伊勢街道 松阪宿 1 歴史 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

今回からは伊勢街道松阪宿の紹介です。

松阪城については、8年前の2017年

に紹介しています。1回目の歴史では

その前に紹介した桂離宮と重なってい

ます。明治になり大坂の、坂では土に

返る、 とうい縁起を担ぎ大坂は大阪

となったので、松坂も松阪となりまし

た。

 

 
伊勢街道地図
「伊勢に行きたい伊勢路がみたい。
たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭
にも歌われ、多くの人があこがれた
伊勢参り。時には500万人もの人々
が熱狂的に伊勢を目指したこの道は、
東海道に次いで交通量が多く、物資
や文化の行き交う賑やかな街道でし
た。日野からきた商人は日野町を、
伊勢大湊からきた商人は湊町をつく
っていきます。
松坂部分を拡大すると
 
上図松坂駅から大橋付近までが
その中心です。
1584年、それまでの功績で、
南伊勢12万3千石の松ヶ島城
主となった氏郷は、松ヶ島城
の南約4Kmにある小高い丘、
四五百森(よいほのもり)に
新たな城を築きます。
城造りは急を要し、資材調達
のため、松ヶ島城の瓦の一部
を再利用、石材には、河原石
の他に、古墳時代の石棺の蓋
なども使われました。
城は3年で完成し、1588年に
入城した氏郷は、秀吉が治める
大坂から一字をもらい、城下町
を「松坂」と改めました。
蒲生氏郷が築城とともに、それ
まで海よりを通っていた、伊勢
街道の道筋を変えて、城下町の
中央を通るようにしました。
氏郷の町づくりの特徴の一つに、
街道筋を含め、通りがのこぎり
の歯のようにギザギザに屈折し
ていることです。敵が一斉に攻
められないように、防御のため
といわれています
氏郷は、城下町の経済発展を図
るため、「町中掟」を定め楽市
楽座を推進し、近江日野や伊勢
大湊から有力な商人を誘致しま
す。これにより、松阪にはたく
さんの人々が集まり、江戸時代
には、三井家、長谷川家、小津
家など多くの豪商が活躍しまし
た。
地図をさらに拡大すると
現在地にある案内板です。
松坂城から大手道を下った
ところに宿場の中心があり
ます。
 
松坂大橋付近のようすです。
江戸時代後期の伊勢街道
松阪宿です。おかげ参り
の時期になると、旅籠が
満員となり、河原で野宿
をする人もいました。
(上図参考)
江戸時代の松阪は紀州藩
の飛び地ということもあ
り、比較的武士が少なく、
商人の多い町でした。
江戸だけでなく、大坂や
京都にも出店を持つ商人
が多く、生活は大変質素
で、徹底した倹約で知ら
れました。
「宵越しの銭は持たぬ」
などといわれた江戸っ子
の気性とは正反対の倹約
生活ぶりから、商売上手
な近江商人と伊勢商人を
揶揄して、「近江泥棒 
 伊勢乞食」などという
ことばが生まれるほどで
した。
 
今回はここまでで、次回に続く

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