最近、人の生き方として
とても素晴らしいエネルギーの使い方を
している代表として
いろんな分野の「職人さん」ではないか?と
思うことがある。
他には目もくれず、
ひたすら「我が道」を黙々と行う。
何十年と鍛錬してきたものは
ちょっとやそっとの真似事が
近づくこともできない厳しさや一本筋がある。
「迷い」がない。
自己アピールなんか必要ない。
淡々とやる。
凄くかっこいい。
「これしかなかった」とおっしゃる方
でも言い換えれば
ひとつに注ぐエネルギーはとても芯が太い。
器用貧乏という言葉があるけれど
あちこちに気がいくから
それは線が細く、もろくて崩れやすいのかもしれない。
職人気質
ちょっと憧れる。
いや、とても尊敬する。
見習いたい、心はそう在りたいと思うこの頃。
* * *
自分の有限な「エネルギー」を
どこに、どのくらい使えるか。
決めるのは自分であり
また、それを実行するのも自分。
若い時は、自分には
ありあまるエネルギーがあるように
思えたし、
どこにどう使うかなんて考えもしなかった。
そもそも
「有限」なんて思うこと自体が
年とったな~(笑)とも思うけれど
ある意味、底や壁や天井を感じたり、
それらをつくる「自分を守る枠」を
「狭い」といってとっぱらうのではなく、
「このくらいの枠を自分は持っているのだ」
と認識し
感じられるようになることは
悪いことではないな~とも思う。
先日のピアノの調律師さんとの会話で
気づいたことのひとつに
「失うもの」があるからこその「できる事」の変化
音をあわせていく方法が年齢とともに
変化したとのこと。
「音の可聴域」の話をしていたのですが、
加齢とともに、高音がだんだん聞き取れなくなり
故に、聞こえていた倍音(基音に含まれるほかの音)が
少なくなり、音に対して余計な操作(コントロール)をしなくなったと。
(それぞれの音がもつ羽(ハネ)を相殺して、無理に整えていた・・・と)
結果、全体としてのピアノの音が柔らかくなったと。
芯で整えるようにしたら、ハネは残るけれど、
(聞こえなくなったことで気にならなくなり・笑)
全体的に芯のある音のピアノに仕上がると。
なるほどな~と。
音の話だったけれど
人としての話にも聞こえて、大共感。
「情報」もそうですね。
いろんな雑音が聞こえるが故に
あれこれ悩んだり、考えたり、感じなくてもいい感情が芽生えたり。
枠をとっぱらったら、いろんなものが入りすぎて困る(笑)
むしろ、自分の大事なことを守るための枠はあったほうがいい。
要は「自分はどうしたいか?」という芯が大事なのに
ハネ(まわりの余計なもの)が気になって芯を見失うってことは
本末転倒って感じがする。
何か1つに集中できるということは
先述の職人さんの話ではないけれど、
自分のやることが太く太くなって
その人の幹となり、在り方を強くしてくれるようです。
「集中」とは特別な人にだけ許されたことではなくて
本当は誰にもできることなのではないかと
私は思ってしまうのです。
ただ、何にエネルギーを注ぐかということを
自分で決めようと思う人と
決められない、煮え切らない人との違いにすぎないと。
エネルギーがあちこち散漫になって
もったないな~と思う(笑)
そしてたくさんのことを合理的に効率的に
推し進めることばかりにエネルギーを
注いでいると、太い芯は育ちにくいかもしれません。
夕べ、空を見上げていたら、ぼんやりとした月が
みえて、そんなことをつらつらと思っていました。
今夜は仲秋の名月ですね。
お天気はいまいちだけれど
秋の虫の声がにぎやかになってきて
確実に時は刻み、四季は移ろい変化しています。
時の変化のなかでも
自分の在り方は都度自分が決める。
まわりにいる人へのアプローチにも
影響があるでしょう。
芯にアプローチ。
集中したいことにエネルギーを注ぐ。
そこを意識する秋
なのでした。