献身とは時に痛みを伴ってでも与える力です。

貴方は自分が満たされている時に、

その溢れてこぼれた分を人に与えるのでしょうか?

それともいつでも自らの最善のものを

差し出しているでしょうか?

 

また、もし自らが苦しい時でも、

時に自分の身を削ってでも、

誰かに何かを与えることはできるでしょうか?

 

 

例えば戦時下やホロコーストの様な、

極限ともいえる状況下で、

時に人は信じられないような善性

証明することがあります。

 

この飽食の時代において、

なかなか気が付くことは難しいですが、

実は人は本来、そのように作られているのです。

 

逃亡者への見せしめに処刑が決まった若い男性が、

自分には家族がいると、許しを乞うた時、

では独り身の自分がと、身代わりを申し出た

コルベ神父の話は有名ですし、

孤児院の経営者だったコチャック先生は、

自らの世話した子供たちを、

まるで遠足にでも行くように送りだすために、

自らも共にガス室に赴きました。

 

最近でも溺れる他人の子供を助けようとして、

自らが流されてしまう様な若い男性の話も、

少なくはありません。

 

 

人は窮極の飢えの中で、

最後のパンのひとかけらを、

分け合おうとする生き物です。

貧しい人ほどお供えを欠かさなかったり、

より苦しい人を思いやったりします。

 

貴方が豊かである時も、

自分の最善の物をいつも差し出してください。

 

もし貴方がもし何かに献身しようと決意した時、

怖さとか保身で後ろ向きになる事があったら、

どうぞこれらの話を思い出してください。

 

本来人は、痛みを伴ってでも、

自らの最善を与えようとする生き物です。