まず、私の事から書きましょう。
私は長女、年子の弟に8歳年下の弟が居ます。
私の父は親分肌の建設業。母は専業主婦でした。
父が22歳、母が30歳の時に生まれました。
父は若かったのか性格からか、子供会やPTAでは会長を歴任し、『あの方はどなた??』と見える様な奴でした。
有る意味、それが今の私に引き継がれている訳です。
小学生の頃、学校で『名前の由来』を調べる宿題が出ました。
その時父に『何で私の名前は○○なの?』と聞くと
『昭和に生まれたから「和」!で、ワシな、「美」の付く女がスッキやねん♪』
でした。
宿題には書けません…。
そして
父に『私がもし男だったらどうした~?』と聞くと
『そやな~。ワシの兄貴にでも預けて、組の幹部にでもして貰うかな~。』
女に生まれて良かったです。
更に
『お前が女やったから、ワシは足を洗ったんや♪』
本当に、女で良かったです。
有る時の晩、我が家に電話が有りました。
電話を受けた父は
『よっしゃ!!待っとれ!直ぐ行く!! (ノ▼ο▼)ノ』
と言って、玄関に何故か常備して有った木刀を持って出かけました。
数時間後…
帰って来た父は、とても意気揚々として、明る~く話してくれました。
『店に行ったらなぁ、向こうは酔っ払って、長ドス握ってしゃがみ込んで震えとるねん。』
Σ(- -ノ)ノ エェ!?
『そこを一発蹴り入れて、長ドス奪ってからボコボコやー!!』
ヾ(@>▽<@)ノぶぁっはははっははは♪
笑ってますがな…。
そんな父に育てられ、小2の時に『柔道習え』と言われます。
何故、柔道?
父いわく
『剣道は棒が無かったら役に立たん。けど柔道は素手で勝てる!』
いや、そうじゃなく。
何故、小2の女の子に柔道?
『将来警察官にさせたいなぁと思ってな。』
その頃は、Gメン75や太陽に吠えろなんかの『刑事物』が大流行。
私も『警察官はイイよな~』と思っちゃったのです。
そして父の一言
『ワシは悪い事はいっぱいやったが、手ぇが後ろに回る様な事はしてないから安心せぇ♪』
いっぱい何をやったんですか…?
とは、聞かない事にしました。
安心せぇ♪って…
そして私は柔道少女となり、当然弟達も柔道少年になりました。
学校ではずっと何かの委員になり、まさに父と同じ様な『硬派』な奴でした。
スケバンではなく、どちらかと言うと『桃太郎侍』の様な小中高校生でした。
高校では女子高でしたが、バレンタインには7~8個のチョコを貰った事が有り、ホワイトデーには『将来の展開が全く無い出費』に困ったものです。
ちなみに私は宝塚系では無く、プロレス系です。
ダンプ松本にソックリです。
自分の結婚式の時の白塗り写真を見て、そのままお茶でも運べばおたべ人形ソックリでした。
文化祭でガクラン着て、男役をしたのがウケタのでしょう。
男に飢えている女子高です。(笑)
高校では、体育委員と風紀委員。
私にはピッタリです。
卒業後の進路は、当然警察官だったのですが、左目が弱視だった為に不合格。
字の通り、思わぬ盲点でした。
その後、担任が『あなたはおしゃべり上手だから、デパートに』と言われ、面接するまで話が進んでいました。
高2の時、先生と大喧嘩になって親が呼ばれ、『この学校に、この子の口に勝てる教師は居ないんです!』と言われた事が有り、『教師のクセに、生徒一人に納得行く様な説明が出来んとは、どんな教師やねん!』と口答えした事が有ります。
納得です。
ところが有る日、校内放送で『○○さん、至急職員室へ』と有り、呼ばれました。
職員室に行くと、担任がオロオロしています。
『今、お父様からお電話が有ってね。あなた看護学校に行くの?』
(゜Д゜) ハア??
とりあえず、自宅で父に詰問する。
『あんなぁ、今日仕事で行った所が医者の家でなぁ。娘が警察学校落ちたって言うたら、看護学校の入試がまだ有るって聞いてなぁ。』
で、何で勝手に決めますのん?
『看護婦はエエで~♪(^ー^* )フフ♪』
いや、だからなんで勝手に決めますのん!
『稼ぎのエエ所に行かんとどうすんねん。就職も、その病院や!』
(゜Д゜) ハア??
で、看護学校受験決定。
しかし、我が女子高からは、誰一人として受かった事が無く、前年度は学年1番の子が受け、滑ったらしい。
進路指導の先生からも、担任からも『絶対に無理!!デパートにしとけ!!』と言われた。
決定的だったのは
『お前の頭じゃ無理だって!』
燃えた!!(笑)
ただ燃えたんじゃなく、進路指導の先生に
『落ちようがどうしようが、責任取ってくれなんて言わねーから、書く物書けよ!!』
と、啖呵を切りました。
で、一応無事合格。
進路指導の先生に、合格通知を叩きつけたら『我が高の誉れだ♪』と、ぬかしてました。
現在校長になられています。
先日お逢いしたら
『あんたは本当に、エエ子やったもんなぁ~♪』
と、誉めて下さいました。
ありがとよ ( ̄w ̄) ぷっ
そして看護学生をしながら病院勤務。
一応、看護学校では副委員長でした。
態度がデカかったのと、金髪ロン毛だったので目立ち過ぎたのでしょう。
選挙の前に、看護学校の先生たちからしょっちゅう大声で呼び止められ、『ナースはそんな服装しちゃダメ!髪も何とかしなさい!』と言われていたので、選挙の時には私の名前をクラス全員が覚えていたからだとも思います。
一番激しかった時は、金髪にピンクとグリーンのメッシュを入れ、セキセイインコの様でした。
それに三角巾を被り、ナース服だったのを想像して下され。
で、体型はダンプ松本。
患者さんからの仇名は『トントン』でした。
なんてストレートなんだ。
デブって言ってるよね…。(笑)
で、ココからが夫との出会いになります。
夫は患者さんでした。
(='m') ウププ
では、続きはまた後日。
よろしかったら、←の『読者になる』から読者登録して下さいませ。
よろしく御願いします。 ペコm(_ _;m)三(m;_ _)mペコ
私は長女、年子の弟に8歳年下の弟が居ます。
私の父は親分肌の建設業。母は専業主婦でした。
父が22歳、母が30歳の時に生まれました。
父は若かったのか性格からか、子供会やPTAでは会長を歴任し、『あの方はどなた??』と見える様な奴でした。
有る意味、それが今の私に引き継がれている訳です。
小学生の頃、学校で『名前の由来』を調べる宿題が出ました。
その時父に『何で私の名前は○○なの?』と聞くと
『昭和に生まれたから「和」!で、ワシな、「美」の付く女がスッキやねん♪』
でした。
宿題には書けません…。
そして
父に『私がもし男だったらどうした~?』と聞くと
『そやな~。ワシの兄貴にでも預けて、組の幹部にでもして貰うかな~。』
女に生まれて良かったです。
更に
『お前が女やったから、ワシは足を洗ったんや♪』
本当に、女で良かったです。
有る時の晩、我が家に電話が有りました。
電話を受けた父は
『よっしゃ!!待っとれ!直ぐ行く!! (ノ▼ο▼)ノ』
と言って、玄関に何故か常備して有った木刀を持って出かけました。
数時間後…
帰って来た父は、とても意気揚々として、明る~く話してくれました。
『店に行ったらなぁ、向こうは酔っ払って、長ドス握ってしゃがみ込んで震えとるねん。』
Σ(- -ノ)ノ エェ!?
『そこを一発蹴り入れて、長ドス奪ってからボコボコやー!!』
ヾ(@>▽<@)ノぶぁっはははっははは♪
笑ってますがな…。
そんな父に育てられ、小2の時に『柔道習え』と言われます。
何故、柔道?
父いわく
『剣道は棒が無かったら役に立たん。けど柔道は素手で勝てる!』
いや、そうじゃなく。
何故、小2の女の子に柔道?
『将来警察官にさせたいなぁと思ってな。』
その頃は、Gメン75や太陽に吠えろなんかの『刑事物』が大流行。
私も『警察官はイイよな~』と思っちゃったのです。
そして父の一言
『ワシは悪い事はいっぱいやったが、手ぇが後ろに回る様な事はしてないから安心せぇ♪』
いっぱい何をやったんですか…?
とは、聞かない事にしました。
安心せぇ♪って…
そして私は柔道少女となり、当然弟達も柔道少年になりました。
学校ではずっと何かの委員になり、まさに父と同じ様な『硬派』な奴でした。
スケバンではなく、どちらかと言うと『桃太郎侍』の様な小中高校生でした。
高校では女子高でしたが、バレンタインには7~8個のチョコを貰った事が有り、ホワイトデーには『将来の展開が全く無い出費』に困ったものです。
ちなみに私は宝塚系では無く、プロレス系です。
ダンプ松本にソックリです。
自分の結婚式の時の白塗り写真を見て、そのままお茶でも運べばおたべ人形ソックリでした。
文化祭でガクラン着て、男役をしたのがウケタのでしょう。
男に飢えている女子高です。(笑)
高校では、体育委員と風紀委員。
私にはピッタリです。
卒業後の進路は、当然警察官だったのですが、左目が弱視だった為に不合格。
字の通り、思わぬ盲点でした。
その後、担任が『あなたはおしゃべり上手だから、デパートに』と言われ、面接するまで話が進んでいました。
高2の時、先生と大喧嘩になって親が呼ばれ、『この学校に、この子の口に勝てる教師は居ないんです!』と言われた事が有り、『教師のクセに、生徒一人に納得行く様な説明が出来んとは、どんな教師やねん!』と口答えした事が有ります。
納得です。
ところが有る日、校内放送で『○○さん、至急職員室へ』と有り、呼ばれました。
職員室に行くと、担任がオロオロしています。
『今、お父様からお電話が有ってね。あなた看護学校に行くの?』
(゜Д゜) ハア??
とりあえず、自宅で父に詰問する。
『あんなぁ、今日仕事で行った所が医者の家でなぁ。娘が警察学校落ちたって言うたら、看護学校の入試がまだ有るって聞いてなぁ。』
で、何で勝手に決めますのん?
『看護婦はエエで~♪(^ー^* )フフ♪』
いや、だからなんで勝手に決めますのん!
『稼ぎのエエ所に行かんとどうすんねん。就職も、その病院や!』
(゜Д゜) ハア??
で、看護学校受験決定。
しかし、我が女子高からは、誰一人として受かった事が無く、前年度は学年1番の子が受け、滑ったらしい。
進路指導の先生からも、担任からも『絶対に無理!!デパートにしとけ!!』と言われた。
決定的だったのは
『お前の頭じゃ無理だって!』
燃えた!!(笑)
ただ燃えたんじゃなく、進路指導の先生に
『落ちようがどうしようが、責任取ってくれなんて言わねーから、書く物書けよ!!』
と、啖呵を切りました。
で、一応無事合格。
進路指導の先生に、合格通知を叩きつけたら『我が高の誉れだ♪』と、ぬかしてました。
現在校長になられています。
先日お逢いしたら
『あんたは本当に、エエ子やったもんなぁ~♪』
と、誉めて下さいました。
ありがとよ ( ̄w ̄) ぷっ
そして看護学生をしながら病院勤務。
一応、看護学校では副委員長でした。
態度がデカかったのと、金髪ロン毛だったので目立ち過ぎたのでしょう。
選挙の前に、看護学校の先生たちからしょっちゅう大声で呼び止められ、『ナースはそんな服装しちゃダメ!髪も何とかしなさい!』と言われていたので、選挙の時には私の名前をクラス全員が覚えていたからだとも思います。
一番激しかった時は、金髪にピンクとグリーンのメッシュを入れ、セキセイインコの様でした。
それに三角巾を被り、ナース服だったのを想像して下され。
で、体型はダンプ松本。
患者さんからの仇名は『トントン』でした。
なんてストレートなんだ。
デブって言ってるよね…。(笑)
で、ココからが夫との出会いになります。
夫は患者さんでした。
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