職人気質に学ぶこと | 50代の「今を生きる」~Enjoy My Life* 日々の暮らしから~

50代の「今を生きる」~Enjoy My Life* 日々の暮らしから~

自分の身のまわりにある、小さな幸せにも気づけたら
大切に今を生きることにつながる。
いつかの為じゃなくて「今日」を生きる。
心理カウンセラーyukkie♪(ユッキー)が
50代になり、日々の暮らしのなかの小さなHappyをお届けしてます。

最近、人の生き方として

とても素晴らしいエネルギーの使い方を

している代表として

いろんな分野の「職人さん」ではないか?と

思うことがある。

 

 

他には目もくれず、

ひたすら「我が道」を黙々と行う。

何十年と鍛錬してきたものは

ちょっとやそっとの真似事が

近づくこともできない厳しさや一本筋がある。

 

「迷い」がない。

自己アピールなんか必要ない。

淡々とやる。

凄くかっこいい。

 

「これしかなかった」とおっしゃる方

でも言い換えれば

ひとつに注ぐエネルギーはとても芯が太い。

 

器用貧乏という言葉があるけれど

あちこちに気がいくから

それは線が細く、もろくて崩れやすいのかもしれない。

 

職人気質

ちょっと憧れる。

いや、とても尊敬する。

見習いたい、心はそう在りたいと思うこの頃。

 

 

* * *

 

自分の有限な「エネルギー」を

どこに、どのくらい使えるか。

 

決めるのは自分であり

また、それを実行するのも自分。

 

若い時は、自分には

ありあまるエネルギーがあるように

思えたし、

どこにどう使うかなんて考えもしなかった。

 

そもそも

 

「有限」なんて思うこと自体が

年とったな~(笑)とも思うけれど

 

ある意味、底や壁や天井を感じたり、

それらをつくる「自分を守る枠」を

「狭い」といってとっぱらうのではなく、

「このくらいの枠を自分は持っているのだ」

と認識し

感じられるようになることは

悪いことではないな~とも思う。

 

先日のピアノの調律師さんとの会話で

気づいたことのひとつに

 

「失うもの」があるからこその「できる事」の変化

 

音をあわせていく方法が年齢とともに

変化したとのこと。

 

「音の可聴域」の話をしていたのですが、

加齢とともに、高音がだんだん聞き取れなくなり

故に、聞こえていた倍音(基音に含まれるほかの音)が

少なくなり、音に対して余計な操作(コントロール)をしなくなったと。

(それぞれの音がもつ羽(ハネ)を相殺して、無理に整えていた・・・と)

 

結果、全体としてのピアノの音が柔らかくなったと。

 

芯で整えるようにしたら、ハネは残るけれど、

(聞こえなくなったことで気にならなくなり・笑)

全体的に芯のある音のピアノに仕上がると。

 

なるほどな~と。

音の話だったけれど

人としての話にも聞こえて、大共感。

 

「情報」もそうですね。

いろんな雑音が聞こえるが故に

あれこれ悩んだり、考えたり、感じなくてもいい感情が芽生えたり。

枠をとっぱらったら、いろんなものが入りすぎて困る(笑)

むしろ、自分の大事なことを守るための枠はあったほうがいい。

 

要は「自分はどうしたいか?」という芯が大事なのに

ハネ(まわりの余計なもの)が気になって芯を見失うってことは

本末転倒って感じがする。

 

何か1つに集中できるということは

先述の職人さんの話ではないけれど、

自分のやることが太く太くなって

その人の幹となり、在り方を強くしてくれるようです。

 

「集中」とは特別な人にだけ許されたことではなくて

本当は誰にもできることなのではないかと

私は思ってしまうのです。

 

ただ、何にエネルギーを注ぐかということを

自分で決めようと思う人と

決められない、煮え切らない人との違いにすぎないと。

 

エネルギーがあちこち散漫になって

もったないな~と思う(笑)

 

そしてたくさんのことを合理的に効率的に

推し進めることばかりにエネルギーを

注いでいると、太い芯は育ちにくいかもしれません。

 

夕べ、空を見上げていたら、ぼんやりとした月が

みえて、そんなことをつらつらと思っていました。

 

今夜は仲秋の名月ですね。

 

お天気はいまいちだけれど

秋の虫の声がにぎやかになってきて

確実に時は刻み、四季は移ろい変化しています。

 

時の変化のなかでも

 

自分の在り方は都度自分が決める。

まわりにいる人へのアプローチにも

影響があるでしょう。

 

芯にアプローチ。

集中したいことにエネルギーを注ぐ。

 

そこを意識する秋イチョウなのでした。