晴れ渡る空。
水辺にうつる雲。
先日、群馬の赤城山へ。
総称してそのあたりを赤城山と言うのですね。
いろんなコースがあり、
メジャーなコースではなくて
はじめていったのに、一番マイナーなコースに
登って、鳥居峠というところまで着いたら
それはそれは見晴しがよく、びっくりしました。
そして、なんなら車でそこまで行ける(笑)
50年くらい前までは、そこまで
ケーブルカーがあったようで、
廃線になったあとを下山しました。
でも、山の斜面をひたすら、歩いて
それこそ、お逢いした人は2名。
自然あふれる野性味を
五感を存分に感じてのぼったあとは
それはそれは爽快でした。
どこかの着地点につくことだけが
大切なのではなくて、
その「経過」で自分のどんな感覚をつかって
どんな体感をするのか。
ゴールにいくことだけが目的だったら
ある意味、合理的に、端的に
行えば一番よいけれど
それでは味わえない諸々がたくさんあり
自分がもっているものも活かしきれない。
一歩一歩
そこからしか得られないものも
たくさんある。
* * *
自然界にはいると、
自然は容赦なく、ありのままの雄大な姿でいて
そこと対峙していくと
いろんな自分のちっぽけさや弱さも
ダイレクトにみせてくれたり
ときに、サプライズで
この世にはこんな美しいものがあるのか
という感動もみせてくれます。
でも、それは
そうしようとして、在るわけではなく
観る人によって意味づけが
感覚が、かわるだけ。
自然は何もかわらない。
対して
人というのは
みせようと思う自分
みせようとおもっていなくても
勝手にまわりがそうみたり
いろいろな関係性があって、
よく、まわりにいる人は自分の鏡といいますが
一番わかりやすい「鏡」かもしれません。
よくよく会う人、
家族、職場の人、友人、知人
そういう人が発する言葉や態度
そこに自分がどう反応しているのか
ある意味、教えてくれて、自分も学びやすい。
それすらも気づけない時も
あるでしょうがね。
そうすると、ただ、ただ、相手にベクトルがいって
何の解決にもならず。人のせいにして、言い訳沢山して終わり。
同じところをグルグルするだけ。
さらに
ちょっと離れた人、久しくあってない人
そういう人の言動が自分に与えた影響は
その人自体は与えようとはおもっていないかも。
でもうけとった、観た人が勝手にそう思っている。感じている。
これもまた自然と近い感覚かもしれません。
要は
相手が何を発したのか
が大事なのではなくて
それをみた自分がどう感じたか?
もっといえば、そこに反応した「自分の何か」はなんなのか。
そこが自分にとって重要だということ。
ここを追究していくと
自分というものが本当に愛おしくなります。
どこのだれさんが、何を言った。
それはただの「事実」です。
どこのだれさんが私にこういった。
それもただの「事実」です。
事柄も大事ですが、
その羅列は自分にとってどういった意味があるのか。
そこから、自分にはどんな反応がおこったのか。
そしてそれはどこからきて、何を意味するのか。
そこで自分は何を学べるのか。
自分が求めている大切なことの
答えは外にはありません。
誰も教えてはくれません。
だって本人じゃないから。
本人レベルでわかるはずがない。
いろんな人が鏡になったり
出来事があったら、そこで自分が考え行動することで
自分の反応をキャッチして
学びを深めていくしか
自分を知り、答えを出していくすべは
ないのだと思うのです。
自分にとっての正解は
自分が決めていく。
誰かの何かにすがるだけでは
自分の人生、それぞれの人生を
しいては「今を生きていくこと」には
ならんなあ~と
自然に身を置くと
つくづく思います。
さてさて、夏休みにもなり
オリンピックもはじまりますが、
どうぞ、それぞれに
良い連休をお過ごしください。

