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2日目
朝4時過ぎに目が覚める。
外は10度あるかないか。
フリースをきて
山小屋はストーブの前にいないと
寒くてしかたないくらい。
えいやっと外にでてみると
ちょっと雲があるけど、暗いなかうっすら
オレンジ色の光線が遥かかなたにみえる。
でてきた山小屋のおじさんは
「今朝はいいご来光みえるね」
よかった!
待つこと40分
今年もパワーあふれるご来光を
拝むことができました。
上をみあげると傘雲が。
てっぺんでご来光をみようと
夜通し歩いている人もたくさんいるみたいだから
みられたかな~?
雲の移動がはやいから
ご来光は本当にタイミング。
6合目は広くて、今年から新しいテーブルも
設置されていて、贅沢なオープンテラスのよう。
ゆったりとご来光が
楽しめるスペースがあります。
今回も宿泊客は
台風の後だったせいで
私たち9名と単独のおじさんひとりと
3人の家族連れと5人のファミリーのみ。
なので、ゆったりスペースで眠れたし
(ひとり別団体のお子さんが高山病だったみたいで
頭いた~いと夜中に泣いていたのが、かわいそうでしたが)
その後持参した朝食をゆっくり食べて、
6時半くらいから上を目指して登り始めました。
「ご来光をてっぺんでみる」というこだわりさえなければ
この時間設定は本当に身体に優しい。
お天気も良く、すみきった青空が眩しい。
雲海の間からみえる富士五湖も素敵でした。
ここからちょっと話がずれますが・・・
私が山に興味をもち、ご縁ができるようになったのは
3年前の出羽三山にいったことからです。
山というのは元来山には神様が宿っている
故に奉り、むやみに近づかない、登るなんてもってのほか
人間が自然に守ってもらっている、というおごそかな
ものからきていると思うのです。
人も自然の一部
謙虚な心をわすれてはいけない
そんなことも教えてくれます。
富士山も富士講という人たちが
昔はそれこそ何日もかけて
みんながお金を出し合い、選者のみが
富士山を遠路はるばる訪れていたわけです。
いまみたいに、交通網も発達していなかったから
何日もかけて江戸から歩いていったんですね。
調べてみたら
富士山を拝んでいたのは縄文時代にさかのぼるようです。
その時はまだ噴火が活発だったので、とても恐れられていて
平安時代になると、富士山の力にあやかりに
選ばれたものが修験の場として
登山をするようになり(富士講ってやつですね)・・・と
山は自然神信仰の対象だったわけですね。
いまや世界遺産にもなり、信仰は薄れ
世界中の人がレジャーのように
登っていますが
本当は神々が宿る山
もうちょっと謙虚なものなんじゃないかな~と
私個人的には感じています。
だって、そこに何百年、いや、千年以上と
存在してくれているわけですから。
日本人のひとりとして
大切に思う心は忘れたくないです。
まさに登らせていただく。
神聖な場所に身をおかせていただく。
鳥居がそれぞれの合にありますが
これは本7合目前。
私も2,3年前までは
「富士山はあの美しい姿を外から拝むもの。
登るもんじゃないな~」って思っていて
まさかこの歳で
登りたい!と思うなんて想像してませんでした。
でも3年前に、それこそ深く知らずして
偶然訪れた出羽三山の歴史をききながら
やはり山に敬意を祓いながら、昔のスタイルをそのままに
実際に登拝することで得た体験から
私のもつ価値観や興味が変化していったのでした。
実際、話できくのと
自分の身体で体験するものは
全くの別物と思っています。
今回も昨年は7合目までいったので
それをちょっと上回る8合目までいけたら
もう、御の字だな~くらいに思っていました。
(そもそもが、台風でオールキャンセルだろうなと
数日前には思っていましたから)
一緒にいけなかったメンバーも
今回は悔しい想い、残念な思い
いろんな「感情」があったと思いますし
一緒にいったメンバーも
実際登り始めると
こうしたい、あ~なったら
と考えていても、身体がついていかなかったり
子供の様子が自分の想像とはちがったり
いろんな場面に遭遇しました。
そうしたときに
やはり冷静に事実をみとめられるか
(見極めですね)
これは山では命取りにもなりますから
凄く大事なことだし、結果自分のため、相手のためにも
なるわけです。
試されるんだな~と思いました。
でもおそらく思うに、
いまのその人の最適な経験、体験を
するようになっている。
たとえ、できなかったというものでも
それは残念ではなくて、そこでそういう体験ができたことに
意味があると思うのです。
俯瞰してみると、そうなっているとしか
思えないな~と思う場面もたくさんありました。
なので、私のその時のなりゆきで
先にいった男子メンバーを追って
Nちゃんと二人、上を目指すことにしました。
8.5合目までいくと
さすがに空気も薄くなっている(目にみえないものですから
まさに五感、身体で感じる部分ですね)を
感じて、息があがりやすくなります。
お子さんが(おそらく高山病か熱中症)倒れていて
荷物を持ってあげているお父さん
傍らで不安そうなお母さん
そんなファミリーがたくさんいました。
富士山は登ったら、下山も
自己責任です。
そういうどうしようもない体験も
きっと必要なときは必要です。
そして下山のほうがきついかも・・・です。
これは私も月山で痛いほど経験しました。
本当に晴天のなかの登山って
景色は綺麗だけれど、暑さとの戦いでもあるし
高度が高ければ、空気も薄い、紫外線も強い。
リスクはたくさんあるわけです。
そういうものも「知って体験して」いくわけです。
で、そういうピンチから救ってくれたのも
自分でした、自分の呼吸ひとつ。
意識でこんなにかわるんだ!という体験。
だからそれをお伝えしたいという想いにも
つながった3年前の辛い経験(笑)
それが今回の富士登山の最後に
なんだか蘇ってきました。
そして頂上についたときには
まさに眼下に広がる風景を
身体いっぱいでみて(目だけじゃなくて)
あ~日本一の山に登れたんだなあ~と
なんだか「静かな感動」がありました。
登山の良さのもうひとつに
他の誰かとの競争ではなく
「自分の軌跡」そのものとのむきあい
ただ、それだけなのが好き。
登ったから偉いとか
登れなかったからダメだとか
そういうのは一切ないし
ただ、そこに居る、いた
それだけ。
そしてそこで感じ得るものも
ひとそれぞれ。
たくさんの人がそこにいましたが
私はその日のうちに帰宅組だったので
頂上にいた時間は35分!
先にゴールしていた男子チームと
合流して
ラーメンを食べて(笑)
トイレにいって
夫と息子と下山準備にはいりました。
(まるでラーメン屋にいったかのようでしたわ
)
8合目で宿泊するNちゃん親子とは頂上で別れて
我が家は5合目まで一気に下山。
登りは8合目まで一緒だった小学生のペースにあわせて
ゆっくり登ってきたので、最後の8.5合目からは
足取りがきつくなったけれど、それなりにゆるく登れて
苦しくはなかったものの
今度は男子ペースとなると、断然はやくて
7合目まで一緒に降りてきたけれど
足はガクガクしてきたので
あとは先にいってもらいました。
しかしやはり6合目あたりから
もうその時間に下山する人もいなくて
前後誰もいない、霧がでてきたりして
ひとりの下山はちょっと心細くもなったり(笑)
気圧も一気に変化して
疲れもでてきました。
ちょうどそんな時に夫が途中で待ってくれていて
神にみえました(笑)
無事に5合目についたのが下山から3時間強。
息子が到着してから1時間遅れ。
息子はまるで飛ぶように砂走りをおりてきて
足が棒のようになった私とは裏腹、
すごく楽しかったと言ってました。
若さって素晴らしい
それぞれのペースがやっぱり大事で
山は人にあわせるよりも
自分のペースを死守することも
また教えてくれます。
そう考えると
人間の生き方そのものが
山なんだろうな~って
やっぱり山ってすごい先生だ!
そう思ってしまう私がいます。
同じところにいって山をただ、のぼって降りるだけ
なんですが、
きっと10人10色の経験、感じ方があって
それがチャレンジだったり、冒険だったり
そこから発見があったり学びがあったり
声はださずともいろんな教えがそこにある。
いくつになっても
きっと何回のぼっても
そういったものが増えていくんだろうな。
それが魅力で
たくさんの人が古来から拝んだり、訪れるんだろうな。
私も今年のお導きと学びに感謝するとともに
また来年に想いをはせる「富士山その後の今」なのでした。
そしてこれらは
ひとりでは感じ得なかったもので
ご一緒したいとエントリーしてくれた皆さんや
実際今年もご一緒できた仲間や家族のおかげと
心から感謝の気持ちが湧いてきます。
ありがとうございました。
人間って、自然って素晴らしいですね。




