一生懸命だったからこそ、
『自分が悪かった』
とは、絶対に認めたくない物です。
『自分の子供に合うやり方は、一体何なんだろう』
と、
親も学習する事が大事な訳です。
それを
『私が一生懸命にやってるってーのに、なんでこの子は!!』
『必死でやってるんだから、何とかなってよ!!』
と
『私のやっている事は間違っていないんだから、それに従えよ!!』
と言っている訳です。
どんなに
『頑張ってきました!!』
と言おうと
結果が物語っている訳です。
よく学校なんかで子供たちに教えているのは
『結果だけが大事なんじゃないよ。
経過も大事なんだよ』
である。
けれども、この言葉には
『結果は大事じゃない』
なんて言ってませんでしょ?
ちゃんと
『結果も大事』
と言ってます。
と言う事は、
『結果の出せるやり方をしろ』
と言っている訳ですよ。
言い換えれば
『それって、結果が出せるんだろうなぁ』
と言ってる訳なのである。
『その子その子に合うやり方を見つける』
と言うのは、とっても大事。
けれども
『結果を出す』
と言うのは、みんなに共通している事です。
しかしながら
最近よく聞く
『頑張らなくて良いんだよ』
『出来なくても良いんだよ』
『解らなくっても良いんだ』
『それが個性なんだから』
と言う言葉で
『結果を出さなくてもイイ』
と言うのが一人歩きし出しちゃってる訳ですよ。
学生だけでなく、
それは子育てでも同じ事が言える訳で
上に書いた様に
『そんなの、子供自身が大きくなるにつれ、自分で考える事じゃないの?
そんな事まで親が躾けなきゃなんないの?』
になる訳だ。
自分で考える事が出来る様な子供に育てた上で言ってんの?
『そんな事まで』って言う様な事を、親が躾けずに、誰が躾ける訳?
あんたが産んだ子の躾を、あんたがやんなくて誰がすんのよ。
躾の出来て無いクソガキの後始末を、させられる身になってみろってんだ。
あんたはそれで身軽に気軽でイイだろうが、周りの迷惑考えろ。
真っ白のキャンパスに
次々と色を塗りたくって行ったのは親だ。
それを
提出期限ぎりぎりの時点で
キャンパスに向かって
『後は自分で塗りなさいね!』
と言っているのと同じだ。
子供は子供で、それぞれの個人感としての世界が有る。
その中で、様々な人と出会い、さまざまな人に影響を貰って成長する。
けれども
その様々な人間関係の中であっても、何が良くて何が悪いか、何をしなければならないか、自分の役割とは何か、義務は、責任は…
そんな事が判断出来る様に育てていない子に
『自分で考えるもんでしょ?』
と言うのは、無責任としか言えない。
『ネグレクト(育児放棄)』
と言う言葉が、ちまたで使用されるのは以下である。
・親は子供の肉体的なニーズ(衣食住をはじめ、体の健康に必要としていること)に応えなくてはならない。
・親は子供を、肉体的な危険や害から守らなくてはならない。
・親は子供の精神的なニーズ(愛情や安心感、常に注目してやることなど、心の面で必要としていること)に応えなくてはならない。
・子供を、心の面でも危険や害から守らなくてはならない。
・親は子供に道徳観念と倫理観を教えなければならない。
「毒になる親」スーザン・フォワード著/毎日新聞社・刊 より
私が書いている躾や親学の話を読むと、ある意味
『そんなの、子供自身が大きくなるにつれ、自分で考える事じゃないの?
そんな事まで親が躾けなきゃなんないの?』
と言う疑問が浮かぶ方も居ると思う。
この最後に書かれてある
親は子供に道徳観念と倫理観を教えなければならない。
だが
これが欠けている親が最近特に多いのである。
しかし、
ある意味『親』も、『そのまた親』から教えられていない訳であり、
その
『教えられていない親』が子育てをするので
『教えられていない子供』が世に出る訳だ。
で
その
『教えられていない親』
も
『教えられていない子供』
も
共通して
『頑張らなくて良いんだよ』
『出来なくても良いんだよ』
『解らなくっても良いんだ』
『それが個性なんだから』
で、生きている訳だ。
そんなの、無人島にでも行ってやってろ!
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そんな事まで親が躾けなきゃなんないの?』
と言う疑問が浮かぶ方も居ると思う。
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親は子供に道徳観念と倫理観を教えなければならない。
だが
これが欠けている親が最近特に多いのである。
しかし、
ある意味『親』も、『そのまた親』から教えられていない訳であり、
その
『教えられていない親』が子育てをするので
『教えられていない子供』が世に出る訳だ。
で
その
『教えられていない親』
も
『教えられていない子供』
も
共通して
『頑張らなくて良いんだよ』
『出来なくても良いんだよ』
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『それが個性なんだから』
で、生きている訳だ。
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