気忙しい。

 

とにかく・・・。

 

 

気忙しいというのは

 

文字通り

 

気持ちが忙しいという感じだ。

 

スケジュールだけみると

 

そこまで予定が詰まっているわけじゃない。

 

とはいえ

 

顧問契約してるクライアントのカウンセリングや

 

企業研修やアカデミーで

 

イメージングを教えていたり

 

オンラインサロンを2つ運営していたりするから

 

そのための生配信やコンテンツ制作で

 

それなりには埋まっている毎日。

 

そこに

 

ぼくはいま

 

映画制作なるものをぶち込んでしまっている。

 

自分の悪い癖というか

 

厄介な性格なのかもしれないけど

 

忙しいときにかぎって

 

さらなる大物をぶち込んでは

 

自分を追い込んで苦しくなる。

 

20年前に映画を創ったときもそうだった。

 

スケジュール的にみたら

 

いまよりもずっと忙しいときだったといえる。

 

 

でも、そういうときに限って

 

ふと、よぎってしまうのだ。

 

(もしもこんなときに映画なんか創っちゃったら

 みんな驚くだろうなぁ・・・)と。

 

で、そんなイメージと一緒に

 

ワクワク、うっしっしと

 

自分の企みに、ニンマリしてしまうのだ。

 

 

つまり、感情の伴うイメージだ。

 

しっかりイメージングしちゃってる。

 

 

で、イメージングしたからには

 

冷静になって仕切り直そうとしても

 

もう無駄な抵抗でしかない。

 

気づけば動き出している。

 

関係者に連絡を取り始めたり

 

ひとりでロケハンに行ったり

 

しっかり映画モードに入っている。

 

 

ぼくは20年前に映画を撮り終えてから

 

たぶん、きっと

 

毎日、次の映画のことをイメージングしていたと思う。

 

来る日も来る日も

 

また映画を撮ることをイメージし

 

毎朝の自分のエゴノートにも書いていた。

 

 

そんな中、ときどきあえて

 

書かないでみることもした。

 

もしかして

これってパターン化してるんじゃないか?

 

映画のことを書くのが当たり前と思って

書いてるだけなんじゃないか?

 

そんなふうに自分を疑ってみたりして

 

そういうときは書かないで

別のことを考えてみるのだ。

 

映画を撮ることを

自分の未来から外すと

 

ぼくは一体どうなるのだろう?

 

それってどんな感じかな。

 

肩の荷が降りて楽になったりして・・・

 

だとしたら、義務感なのかな?

 

心が軽くなって

もっと自由に未来のヴィジョンを描けるかもしれない

 

という

ちょっとした期待さえあった。

 

 

書かなきゃ書かないでもいられた。

 

へぇ〜、案外影響少ないんだなぁ

 

このままもう映画は撮らないっていう自分に

なって生きていくのもありかも・・・

 

なんて思ったりもした。

 

 

・・・わかります?

 

要するに、

 

結局は映画を撮らない自分に

 

いつも意識がフォーカスしていた。

 

つまり、

 

自分と映画を切り離して考えられなかったのだ。

 

 

この自分実験のおかげで

 

悪あがきはやめた。

 

いつになるかわからないけど

とにかく映画撮ろうぜ、自分

 

と自語りして、また素直に

 

「映画を撮るぜ」とエゴノートに書いた。

 

すると、

以前にはなかったゾクゾクが心に湧いた。

 

 

そうしていまぼくは

 

日々映画を撮るための準備をしている。

 

毎日、スタッフから連絡が入り

 

「このシーンはどうする? 」

「ここはクレーンで撮ることになるか」

 

なんてという電話越しの熱い意見が飛んでくる。

 

脚本を書いたのがぼくだし

 

監督するのもぼくだから

 

関わるすべての人たちの質問が集中する。

 

気忙しい。

 

でも、この感覚が欲しくて

 

渦巻のど真ん中に飛び込んだのも自分の意思だ。

 

誰にも頼まれてない。

 

一円にもならない(いまのところね)。

 

少なくとも

大金持ちを目指して映画を撮ろうと思ってない。

(結果的になっちゃったら、拒まないけど・・・)

 

自分が抱き続けてきた大きな夢を

自分に叶えてあげようとしてるだけだ。

 

・・・ああ、気忙しい。

 

忙しいの?

遊べないの? 

ふーん・・・・