津城(続日本100名城) 6 最終回 高山神社 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

前回の続きです。

今回は高山神社で最終回です。

下図Aから見た高山神社鳥居です。

 

Googleマップです。

 

高山神社の由緒です。

津藩祖の藤堂高虎を祀る神社です。

明治維新で津城が廃城となり。

1876年(明治9年)当初は安濃郡下部田の

藤堂家山荘(現在:偕楽公園)の八幡神社

境内に創建されます。藤堂高虎公は法号

寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都です。

「高山(こうざん)公」と通称されるため、

神社名もそこから名付けられました。

高虎は家康の死に際に、枕元に呼ばれて、

家康は浄土宗なので、死後は会えないと言

われました。高虎はすぐに浄土宗に改宗し

たと家康に報告しました。なので戒名では

なく、浄土宗(真宗も)なので法名となっ

ています。

1903年(明治36年)に津城址の本丸跡に

遷宮しました。他大名家も本丸跡に神社が

あるのでよかったです。

 

本丸にあった高山神社絵図です。

 

1903年から1945年まで、戦前は

本丸にありましたが、1945年の

米軍大空襲で社殿は焼失しました。

翌年仮再建されます。

1970年第1回の大阪万博のとき、

津都市計画事業のときに、現在地

の南内堀埋め立て跡に遷座されて

います。

本丸跡は公園になっています。

なので本丸御殿などの復元が

可能です。ただし復元予定は

ないようです。

本丸御殿より先に三階櫓の再建が

先ですね。

ということで、高山神社は本丸か

ら追い出されました。

 

A地点からBの手水舎方向に

行きます。

途中に由緒書きがあります。

手水舎より少し前に高山神社

石碑と、由緒解説板があります。

ここに本丸にあったときの絵図

があります。

振り返り見ると

 

振り返り見たところです。

 

Bから見た高山神社の手水鉢です。

藤堂家家紋の藤堂蔦が描かれてい

ます。

 

高山神社創建以前1857年

に、両社八幡宮を奉斎した

ときに、鋳物製手水鉢が造

られたようで、それが本丸

境内の時も、南内堀が境内

の現在も、鋳物製手水鉢が

利用されています。

 

横から見た鋳物製手水鉢です。

 

下図Cにある高山神社拝殿です。

 

このように高山神社が本丸から

南内堀跡に移されたことは、他

城跡では本丸に残されているこ

とが多いです。その場合は戦没

者も合祀された神社になってい

る場合がほとんどです。

戦没者もその他の藩主も合祀さ

れていないのは珍しいです。

信州上田藩は幕末には松平氏が

藩主でしたが、幕末の農民一揆

で、罰しないとして一揆衆を騙

して一揆を収めましたが、のち

に一揆首謀者を磔にしたので、

領民から恨まれていたので、

維新後に松平家の神社を造りま

したが、領民に恨まれていたの

で、本丸松平神社は廃止されて、

真田神社になっています。

高山神社も藩主家の思いが強過

ぎたのでしょうか。内堀跡に移

されたのは残念だったことでし

ょう。

 

これで津城紹介は終りです。

次回からは伊勢商人の三井

家などの紹介です。

 

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