カルマとは魂の履歴。これから起きる事の原因の種であり、

貴方が今まで歩いてきた道そのものの事を指します。

 

過去生からあるもの。

今までに作ってきたもの。

今まさに作られているもの。

良い物も悪い物も無害なものもあります。

またカルマには行為のカルマと 感情のカルマがあります。

仏教では感情のカルマは 行為のカルマより重いと言われています。

 

自分の蒔いた種は良くも悪くも摘み取る必要がありますが、

特に負の感情のカルマに関しては、その内容を突き詰めるより、

受け入れて今を正しく生きる事が大切です。

規則正しい生活で体のバランスを整え、

瞑想やマントラで心を整えるのも良いでしょう。

考えずに感じることです。

 

 

トラウマなどがオーラの中に残り苦しめられる事があれば

自分に寄り添い、共に光を見つめて癒していきましょう

トラウマの追体験は不必要です。

内容の精査より、いまの感情のカルマを見てください。

貴方の心が今この瞬間に、幸せであることが大切です。

 

海にある岩礁のように、潮という心が満ちていれば、

それは見えなくなり、岩礁の成分の分析は必要ないと、

ナチスによるユダヤ人絶滅強制収容所であるホロコーストからの

サバイバーであるフランクルも言っています。

そして、例えばホロコーストのカオスの中ですらさえも

人は最後のひとかけらのパンを分け合い

魂の輝きを失わずに前を向いて生きられるのだと。

 

理不尽がたくさんあると思える時

神に人生を問うのではなく私達が神に問われているのです。

 

 
アイイスのテキストの中にも書いてありますが、

魂を傷つける3つの感情は、怒り、不安、罪悪感だと言います。

 

怒りはわかりやすく、自分に向けても、他人に向けても刃となるし、

自分の正義という基準で何かをジャッジしたり、比較したり、

そういう事が無くなれば、大概の怒りは静まると考えられます。

上を見ても下を見てもキリがなく、全ての比較は苦と繋がっているので、

たかが自分、されど自分と、自分の個性を知る事が大切です。

それぞれ互いの個性を認め合えば大抵の怒りは消えていきます。

 

では不安は?不安の正体はありません。

それは心が作り出すであって、大概の現実は、

良い事も悪いことも、予測した事の斜め上から起こるので、

不安の80~90%は現実にならず、現実になった物の中で、

自分の手に負えないような事が起こる確率はさらに低く、

3パーセント程度だと言われています。

降水確率が3%なら、貴方は傘を持って出かけますか?

重い傘を手放して、軽やかになる事を選ぶのではないでしょうか?

 

 

罪悪感という言葉を聞いてあなたは何を思い浮かべるでしょうか?

これは反省や学びにも繋がるので、美徳とされる事もあります。

 

しかし、罪悪感とは最も意味のない感情と言えるでしょう。

もしあなたが何かを後悔していても、

それが取り返しのつかない事であったり、

また対象となる相手が何も感じていなければ、

あなたが自分を傷つけただけにしかなりません。

 

自分も全体の一部なので、貴方は自分を傷つける事によって、

全体を傷つけた事にもなってしまいます。

全体の一部として、貴方は自分の幸せにも責任を持つべきです。

もちろん逆に誰か一人でも不幸に泣く人が居れば、

自分も含む全体が傷つく事になるので、

常に皆に幸せでいて欲しいと、自然に願う事ができるようになれば、

貴方の笑顔は、先ず周りの人々を癒し、それは更にその周りの社会へ、

宇宙全体へと繋がって広がっていく事でしょう。

 

有名な「慈悲の瞑想」では、まず自分の幸せと悟りを同じ言葉で3回祈り、

「幸せになり、悩み苦しみが無くなり、願いが叶い、悟りの光に出会えるように」と、

親しい人たちに、全ての人々に、そして嫌いな人、自分を嫌っている人にも、

3回ずつ祈ります。これを毎日繰り返す事は心身の浄化になり、

善悪のジャッジや、自分と人の境界線をなくすには、

大変有効な手段であると言えます。

 

 

人の心が不安定である時は、思考未来か過去に向かっています。

未来を不安がっているか、過去を後悔しているのです。

心が今ここ マインドフルネスにある時、そこに罪悪感はありません。

そして未来の不安は、過去の経験から作り出されることも多いでしょう。

私達の心の奥には、絶対的な光、神の存在があり、その光は全てを知っています。

 

何か行動する時、罪悪感を覚える事があるとしたら、

それはあなたの中の神の基準と矛盾しているという事です。

もしかしたらある人は、貴方にとってとんでもないと思える事を、

平気でやってのけるかもしれません。

それはその人の神にとっての正義なのかもしれません。

しかし、内なる神との対話は人との比較ではないのです。

また貴方の中にも色々な感情があるように、

目に見えている物がその人の全てとも限りません。

 

しかし内なる神と繋がって、自分の正義と矛盾ない言動がいつもできたら、

貴方は自分自身を信じ、愛することができるでしょう。

世の中は多数の人々の、それぞれの正義によって成り立っています。

だから時に、期待していたような結果は返ってこないかもしれません。

しかし、それでも自分が自分の神に対して恥じる事が無ければ、

あなたはそんな失敗した自分も許す事が出来るでしょう。

迷いがあれば、自分を信じる事も許す事も難しくなります。

 

 

許しとは、神が人類に見せてくれた究極の愛です。

キリストは人類の罪を背負って、自ら十字架の犠牲を受け入れたと言われ、

父なる神は、子供が心から反省してあやまれば、

あなたのどんな過ちをも許してくださいます。

それは親が、子供に見せる究極の無条件の愛の姿です。

 

親が反省した子供を許す様に どんな自分も愛して許す事は

周りの全てを愛して許す事 全ては鏡だからです。

自らが無償の愛そのものとなる事です。

どんなあなたでも、愛し、許してくれた父の愛のように、

貴方自身も、どんな自分も愛し、許し抜くのです。

そうすればのように、貴方も周りの全てを許せるでしょう。

その為には、自分で自分を信じられる言動をする事。

例えば日々の祈りなど、小さな自分との約束を守る事でも、

自分との信頼関係は深まっていくでしょう。

自分の神に照らして、罪悪感を持たない毎日を送ってください。

 

祈りは届き、願いは叶う。叶う夢だからこそ心に宿ります。

祈る事ライトワーカーとしてのあなたの使命です。

共に日々、自分の為に、世界の為に、祈りつづけましょう。