やっと12月本来の寒さが戻ってきたような朝です。
暖かいのはありがたいですが、
温暖化もきになりますよね。寒さもそう思うと本来の姿でうれしいです。
今年もあと2週間となりました。
いつも思うのですが、人間「区切り」を持つことで
ちょっとたどってきた足跡を振り返ったりすることができる。
「区切り」がなかったら、
今日も昨日も明日も、ずっと一直線で
ひたすら歩き続けてしまうのかな?って。
時には立ち止まり、時には振り返り、
そしてまた前をみて歩いていく。
「振りかえり」というものを
間にはさむことで
改めて前を向いたときに力強くなっているような
気がします。
暖かいのはありがたいですが、
温暖化もきになりますよね。寒さもそう思うと本来の姿でうれしいです。
今年もあと2週間となりました。
いつも思うのですが、人間「区切り」を持つことで
ちょっとたどってきた足跡を振り返ったりすることができる。
「区切り」がなかったら、
今日も昨日も明日も、ずっと一直線で
ひたすら歩き続けてしまうのかな?って。
時には立ち止まり、時には振り返り、
そしてまた前をみて歩いていく。
「振りかえり」というものを
間にはさむことで
改めて前を向いたときに力強くなっているような
気がします。
今年は尊敬する、そして敬愛する恩師(小学校の時の担任の先生)
のご主人様から、先生の訃報が届き、
本当に残念で悲しい想いをしました。
10歳の時に担任してくださって(たった1年でしたが)
そのあと、東京から埼玉に引っ越した私と先生は
ずっと文通をしておりました。
進学しても、就職しても、結婚しても、出産しても
2年前には先生のご近所で講座をさせていただく
チャンスもあり、そこに先生がきてくださって
私の講座まで聞いてくださったのでした。
講座が終わってから、二人でお蕎麦をたべながら
(全然二人とも箸が進まず、伸びたお蕎麦が記憶に残っています)
30年以上前の話に花をさかせたり、私も知らない話を
きかせていただいて、涙したり。
足をお悪くされていたのですが、
そのあとから杖なしですっと歩けるようになった!と
元気なお声でお電話くださったり。
お逢いしたあとは、やりとりがまた頻繁になったのですが
しばらくしてご病気が発覚して、その後今年天に召されていかれました。
本当にそのことを知ったときは
言葉にならず、まさに「息をのむ」という感じでした。
と同時に、ショックで悲しいのだけれど
それは当然の私のなかに起こる感情なので
それをしばらく味わい
そのあとにおこった感情は
先生に対しての深い感謝と、そして2年前にたくさん
お逢いできてお話できたことが本当によかったという想いでした。
先生と私の亡くなった母はおそらく同じ年。
物理的に、姿かたちはなくなられても
そして、もう直接お会いすることはできなくなっても
その方の「想い」とか「存在」を感じることは
日常のなかでふいにあらわれ
「感じること」があります。
あ~こんなことおっしゃっていらしたな~
とか
あ~こんな時先生だったらこうされるだろうな~
とか
残してくださったものが自分のなかにある。
それを感じます。
だから寂しさももちろんあるのですが
(今年の年賀状の整理をしていたら、先生のはがきが
でてきて、これが最後の年賀状だったんだな・・とか思うと)
目にはみえなくても、ちゃんと「在り方」は残っていて
言い方は変かもしれませんが
感じられることで、感じる力のある人間でよかったと思います。
母が14年前に亡くなった時
親戚や母のお友達が息子を産んだばかりの新米母の私に
「あなたが、この子をしっかり育てるのを見守ってくれるわよ」
って私をおそらく思いやって口ぐちに言ってくださったのですが
その時は正直その意味が受け取れず
「そんなお空で・・とかではなくて
近くでみててほしかった!!」と泣いてばかりました。
初孫でしたから、抱かせてあげたかった。
ただ、ただ、いなくなってしまったことが悲しすぎて
近くで見守っている・・とか
私自身が「感じよう」としなかったように思います。
でも、今ならわかります。
その人のなかにいる。
みまもっている。
むしろ、いつでもなんどきでも傍にいるということが。
そしてこれは
なにも亡くなった方だけではなくて
普段逢えないけれど、あなたを想ってくれる人や
どうしているかな?って気にかけてくださっている人が
誰にも必ずいらっしゃるということ。
ゆっくりぼんやり1年を振り返ってみると、
そういう人の存在を感じる時間になるかもしれません。
週のまんなか、慌ただしいとご自身をせかすのではなく
「あったかい想いをはせる瞬間」をつくれると
12月の師走もなかなかオツかもしれません。
