初めて来たけどとても落ち着くカフェで
あー、このコーヒー美味しいなぁって
ホッとしてたところ。
ふと、思った。
結局正解はない、んだよなぁって。
私はいくつかの種類の仕事をしているんだけど、
そのうちの1つはエビデンスをもとに
判断などしていくことが多い。
そしてこれが正しいとか、これがより良いという観点で対象に関わることが多い。
また別の仕事は接客業になるのだけど
そこでも接客はこうあるべき、
というようなルールがある。
私はルールはあった方がいい、
とは思っているのだけど、
それを絶対に守らなきゃいけないとは思っていない人で、
そのルールをもとに自分がどう思うかを考えて自分の意見を持つのがいいと思っている。
私は私でしかないから
私の正解は私でしかわからない。
それは私以外も然り。
でもその正解はその都度出ないこともある。
後になってあれで良かったと思えることもあれば、ああすれば良かったと後悔することもある。
ただ、どちらにしてもそれは間違いではなく、後悔したことすらもある意味正解なのだと思う。
じゃあ正解って結局なに?
と考える。
正解はないのだ。
結局どんなことも自分の中に答えがある。
大人になるにつれて社会で学んでいくと、正解がわかる気がする。
そしてそれがないと何となく不安になる。
本当にこれでいいのか、スタンダードなのか。
そうやって捉われてしまう。
最初は純粋に好きでやっていたことなのに
正解みたいなものに安心して
それに捉われてしまうことがある。
そうなると
自分の感性が蔑ろになってしまう気がする。
誰かや何かの正解にばかり気を取られると
自分の本当の心や思い、
相手の本当の心や思いに気付くことが難しくなる。
正解という正しさは安心感に繋がるけど
本当の自分から遠ざかることもある。
私はいつからか周りばかり気にしている人間になっていて、その枠から離れたくても捉われてきた。
周りから見られる自分がどんな人間なのか、
どんな風に思われたいのかを気にして、
こう思われたいからそう思われるための振る舞いをする。
そんなつまらない日々…
でもどこかで、何か違う、本当は違う、と感じていた。
もう、正解に捉われたくない。
正解なんてないし、言うなら全部が正解でもある。
ただ、自分が自分で在る、ということにさえ責任を持っていられればいい気もする。
とっても抽象的でわかりにくいけど。
自分を生きることに繋がる思考の一部をつらつらと書き記す。