前回(回顧①)は新卒で入社したゼネコンを
退職したところまで。
前回でも触れましたが、
大学4年時に、自分の将来や職業について
真面目に考えたことがなく
社会人1年目になって、やっと考え始めたw
で、会社を辞め「何がやりたいんだよ?」と考え始めました。
やりたいことはいくつもありました。
それらの中で多くに共通することが「ものを書く」
ということでした。
※学生時代から「ハガキ職人」みたいなことやってましたw
オールナイトニッポンでの採用率は低く、
名古屋ローカルを主戦場にした…二流三流職人でしたw
「雑誌の編集者か新聞記者に興味がある」という方向で
求職することにしましたw
そんな中、早々に雑誌の編集バイトの案件が出て来ました。
東海圏での自動車雑誌のアルバイト募集でした。
学生時代から自動車が好きで、カーグラフィックと
カー&ドライバーは毎刊読んでいましたし、
しかも輸入車雑誌ということで
当時おカネがないので国産車に乗ってたけど、
好きなのは外車だったので「こりゃ、行くしかないだろ」
と応募。
競争があったのかは記憶にないけど、採用されましたw
そして雑誌社に通い始め、取材で自動車販売店に行って
(私は新人なので先輩方に帯同して補助する程度ですが)
写真撮ったり、試乗したり、インタビューして事務所に戻って
原稿作成して・・・という日々。
枠に合わせて原稿の文字数を合わせながら要点は抑えつつ、と
編集してるなー♪って実感しつつ、先輩や編集長に
原稿提出しても「うーん・・・ま、いいか」てな感じで
あんまり馴染めてなかったw
当時、私自身、ちょっと不満がありました。
ここでも23歳の若さ(至らなさw)が炸裂します。
先輩方と車の趣味がまったく合わない→話したくない病w
また車の記事の内容が「すべて肯定的」なのが気に入らないw
※スポンサーなんだから…という忖度を当時は受け入れられずw
そんな中、先輩に雑談で「新聞社の受験勉強してる」と話したら
ある日編集長に呼び出され、
「新聞社の受験勉強をしているそうだね。ウチに専念するか、
新聞社受験に専念するか、どちらかはっきりしてくれ。」
と尋ねられ、「新聞社受験は諦められません。」と答え、
雑誌編集のバイトは終わりましたw
↑当時、欲しかった憧れの車。ゴルフのカブリオレ。
一応ね、数年後に新車で買いました♪
(ただ、ゴルフⅡではなくゴルフⅢのカブリオレ…)
これをきっかけに
『2年間(24歳25歳)、新聞社受験に挑戦しよう!』と決め、
名古屋の某テレビ局の子会社で長期アルバイトをしながら
1年目は大学の図書館に通いながら勉強したものの2社とも落ち
2年目は…1年目ほどの熱量はなくなってしまったけど、
バイト先で参考書読みながら勉強しましたが、
1社は一次面接まで進みましたが…結局2社とも落ち。
バイト先の専務(元プロデューサーさん)には
かわいがってもらえていて、新聞社受験やめてウチに入れと
何度も声かけてもらったけど「いやですw」と断り、
「専務なら新聞社にコネありますよねー、どうにかしてよw」
と相談したりしたけど、
バブルが弾け、就職氷河期前と言うご時世で
「無理に決まってるだろw」と。
で、ここで
「大学を出て、遅ればせながらもやりたいことに挑戦したんだ」
と、結果は得られなかったけど自分なりには満足をし、
次の道を探し始めることにしました。
↑ここでも踏み外しw
2年半いたので社員みんなと仲良かったし
社員登用してもらえる雰囲気だったのに辞めちゃったw
肩書き(社名)のインパクトはデカいんだけど、
「でも、やりたいことじゃないじゃん」が理由なので
私らしいといえば私らしい。
※でも数年後、めっちゃ後悔したんですけどねwwww
当時はまだ「インターネット」などまだない世界で、
当時すでに現代のようなSNSが発達した時世だったなら
「物書き」は目指さなかっただろうな。
これも世の流れですよねw
次は…つい先日まで勤めていた会社との出会い。
↓当時の私w
今では全く面影が無いけど、モザイク処理付きでw

