日々変化し、成長を続ける自然界で、

生物が形を変えて周りの環境に適合して生きてきたように、

唯一普遍のものがこの世にあるとしたら、それは変化です。

時は流れ、社会や世界も変化し、私達の肉体も心も同じままではいられない。

その流れの中で頑固に変わらないという事は、実は退化であるとも言えるのです。

 

この様に、どんなに今が幸せで、このままで居たいと願っても、

時の流れは待ってはくれません。

生きている事は常に変化していく事なので、

誰もが同じ場所にずっと立ち止まったままでは居られません。

限りあるからこそ人生は美しく、子供は成長して巣立っていき、

人が老いていく事さえも、死に向かっての成長です。

 

 

この世を去る時に持っていけるのは、

経験と思い出という魂の彩だけ。

だから様々な経験をしましょう。

時には自分の中にあるですら愛し、

恐れる事無く新たなチャレンジをし続けましょう。

 

また誰の人生も死と隣り合わせです。

死は誰にでも共通の永遠のテーマであり、

誰もが死の可能性と向き合って生きています。

しかし、とは、生きるとは、死とは、と、

実感したり考えたりする機会は意外と少ないものです。

 

親しい人の死と向き合わずに生きることはできません。

いつかはその機会が誰にも必ず訪れます。

その時、人は今生きている自分の人生というものの意味と、

真剣に向き合う事になるでしょう。

特に病気や事故等の様に心の準備が無い状態での別れは、

残された者たちの心に大きな変化を余儀なくします。

 

ハプニングに満ちた日常の中で、無事である事が既に奇跡だと、

あなたはきちんと感じることができているでしょうか?

 

 

今日1日が無事に過ぎる事は奇跡であり、

私達は何かを具体的に願う事は出来ますが、

何事も起きない事、無事であることを願う事は難しいものです。

何故なら、普段そのありがたさに気が付いていないからです。

 

神の大きな意志の中で、起きる全ての事に意味を見出す事、

例えばコロナや戦争などといったような事はもちろん、

どの様な大きな変化にも、私達は適応せねばならず、

しなければ生きてはいけない事に気が付けば、

前を向くことができるでしょう。

 

 

「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、私はリンゴの木を植える」

とマルティン・ルターは語りました。

死を思い生きる、メメントモリの思想は西洋では一般的です。

死を思ってその日一日を精一杯生きるという事を、

あなたは日々できているでしょうか?

日本神道は昔から死を穢れとして恐れ、避けてきた傾向があります。

 

しかし今、私達は死や変化を受け入れるべきです。

流れの激しい時代の中で、先の事は誰にも判らないし、私達は今日1日を、

出会えた全ての人や出来事に感謝し、日々の変化に対応しながら、

時に、恐らくなかなか答えは出ないであろう、

「生死」という大きな問いについても、逃げずに向き合い続けましょう。

例え結論が出ないまま一生を終えても、

道の途中でリレーのように意志を繋げば、

誰もが繋がって、毎日を生きていく事ができるでしょう。

亡くなった人達も側にいて、

あなたと共に今も成長し続けているのです。

 

 

人は例えどんなに抵抗しようとも、自然に変わっていきます。

産まれてから今日まで、あなたが変わらなかった日はありません。

変化を恐れずに受け入れてください。自分を信じて安心してください。

 

限りある命であるからこそ生花は一段と美しく、

変化があるからこそ人の、その日1日は輝くのです。

いつか死を迎えるその瞬間まで、日々変化を恐れずに、

奇跡の毎日を大切に生き抜いてください。