孤独っていうのは、

深層心理ととっても

関わりがあるものだと思う。

 

ひとりでいることが、孤独ではないだろう。

ある意味、人はみんな孤独なのではないか。

 

この数行だけでも

なんだか哲学的というか

禅問答みたいになってくる。

 

でも、孤独っていうのは

深層心理研究家としては

とっても気になる心の状態なんだ。

 

これは僕の経験だけど

アメリカに住んでいた20歳くらいの頃

友人のホームパーティに呼ばれて

そこで大いに盛り上がったことがあった。

 

自分で言うのはなんだけど

僕はその夜、そのパーティの中心人物になっていて

日本からきた僕の話で会話が弾み

みんなから興味を持たれ

とっても居心地よく過ごしていた・・・のに。

 

 

それなのになぜか僕は

そのあと用事なんて全然ないのに

宴たけなわな早めの時間に

みんなに別れを告げて

道端に停めていた自分のオンボロカーに乗りこんで

エンジンをかけ

しばらく煙草をふかしながら

ポツンとひとり座席に座っていた。

 

あのときの自分って

なんだかわからないけど

たまらなく孤独を感じていたように

時々ふと思い出すんだ。

 

僕は車の中で

キャメルかなにかの煙草を一本吸っていて

(あの頃は喫煙者だったのだ)

さて、アパートに帰ってからどうしようかな・・・

なんて、

考えをあてもなくしていた。

 

確か、小雨が降っていたと思う。

 

雨に濡れたフロントガラス越しに

歪んで見えてる家々を眺めながら

僕は孤独を感じていた。

 

エンジンが温まるのを待っているのか

(廃車寸前のトヨタセリカだったから

暖機運転が必須だった)

 

それとも

孤独な自分の心を温めようとしていたのか

よくわからない。

 

多分

暖機運転で停車している時間を使って

自分の心に漂っている

それまで感じたことのなかった

「孤独」っていうやつを

半分が興味と

半分は心細さで

味わっていたんだと思う。

 

・・・いまだからそう思えるんだけど。

 

 

大勢の人たちに囲まれて

みんなからオモシロイ奴だと肩を叩かれて

今度うちのパーティにもおいでよ

なんて誘われたりもして

 

とっても温かくて親しみのある

懐の大きなアメリカ人たちに

心地よい時間を与えてもらっていたのに

僕の心のどこかに

不思議と孤独感が漂っていた。

 

僕はその頃

アメリカにあこがれて

日本よりも自分には合っていると

感じることが多々あって

アメリカに住もうと心に決めていた頃で

そのアメリカに馴染もう

溶け込もうとしていたはずで

 

しかもそのパーティで僕は

アメリカ人たちの中に溶け込んでいたし

馴染んでもいたはずなのに・・・。

 

でも、

そう感じるほどに僕は

そこに自分の居場所が

なくなっていくような感じがして

早く、ソファ以外は何にもない

ガランとした自分のアパートに帰ろうと思ってた。

 

なんにもない

独りぽっちのアパートなんかに帰ったら

僕はもっと孤独になるはずなのに

みんなでワイワイやっている

あの場から逃げるように

僕はそこから離れようとしていた。

 

ちょっと不思議な感覚。

 

それが、僕の一番思い出せる「孤独な自分」だ。

 

 

ひとりの時間が充実しているときって

確かにある。

 

兄弟が多くて

今日は誰も家にいないから

自分ひとりで過ごせると思うと

ワクワクする人もいる。

 

孤独とは、

一緒にいる相手の有無とは関係ないんだ。

 

誰かと一緒でも

その誰かと繋がってる感がまるでなければ

よけいに孤独を感じてしまう。

 

電車に乗っていて

満員に近く大勢の人が一緒で

でもそれは全員赤の他人で

繋がってる感なんてまるでないけど

孤独を感じたりはしない。

 

 

孤独とは

自分以外の誰かの人数とは関係ないものなんだ。

 

孤独とは

自分が内側に何かを感じるときに

ポツンとした感覚

疎外感

そうした感覚のときに感じるものなのだろうか。

 

大勢の友達がいても

肝心の会いたい本命がその中にいなければ

孤独を感じてしまうのかもしれない。

 

誰かといればいいわけじゃなく

肝心の誰かと繋がっている感があるかどうかが

大事なんだと思う。

 

そして

誰とも繋がっていないことが

必ずしも孤独であるわけでもないのだ。

 

独りなのに孤独なんかじゃなくて

満たされている感があるときって

繋がってる誰かが

「自分」だったりするんじゃないだろうか。

 

もしかしたら

本当の孤独とは

自分の周りに

誰もいないことに反応した感情などではなく

自分と繋がっている感がないとき

自分が自分とも離れ離れになって

ポツンといる感覚のことなんじゃないか。

 

 

生き物はみんな孤独だ。

孤独に生まれてきて、孤独に死んでいく。

 

スウェーデンの精神科医アクセル・ムンテは

「死は孤独だが、生きているほど孤独ではない」

と言ったという。

 

生きるとは、孤独なのだ。

 

だから

その孤独を感じたくない僕らは

いつも誰かといようとしたり

仲間に加わろうとしたりする。

 

仲間外れはショックだ。

 

ひとりぼっちはいけないこと・・・

のような言い方をされてしまう。

 

でも、本当は

誰と一緒にいても

どんな組織の仲間の一員になれたとしても

結婚していても

子供がたくさんいても

僕らは孤独なのかもしれない。

 

それをわかった上で

どんなふうに人と付き合っていくか

接していこうか

誰と、どれくらい深く付き合っていこうか。

 

そうしたことを

自分の中でしっかり持っていることが

孤独と上手に付き合うために必要なのかもしれない。

 

僕らは

小学校に上がるときに

周りから大々的に言われた

「友達100人できるかな」とか

「仲良しのお友達」という呼び方で

徹底的に暗示されてしまって

見事に洗脳されてしまっている。

 

「ひとりはいけない」

「周りと仲良くすることが大事」

「そのためには、自分の個性を殺してでも・・・」

という歪んだルールで

どれだけ自分を否定したり

責めたり

それができないで落ち込んでしまっているだろうか。

 

ひとりを大事にする。

 

ひとりの時間でしか

僕らは自分としっかり繋がることが

できないのかもしれないと

これを書いていて思った。

 

僕はいま

一人でこれを書き

ひとりであれこれ想いを巡らせながら

自分の中の自分にいろいろと問いかけていた。

 

そして

その自分はひとつひとつを丁寧に答えてくれたり

一緒に考えてくれた。

 

僕は少なくとも

自分の中にいる自分と

いまのところうまく付き合っているようだ。

 

少しホッとする。

 

自分と繋がるための孤独な時間を

大切にしていきたいと思う。

 

孤独こそ大事だという結論。

 

オモシロイなぁ。

 

ひとりが充実するのは

昼寝のとき・・・かな

あとは、みんなと遊んでたい

あ、ご飯のときは独り占めしたいかも