雨が降っている・・・・。


と脚本には一行書かれています。
しかしこれを映画の中で効果的に活かそうとすると、とてつもなく大変な作業になってしまいます。
雨をただ撮影しただけでは、画面にその雨が映らないからです。
実際の雨を見ても分かるとおり、肉眼で見るときも曇り空から降り落ちてくる雨は、土砂降りでない限りは、なかなかはっきりとは見えないモノです。私たちは軒下を見たり、水たまりに無数にできる波紋をみたりして雨の量を認識しています。街灯や車のヘッドライトで初めて雨が降っていることに気づく場合だって少なくないでしょう。それをフィルムに焼きつけるためには、その何倍もの雨を降らせて、ようやく普通に雨が降っている程度を観客に分かってもらうことができるのです。


真冬なのに、なぜか夕立のような土砂降りの雨が稲光と共に降っている・・・

私の映画「オトコタチノ狂」の脚本に、そう書いてあります。

379ca679.BMP配給のついていない、いわゆる自主映画なのに、7トンの水を給水車で降らせました。水量時間は10分弱。文字通り真冬の撮影でした。慣れていない大がかりなロケ。役者たちは着物の上から冷たい水をかけられ震えながらスタンバイ。演出をしている私の声は給水車からの大量の水音でかき消え・・・。

映画の中では、本当にワンシーン、ちょっとだけしか映っていない土砂降り。普通に考えたら、もったいないの一言ですが、でも・・・それが映画なのです。

今まで数本の短編映画を撮ってきましたが、よくよく考えてみると、私は雨を効果的に使おうとする癖があるようです。雨、それも大量の雨や風を使って、シーンを劇的にしようという試みです。

今までの私自身の人生でも、すごくショックを受けたり、大きな事件が起こったときに「何もこんな時に、こんな風に土砂降りにならなくても・・・。今の自分の気持ちを表しているみたい・・・」と唸ってしまうほど、タイミング良くずぶ濡れになって途方に暮れたことが何度かありました。

メソッド研究所でも「失恋するなら『ホントはそんなに好きじゃなかったから、別に平気』なんて絶対に自分をごまかしてはダメ。失恋したら、思いっきりショックを受けて落ち込もうよ」と劇的な失恋のすすめみたいなことを言っています。

大切なのは、自分がどれだけ本気だったかを認識することだと思うからです。失恋しても平気な奴より、失恋して「もうダメだー。生きていけなーい」と嘆く奴の方が、(いい恋してるな、これでまた成長したな)と思えますし、「もっといい人と出会えるよ」とエールを送りたくなりますものね。

人生相談のラジオや携帯電話の番組をしていると、
いかに傷つかない人生を送るかに一生懸命の若者たちが増えていることを感じ、私は不安になります。

自分に合った喜怒哀楽が毎日の生活の中にあふれていることは、人として成長していくために大切なことです。
怒と哀をさければ、喜と楽も遠のいてしまうでしょう。
今の自分のレベルで喜び傷つきながら、私たちは少しずつ免疫をつけて成長していっているはずです。

私は、
いかに傷つかないように・・・よりも、いかに本気で生きていけるか
を、これからもずっと追求して生きていきたいし、そんな同じ想いの仲間たちをどんどん増やしていきたいと思っています。


アンコール上映も今夜が最終日です。もしお時間あれば、観にきてください。
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