写真を2枚追加しました。
前回の続きです。
今回は黒田如水の井戸と青森県フェアなど
です。
如水の井戸です。
黒田官兵衛(如水)が関が原の
戦いの後で、下図2年間使用し
た井戸です。
宝物館の横に如水の井戸が
あります。
現地にある解説板です。
黒田如水(1546~1604)は安土桃山時代の武将。
はじめ姫路城を預かっていたが、中国攻めで
豊臣秀吉に従い軍師として活躍した。
九州平定後の天正15年(1587年)馬ヶ岳城を
はじめとする豊前国の中の6郡およそ12万石を
与えられ、中津城を築城をしました。
関ヶ原の戦いの後に、息子の黒田長政は家康
から福岡藩52万石を拝領します。豊前中津
は無かったことになります。
福岡にも屋敷がありましたが、如水は藩内の
太宰府天満宮に庵を建てて、2年ほどはその
庵で暮らし、その後は京都伏見の福岡藩邸内
で暮らし、2年後の1604年に亡くなりました。
享年59。辞世の句は「おもひをく 言の葉な
くて つゐに行く 道はまよはじ なるにま
かせて」でした。
「ゐ」は「い」と発音です。
現代語訳:「思い残すことは何もない。今は
心静かに旅立つだけで、迷うことはない。
なるようになるに身を任せて」
伏見の藩邸宅で、息子(長政)は成長した、
自分はこの世に思い残すこともない
そんな思いがあるのでしょう。
Googleストリートビューより引用
黒田官兵衛終焉の地と考えられる
福岡藩京都伏見下屋敷跡です。
官兵衛(如水)は茶道・連歌など
趣味人として暮らしていたと考え
られます。
石碑を拡大すると
月桂冠酒造のWebページより引用
次に
上図⑦から⑨に出た所は
⑦から⑨に出た所です。
下図⑩付近にある大樟です。
樹齢1500年以上あるクスノキです。
高さ28.5m、幹回り11.7mあります。
道真の生きていた時も、すでに大木
でした。
上図⑪の社務所です。
受験合格は御利益ありそうです。
下図⑪付近の天神広場です。
絵馬堂が見えます。
菊の展示会がありました。
⑪付近の菊の展示会は
福岡県知事賞の御田良知さん
の菊でした。
太宰府市長賞もあります。
絵馬堂付近では青森県フェアがありました。
青森県フェアが絵馬堂で
ありました。
平成10年に青森りんごが奉納されて、
今年で20回目です。
絵馬堂の全景です。
絵馬堂の青森県フェアです。
右側は青森県産リンゴ販売です。
焼トウモロコシ販売です。
ホタテ焼販売です。
絵馬堂から見た志賀社です。
志賀社は大宰府天満宮では
一番古い建築物です。
絵馬堂の前では猿まわしを
する芸人さんもいました。
猿回しの芸人さんと恥ずかしそうな
おさるさんです。
芸人さんが芸をやってます。
おさるさんはここでバク転します。
バク転中のおさるさん。
最後に社務所は
太宰府天満宮余香殿です。
1967年建設の社務所ですが、
イベント・宴会・結婚式に
も利用されています。
以上で太宰府天満宮の紹介
は終りです。次回からは、
大阪の道明寺天満宮の紹介
と梅の花です。
道明寺天満宮には道真の叔母さん
がいたので、ここに道真は遺品を
預けて大宰府に赴任しました。
なので、国宝が5点もあります。
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